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吸血鬼百合の歴史を振り返る試み

見出しの画像:『カーミラ』表紙より
J・S・レ・ファニュ著、BOOKS桜鈴堂訳、BOOKS桜鈴堂

 ごきげんよう。
 東京大学百合愛好会所属のうどん脳と申します。

 さて、現在、世の中には多くの百合作品があり、それだけ多くの百合ジャンルというものがあります。
 学生、社会人、姉妹、年の差、主従、ミステリー、アクション、SF、などなど。

 そんな数多の百合ジャンルの中で、一際存在感を放つジャンルがあります。
 それが「吸血鬼百合」です。

 人の血を吸って生きる「吸血鬼」と血を吸われる人間との関係を描いたこのジャンル。
 ここ数年に発売されている吸血鬼百合漫画を挙げると、

『となりの吸血鬼さん』(甘党、MFCキューンシリーズ KADOKAWA)
『ヴァンピアーズ』(アキリ、サンデーGXコミックス 小学館)
『キリング・ミー!』(あきやま、MFCキューンシリーズ KADOKAWA)
『吸血鬼ちゃん×後輩ちゃん』(嵩乃朔、電撃コミックスNEXT KADOKAWA)
『吸血鬼と呼ばれたい!』(ぴゃあ、電撃コミックスNEXT KADOKAWA)
『ガンバレット×シスターズ』(ミトガワワタル、サンデーGXコミックス)
『吸血鬼ちゃんとメイドさん』(ざんか、MFC KADOKAWA) (敬称略)

などなど、枚挙にいとまがありません。
 この作品数から言っても、吸血鬼百合が一大ジャンルであることはお分かりいただけるかと思います。

 人ならざる美貌を持った吸血鬼に、その血を捧げる女性。
 これだけでもう、耽美な雰囲気が漂いますね。

 ですが、一旦、先入観を捨てて考えてみてください。
 吸血って、皮膚を破って血管を傷つけるんですよ?出血するんですよ?
 それって、痛いし、グロいじゃないですか!

 ……なんだそのクソリプは……と思った方が多いかもしれません。
 誤解なき様に申し上げておきますと、私に吸血鬼百合を貶める意図は一切ありません。むしろ大好きです。何なら、吸血鬼じゃなくても血塗れで笑うタイプの女性は大好きです。

 そんな個人の趣味は置いといて。
 「吸血鬼」という存在は、実際に人間に牙を突き立て血を啜るかどうかにかかわらず、「血」というものの存在を強く想起させ、そこには暴力性やグロテスクさがつきまといます。
 しかし、その負のイメージに反して、吸血鬼、及び吸血鬼百合というモチーフは社会に広く浸透している様に思われます。
 なぜ、吸血鬼百合はこれほど人気で、受け入れられているのでしょうか。吸血鬼百合が今に至るまでには、どのような流れがあったのでしょうか。
 この記事は、そんな吸血鬼百合の歴史や特徴をまとめようと試みたものになります。拙い文章ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。

1.「吸血鬼」の誕生

 「吸血鬼」と言うと、血を吸う人外の存在という意味に加えて、様々なイメージが連想されるかと思います。例えば、コウモリを使役する、棺で眠る、ニンニクや十字架・聖水に弱い、日光を浴びると灰になる(から、肌色が青白い)、中世ヨーロッパ風の城に住んでいる、黒いマントをつけている、などなど。まずは、これらの吸血鬼のステレオタイプとも言うべきイメージの成立と普及から見ていきたいと思います。

 人の血肉を喰らう怪物の伝承は世界各地に存在していますが、今日の創作物におけるキャラクターとしての吸血鬼の元になったと考えられるのは、東欧の伝承です。
 東欧には、死者が墓から蘇り生者を襲うという伝説があり、蘇った死者はスラブ語でバンピルと呼ばれました。このバンピルと、トルコ語で魔女を意味するウピルが合わさって、ヴァンパイア(vampire)、すなわち吸血鬼という言葉が生まれたとされています。これが11世紀ごろのことであり、以降、ヴァンパイアという存在はヨーロッパに広く認知される様になります。その広がりには、ヴァンパイアの後に東欧に広まったキリスト教が、ヴァンパイアを含めた土着の伝説を排除しようと、東欧の土着信仰を異教として喧伝したために、逆に西欧でも知られる様になったという経緯があります。

