見出し画像

わたしの夜に一番あかるくひかる星

このブログはもともと、「わたしはジャニーズ事務所のアイドルグループ・SixTONESのメンバー、田中樹くんがだいすきです。」ということを話すためだけにあるし、例に漏れず、今回もそんなことを書こうとしている。

ブログを書くタイミングって分からなくて、だから入所日とか誕生日とか、じゅりにとっておめでたい日ばかりに書いてきて、だからいつもどうしてわたしがじゅりのことを好きなのか、全部を書けないでいたから、それを書こうかなと思う。

わたしがじゅりを好きな理由には、明るく楽しいだけでは終わらないことがあって、でも、やっぱり書いておきたいことでもあるから、今書こうと思うよ。
あまり明るい話では無いし、本来、わざわざ書くことじゃない話かもしれないし、まだわたしの心の整理も終わってない状態で書くから、多分まためちゃくちゃになっていくと思うし、長くなるけど、書いてみようと思います。自分の中から1回ちゃんと、今書けるものを出してみたいと、思う、ので。



まだわたしが、あまりじゅりをしっかりと見つめるほどオタクでは無かった1年と少し前。
6月の、だんだんと蒸し暑くなり始めた日にパパが死んだ。

今まで患っていた脳梗塞が原因だった。

新社会人のわたしはその日、震える手で会社に電話して、もう何年も前にママと弟と出たパパの家に向かった。
決定的な事実をまだ聞かされていないその時のわたしは、最悪な事実から目を背けながら、ただ「今までと同じようにこれからもパパに会えるはずだ」と願いながら、電車に乗って、パパの家に急いだ。周りの人はみんな当たり前に普通で、そんな中ずっと、泣きそうなくらい怖い気持ちを抑え込んでた。

何度も何度も脳梗塞で倒れていたパパは、遂に1人の夜に倒れて息を引き取った。
今度こそ危ないんじゃないかって、夜中に電話を受けてパパの家に走る度に思っていた。
高校生の時も大学生の時も、救急車で必死に息をするパパを見つめる度に心の準備をしていたはずだった。
でも、そんなの意味なんて無い。
本当の死を前に、わたしの心はなんにも分からなくなってしまった。バキバキに割れて、粉々になって、元の形なんて見る影もないくらいに。
パパの家について、ひたすら泣いて、泣き終わった後に、パパの家の2階の畳の部屋で横になりながらわたしは必死に自分の気持ちを探していた。
悲しくて仕方がないはずなのに、正しく悲しいはずなのに、ふとその日がキンプリの当落日だったことを思い出してその結果を見たりとかも出来てしまって。なんでこんなに普通のことをしてるんだろう、と思った。普通に笑って普通にご飯を食べてもいいのかな、とか、そういう風に思っていた。

パパが死んでからは、連日パパの友達がパパに会いに来て涙を流しているのを後ろで見ていた。
お葬式で喪主として挨拶をする時も、泣いている大人を沢山見た。大人でも、やっぱり泣くんだなぁと思った。
お葬式ではわたしも泣いたけど、挨拶が上手く話せなくなるくらい泣いたけど、なんだかやっぱり心は追いついていない気がしていた。
お葬式だから、自分は今泣いているんじゃないか、自分が「父を亡くした娘」だから。まだ実感なんて、全然無いのに。人に変に見られないようにして。とか、ずっとそんな風に、自分を責めるみたいな気持ちがあった。
お葬式が終わって、パパが骨になって、小さな壺に入ってからも、ずっとそうだった。
「父を亡くした娘が抱えるべき感情」とか、「父を亡くした娘がとるべき行動」とか、「父を亡くした娘が発するべき言葉」とか、そういうものを探してしまう自分が、そういうものが分からない自分が、酷く冷たい人間に思えた。

昔から、パパとママは別に仲がいい夫婦じゃなくて、結局わたしが大学に入学する年に離婚した。
ずっと子供のためにママが頑張って続けてきた夫婦関係だったんだと思う。
パパは、多分世間的に良いパパでは無かったから。
優しかったけれど、ずっと穏やかな訳じゃなくて、子供みたいに短気で気性の荒い時がある人だった。殴られたりもしたし、怒鳴られることもしょっちゅうだった。
病気が悪化して、半身不随の車椅子生活になってからは穏やかで優しいだけの人になったけれど、それは家族がバラバラになったことも原因だったんだろうな。

ただ、去年の父の日、なんでわたしは会いに行かなかったんだろうって、その気持ちだけはずっと拭えない。これからもきっと一生、拭えないと思う。間に合うはずだった、延命は無理だったと分かってる。でも、確実に最後にもう一度、会える機会だった。
もっと、ちゃんと会いに行けばよかったんだ。