「第5回 バンパイアと人狼、伝説誕生の経緯を検証する」
NATIONAL GEOGRAPHIC より 

 このヴァンパイアの伝説を下地にして、吸血鬼は小説、すなわち文学の世界に登場します。
 吸血鬼の物語の起源とされているのは、1819年にジョン・ウィリアム・ポリドリが著した『吸血鬼(The Vampyre)』です。『吸血鬼』では、若い女性の血を狙う美男子の貴族として吸血鬼は描かれ、また対抗する術は無く、何度も蘇る絶対的な不死者であるとされました。
 この後、1828年には初めて女性の吸血鬼が描かれたとされる作品、エリザベス・グレイ著『骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼』が登場します。この作品では、吸血鬼は死体から蘇った存在であり、また官能的な美女であるとされました。
 吸血鬼の恋愛物語として重要なのは、1836年テオフィル・ゴーティエ著『死霊の恋』です。『死霊の恋』に登場する吸血鬼クラリモンドは、男を破滅させる魅力を持った魔性の女として描かれますが、同時に恋人から最低限しか吸血しないという理性と愛情を持った女性としても描かれます。クラリモンドは、人を脅かす怪物という面が抑えられ、人間に対して捕食関係ではない対等な恋愛をする人間に近い存在とされています。このことから、『死霊の恋』は人間と吸血鬼の恋愛、もしくは親しい交わりの物語の原点と言えるでしょう。また、『死霊の恋』からは、聖水と十字架により吸血鬼の体が砕け散って死んでしまうという現代に通ずる設定を読み取ることもできます。

森田秀二「物語とは何か(4)物語パターンの研究:幻想物語(2)吸血鬼物語」山梨大学 より


 1872年には、シェルダン・レ・ファニュが『カーミラ(Carmilla)』を刊行し、ついに吸血鬼百合の道が開かれることになりますが、この話は後ほどさせていただきます。
 これらの作品を踏襲して、1897年にブラム・ストーカーが『ドラキュラ(Dracula)』を発表します。『ドラキュラ』は何度も映画化されたこともあって非常に有名な作品であり、現代の吸血鬼像に大きな影響をもたらしています。『ドラキュラ』に登場する吸血鬼ドラキュラ伯爵は、城に住み、棺で眠り、コウモリに化け、ニンニクや十字架を嫌う、胸に杭を突き立てると死ぬなど、現代の吸血鬼のイメージの大枠を形作っており、吸血鬼の元祖と呼ぶことができるでしょう。
 『ドラキュラ』は、1931年に『魔人ドラキュラ』として日本で映画公開されました。それ以前の明治期から、すでに「吸血鬼」という言葉は日本に入っていましたが、その意味は、人の生き血を吸う人型、もしくはコウモリ型・ヒル型の怪物を指す場合から、人の金を巻き上げる守銭奴、妖艶な美女を表す場合もあるなど、多岐にわたるものでした。しかし、『魔人ドラキュラ』の公開によって、日本人の間にも現代に続く吸血鬼のステレオタイプ的なイメージが根付いたと考えられています。

門間朱梨『日本における「吸血鬼」イメージの形成』
静岡文化芸術大学文化政策学部
 より

2.吸血鬼百合の原点にして頂点『カーミラ』

 では、先ほど触れた吸血鬼百合の原点と言える作品『カーミラ』についてご説明したいと思います。

 まず、先ほど申し上げた様に、『カーミラ』とは1872年にシェルダン・レ・ファニュが著した小説です。
 『吸血鬼』や『ドラキュラ』と並んで吸血鬼小説の名著であり、吸血鬼という概念を形作った重要な作品と位置づけられています。そして、『カーミラ』は同時に百合文化の原点であるとも言われるのです。