分かってる、ちゃんと大切だった。
パパは他人だ、ママだって。家族だからって当たり前に仲がいいなんてことは無くて、わたしが求める形でふたりがわたしを正しく愛してくれるわけじゃないことも分かっていて、ちゃんと分かるようになっていって、それで結局のところ、わたしはパパを大切に思っていた。

わたしが社会人になる頃にママは再婚して、わたしと弟はママの家を出た。
パパは、ずっと家族で過ごした一軒家で、1人で住んでいた。
あの1人で住むには広い家で、パパはひとりだった。そんなパパに同情していただけなのかもしれない、と自分自身を責めるようなわたしは確かに今もわたしの中にいる。
それでも最後に、パパに抱きしめて欲しかった。
ちゃんと「大切に思ってるよ」って「大好き」、「ありがとう」って伝えたかった。
正しい父親では無かったとしても、貰った優しさや愛情を忘れてはいないことを、ちゃんと伝えておきたかった。今もパパに貰ったぬいぐるみと、沢山の所へ行くんだよ。とか、パパより車の運転が上手い人を知らないよ、とか、わたしが眠れない夜にパパが聞かせてくれた空想の話を、今でも時々眠る前に思い出すよ、とか。そういう何気ないことでも、なんでも言えるときに言っておきたかった。
それは決して同情だけの気持ちじゃないこと。
ちゃんと愛情を持って、パパを思っていたこと。
わたしはちゃんと、パパのことを愛していたって。
この1年で、少しずつ自分で自分のそういう気持ちを受け入れて、受け止めて、ちゃんと理解出来るようになってきている。
すべてが突然すぎて、そういうパパへの気持ちを全部置いて、抜け殻みたいになっていたわたしを、そうやって自分と向き合えるように、すくいあげてくれたのがじゅりだった。

会ったことも話したこともない人に、なんでそれが出来るのか、読む人によっては分からないかもしれないけど。アイドルを好きになったことのある人になら、伝わってくれるかな。

最初から、じゅりがわたしにとってそういう眩いものだった訳じゃない。
むしろ当時わたしを真っ先に支えてくれていたのはSexyZoneだった。パパを亡くした夜、セクゾのアルバム特典を見て、ちゃんとめちゃくちゃに笑えた。その時は、「父親を亡くした娘が笑っていいの?」みたいな自分はなぜか顔を出してこなかった。バナナの皮を剥かずに突然食べ始めるふーまくんを見て、心の底から笑ったのを覚えている。横アリで聴いたDream、絶対忘れないよ。

わたしがSixTONESなら田中樹くんが好きかなぁ~、、、。から、今みたいになったのは、当然だんだんと、なんだけど、きっかけは多分、じゅりの家族への姿勢を知ったのが大きいと思っている。

じゅりのことを好きになって、じゅりの家族のことも分かり始めて、色々と苦労があったことを知った。
それでも、じゅりはずっとずっと変わらずに家族を大切にしていて、それをちゃんと言葉にしていて、彼を見ていると、それがアイドルとして都合がいいからとかじゃなくて、多分本気なんだって少しずつわかっていって。その事実が、その時のわたしにはひどく眩しかった。

眩しくて、少しだけ、羨ましかった。

受け入れることは、簡単なことでは無いように思えた。わたしだったら、じゅりのようにはなれない、じゅりのようには思えない。なぜこの人はわたしと同じでは無いのだろう。なぜ、無条件に血が繋がっているからというそれだけの理由で家族という存在を受け入れて、愛せるのだろう。家族の全てが、自分に利益をもたらす訳ではないのに。ずるい人だ、正しくて、眩しくて、愛していて、愛されていて。なぜ。と、じゅりの全てを知らないくせに、そう思った。

じゅりの家族への気持ちは、ずっと正しかった。
正しい気持ちで家族と向き合って、それで、「家族だから」という理由で家族を愛せているようにみえる。こう書くのは、わたしがじゅりのアイドルという面しか見えていないからと言うだけであって、実際にじゅりが家族を愛しているのは、見ていれば分かる。伝わってくる。
じゅりにとって血の繋がりがあるということは、それだけで相手を愛する理由になるのだと知った。

それから、この人は正しい。と思うようになった。そりゃ、わたしが彼を正しいと認識したのは家族への感情が眩しかったからというだけで、彼も人間だから全ての時に正しい訳じゃないし、盲信するみたいになってはいけないとわかっていたし、そこまで自分を明け渡すのはわたしのプライドの高さから無理ではあったけれど。
それでも、この人は正しくて、眩しい、と。
そういう風にじゅりを見るようになった。

それから、雑誌を読んで、ANNを聞いて、ブログを読んで、じゅりの言葉ばかり追うようになった。雑誌を見る時、じゅりがどんな風に写っているのか、どんな服を着ているのか、どんな表情でいるのかよりも先にインタビューを読んだ。じゅりの言葉に、考え方に、何よりも頼った。追うとか頼るとかより、縋っていたのかもしれない。

じゅりはアイドルとして、賢明なひとだった。
じゅりの言葉は、いつもじゅりの優しさから生まれてくる言葉ばかりで、つよくて、あたたかくて、寄りかかっても一切ブレることが無かった。安心した。
じゅりはアイドルだから、縋っても、泣いても、身勝手な気持ちを夜な夜なぶつけても、なんにも知らないでいてくれる。許してくれる。
わたし個人のことを認識したりはしないけど、充分だった。暗い部屋でじゅりの写真を見ながら、自分の気持ちについてじっと考えたり、ひたすら言葉を追ったり、じゅりの考えかたをなぞったり、そういうことを許してくれる。だってじゅりはアイドルだから。わたしの気持ちがどんなに重くても、その気持ちにわたしが責任を負う必要はなかった。心配をかけることもない、心を疲れさせることもない、対応に困らせることもない。
それが、1人で長い夜を過ごすわたしには、本当に救いだった。

昼に、上手くピアノを弾けないわたしを叩いた手で、夜眠るわたしの頭を撫でたパパを、愛しているとか、大切だとか、思うことがほんとうの心なのか分からなかった。
じゅりの言葉に触れて眠る夜は、沢山のことを教えてくれた。
亡くしたから、自分を守るためにただそう思いたいだけなのか、なんなのか、分からなくなったわたしに、じゅりは「血が繋がっているから」という理由だけで、家族を大切にできる人もいるということを教えてくれた。 それだけを理由にしてもいいと、許してくれているようにも思えた。
(2023.10.24 追記:読み返していて思ったけど、ここの部分、じゅりが家族を愛している理由は「血が繋がっている」ってだけで、他には何もないみたいな文になっていたね。勿論そんなふうに考えてるわけでは無くて、じゅりのご家族は、じゅりが大切にしたいと思えるほど愛情深い家庭なんだろうなとちゃんと思っています。オタクの立場から全て見えるわけじゃないけど、28歳のお誕生日を家族でお祝いする日がある、あったかくて素敵なご家庭。たくさん愛されていてね、じゅり。)
ちゃんと後悔があって、伝えたかったことがあって、抱きしめて欲しくて、もう会えないと思うと突然涙が止まらなくなったり、また名前を呼んで欲しかったり、そういうことが今でも頻繁にあることが、ちゃんとパパを大切だと思っている理由になるのだと気が付かせてくれた。
そういうことが分かるまで、わたしが自分の心と向き合う時間をくれた。
パパがいなくなったことを、少しずつ実感することができるようになった。
今でも家族で過ごしたあの家に、パパがいるんじゃないかって思うことは全然あるけれど、お葬式で撫でた頬のざらつきと冷たさも、受け入れられるようになってきている。

じゅりが家族を愛していて、それを言葉にして伝えてくれるから、わたしはそうやってゆっくり自分の心を受け入れられるようになった。形も分からないくらいバラバラになったものを、じゅりがすくいあげてくれたんだ。

それからも、辛いことがあれば同じように、自分の内面のことをちゃんと考えるようになった。
自分のことだけじゃなくて、たくさんの物事について、深く考えたいと思うようになったし、じゅりみたいに、色んな人をあたたかく受け止めるような言葉で人と接したいと思うようになった。
昔から本が好きだったというのもあるけれど、言葉というもののことを、すごく大切にするようになった。

わたしの言葉を好きだと言ってくれる人とか、褒めてくれる人が増えた。言葉を大切にして考えながら話せるようになった。話が多分、さらに長くなったけど、それでも誰かを知らず知らずのうちに傷つけるよりずっといい。
じゅりみたいに、すくいあげる言葉を選べるようになりたい。

夜に、無性に寂しくなる時がある。
朝に、部屋から出るのが怖い時がある。
そんな時に、じゅりが毎日書いてくれたブログを読み返して、大好きだと思った雑誌を読み返して、そうやってなんとかやり過ごしたり、今日に踏み出したりするんだ。
じゅりの言葉は、いつも力をくれる。
底の方に沈んだわたしの気持ちをすくいあげて、少し先を歩いてくれる。
そのおかげで、わたしは突然全部を放り出して逃げたい時も、ギリギリなんとか逃げずにいられてるんだ。
じゅりはアイドルとして色んな方法で、わたしに少し先の希望を示してくれるから。
だからわたしは、今日もじゅりのおかげで生きている。