古城に父と暮らす孤独な少女ローラと、突然彼女のもとに現れる絶世の美女カーミラ。二人の少女が出会う時、呪われた物語が動き出す……。相次ぐ村娘たちの怪死、ローラを襲う病、夜な夜な訪れる黒い影。はたして、謎の美少女カーミラの正体とは……。北欧を舞台に繰り広げられる、官能と戦慄のゴシック・ロマン。
(『カーミラ』J・S・レ・ファニュ著、BOOKS桜鈴堂訳、BOOKS桜鈴堂)

 田舎暮らしで同世代の友達がいない少女ローラの前に、謎の美女カーミラが現れる。ローラが幼い頃に出会った女性と瓜二つの姿をしたカーミラを、最初は不審に思うも、カーミラの美貌に魅了される。やがて二人は意気投合するが、次第に周囲で異変が起き始め……というストーリー。
 この時点で皆さんお察しのことかとは思いますし、古典と言ってよい古い作品であるので、もうネタバレしてしまいますが、このカーミラこそが異変の元凶である吸血鬼です。ここで描かれた吸血鬼カーミラとは、永い時を生き、うら若い乙女の血を吸い、殺してしまう怪物でした。

 女性の血を狙う女吸血鬼、というだけでも百合じゃね?と個人的には思うのですが、『カーミラ』における百合要素はそれだけに留まらず、ローラとカーミラのやたら親密なスキンシップや強い台詞にも百合要素を見出すことができます。
 前述の通り、ローラはカーミラが美しさに魅了されていて、特にカーミラの豊かな茶髪がお気に入りらしく、”わたくしはよく下からすくい上げるように彼女の髪に手を差し入れては、その驚くほどの重みに笑っていた"と述べられています。カーミラが時折見せる人間離れした言動にそこはかとない不気味さを感じているものの、カーミラのことを良い友達と感じています。

joseph sheridan le fanu. Carmilla (Japanese Edition) (p.41).
BOOKSORINDO. Kindle 版. より引用

 一方、カーミラの方はローラの手を握ったり抱きしめたり、頬にキスしまくることはもちろん、”頬をほのかに赤く染め、気怠げな、それでいて燃えるような目でこちらを見つめたまま、ドレスの胸が大きく上下するほどに息を乱れさせて"、"まるで恋する人が熱い想いに身を焦がしているかのよう"(同 p.46)にローラに迫ると、

「とろけるような屈辱の陶酔の中で、わたしはあなたのあたたかな生命に溶け込んで、そしてあなたは死ぬの――甘美な死の中で、わたしとひとつになるの。」
(同 p.44)
「あなたはわたしのものよ。きっとわたしのものにしてみせる。あなたとわたしは永遠にひとつなのよ」
(同 p.46)
「わたしはあなたの中で生きているの。そしてあなたはわたしのために死ぬのよ。だって、こんなに愛しているんだもの」(同 p.63)
「わたしは死ぬまであなたの愛を離さない。愛してくれないなら憎んでもいい。でもわたしたちが一つであることは変わらないわ。」(同 p.68)

と、強烈な愛の台詞をローラに囁くのでした。

 いや、強い。あまりにも強火すぎる。これが150年前に書かれた作品と思うと、先人の慧眼と業の深さに自然と頭を下げたくなります。カーミラがローラに向ける、死を伴うほど巨大な感情は、様々な百合作品が溢れる現代でも全く色褪せず輝くことでしょう。
 もちろん、カーミラの言う「わたしとひとつになる」「わたしのために死ぬ」とは、つまり私に吸血されて死んでくれ、という意味であり、そうやってカーミラは数多の少女の血を吸い、生き永らえてきたと考えると、ローラへの感情は愛情というより食欲なのでは?と指摘することもできます。
 しかし、食欲と愛情とは矛盾する感情ではなく、むしろ愛するものを自らの内に入れたい、愛する者と一つになり共に生きていきたい、という感情は愛情の発露としてむしろ自然なものではないでしょうか。相手の血を吸い自らの身体に取り込む吸血行為が愛情表現であるという考えは、吸血鬼百合の根幹を成すものであり、多くの吸血鬼百合作品に受け継がれ、現代にも息づいている要素ではないかと思います。