でもそれは結果論でしかなくて、実際じゅりに出会わなくても、わたしはなんだかんだと今を生きていたと思う。だってわたしは臆病だから、じゅりじゃない誰かに縋ってすくわれたかもしれないし、誰にも出会わずにただ無為に生きていたかもしれないし。
じゅりに出会わなかったわたしが何を考えて、誰に出会って、誰に出会わなくて、どんな風に世界を見ていたか。幸せなのか、不幸なのか、それは分からない。分からないけど、わたしの人生にじゅりは絶対必要だったわけじゃないと思う。
でも現実のわたしはじゅりを知って、じゅりを好きになって、じゅりにすくわれたんだ。

じゅりが、ジャニーズのアイドルでいてくれたからだよ。
じゅりがジャニーズじゃなかったら、きっとわたしはじゅりを見つけられなかった。
じゅりの言葉に、縋ることが出来る夜も無いままだった。

こんなに不安定な世界で、明日も何が起こるか全然分からないけど、それでも、じゅりがジャニーズのアイドルで、わたしがジャニーズアイドルのじゅりのオタクで、何度もじゅりの存在に支えてもらったこと。そのおかげで今のわたしがあること。それは絶対変わりようがない事実。
その優しくて愛しい事実は、この世界に確かにある事実だよ。
わたしのこういう気持ちも、一生伝わらないのだろうし伝わってくれなくていい。でもきっとこういう風に考えている人は沢山いる。
それをあなたが忘れて、深い悲しみから這い上がれなくなる様なことがありませんように。不安だとか寂しいだとか苦しいだとか悲しいだとか、そういう気持ちがあなたを襲う夜が一晩でも少なければいい。穏やかに眠る夜が、一晩でも多くあればいい。
そもそも、優しくあたたかい気持ちにばかり包まれていて欲しいし、傷つくことなんて一度も経験しないで欲しい。無理だってわかっているけど、当たり前にそういうことを願っている。

そういうことだけを願っている。

わたしの心にあるこの気持ちだけは、誰にも触ることなんてできない。

じゅり、あなたはわたしを導いてくれた。
わたしの生きる希望なんだ。

今回書いたことは、そもそもこのブログは、ずっとわたしの自己満足でしかない。わたしのためのもの。
いつもわたしのために、あなたに縋ってごめんね。
あなたはそれを許してくれるアイドルだからって甘えてしまっているんだと思う。
「都合良く使って」とあなたは、あなたたちは言ってくれてしまうから。
けれどやっぱり、どこかで甘えすぎてはいけないとも思うよ。
もしかしたら、そんな風に自分の身勝手な気持ちを自罰的に思うことを不自由だと感じる人もいるかもしれない。じゅりもそんな風に考えることは嬉しいと思わないかもしれない。
でもさ、わたしはあなたの見ていないところでも、あなたをできるだけ大切にしたいと思ってて。
それは別に誰かに強制するような気持ちじゃなくて、自然と思えたことで、自分の心の中に、気が付いたらあった気持ちで。そんな気持ちに気が付けたのも、じゅりのおかげで。
わたしがあなたをそんな風に大切に思えるのは、何よりもじゅり自身が、沢山の人の心を大切にして話をしてくれるのを見てきたからなんだ。
誰のことも忘れずにいてくれる、大衆の中に隠れるマイノリティをすくいあげてくれるじゅりの言葉が好きだよ。

忘れないでいてくれるということは、存在の肯定だ。
正しいばかりではいられないわたしを、許容して、受け入れて、導いてくれる。
そして、その先でいつも、この世界が案外悪くないことを教えてくれる。
あなたの言葉が、あなたというアイドルが、わたしの一等星。
今日もじゅりがアイドルでいてくれること、
本当に奇跡みたいなことだって、毎日思ってる。

この1年、じゅりがいてくれたから、わたしは今日までなんとか生きてこられたよ。
あなたのやさしさや、つよさにいつも助けてもらっている。

じゅり、あなたは、わたしにとってかけがえのないアイドル。
ずっときらめいていてね。
なんてわがままは言えないけど、
あなたがステージに立つことを選んでくれる限り、
あなたを照らす青い光の中にいたい。

明日がどんな1日でも、わたしはもう大丈夫だって言える。
まだまだこれから、じゅりとたくさん素敵な景色を一緒に見たいな。
そんな風に先の未来を考えて幸せを信じられるのも、全部じゅりのおかげだよ。

わたしの人生を変えてくれて、本当にありがとう。



パパ。
わたしにとってひとりだけの、わたしのパパ。
だいすき。
あのね、わたしきっとそろそろ大丈夫なんだと思う。
だから心配しすぎないでいてね。
やっとこうやって
言葉として残せるようになったから。
パパ、ずっとずっとありがとう。

今日でまた少し、一歩前に進めるかな。

2023.09.25

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?