 さて、しきりにローラを死に誘うカーミラでしたが、最終的には血液で満たされた棺桶で眠っているところに杭を打たれ死亡します。血に身体を浸す、という点では、著者のレ・ファニュがかの吸血伯爵夫人エリザベート・バートリーを参考にしたことが伺えます。
 ローラはカーミラに殺されることなく生き延び、一連の出来事を日記にしたため、"今日この日にいたってもなお、カーミラの面影が――ある時は、お茶目で物憂げな、美しい少女の顔で、またある時は、あの礼拝堂跡で見ました、おぞましく歪んだ魔性の顔で――わたくしの心に蘇ってまいります。居間の扉の向こうにカーミラの軽やかな足音が聞こえた気がして、物思いからはっと我に返ることが、今でもたびたびございます。" (同 p.150)との文章で日記を締めくくります。
 カーミラがローラに苛烈な愛を向けていたのは疑うべくもないですが、それは一方通行ではなく、ローラもまたカーミラとの思い出が心に刻まれていたことが伺えます。残された者が、もういない相手に思いを馳せる。これもまた、百合要素として重要なポイントではないでしょうか。

 繰り返しになりますが、この『カーミラ』は吸血鬼というキャラクターの原点である『ドラキュラ』に大きな影響を与えた作品であり、また『ドラキュラ』などと共に吸血鬼のイメージ形成に重要な役割を果たした作品です。
 すなわち、吸血鬼がその誕生の過程でこんな最強ヤンデレ吸血鬼百合作品『カーミラ』を経ている時点で、もはや吸血鬼という概念そのものが百合を前提としていると言っても過言ではないでしょう。吸血鬼が『カーミラ』から生まれた以上、吸血鬼が百合の題材となるのは自然なことであり、吸血鬼に付き纏う血や死というイメージは、むしろ関係性を深いものにする材料になるのです。

3.現代日本での吸血百合

 吸血鬼は、その概念の成立からして吸血鬼百合を含むと述べましたが、ではその後、吸血鬼百合は特に日本で、何をきっかけとして、どの様に広がっていったのでしょうか。

 結論から申し上げますと、これに関しては私の調査不足ではっきりとはわかりませんでした。申し訳ありません。

 映画『魔人ドラキュラ』以降、吸血鬼が日本のエンタメ作品の題材にされた例はいくつか挙げることができます。
 1959年には日本産の吸血鬼ホラー映画『女吸血鬼』が公開され、以降、日本の映画界では吸血鬼を題材とした映画がちらほらと見受けられます。また、1972~1976年には吸血鬼の一族を題材とした萩尾望都『ポーの一族』が連載され、1979年には吸血鬼父娘を描いたコメディ漫画である手塚治虫の『ドン・ドラキュラ』が刊行、漫画において吸血鬼が描かれ始めたのはこの頃ではないかと思われます。
 この時点で、吸血鬼とはホラーの題材のみならず、その幻想性や美しさが強調されることもあれば、弱点を抱えたキャラクターとして落とし込むことでコメディの要素にもなる存在として描かれています。吸血鬼が様々な描かれ方をされることで、「血」や「死」のおどろおどろしいイメージが軽減され、社会に広く受け入れられたと考えられます。

 しかし、吸血鬼百合が日本のエンタメに広がり始めたのがいつ頃なのか、という話になると、その始まりやきっかけを断定することはできませんでした。

 アニメ化もした漫画『となりの吸血鬼さん』が初めて掲載されたのが2013年で、冒頭で例に挙げた作品を含め、私が調べた限りほとんどの吸血鬼百合漫画はこれ以降に発売されている様でした。これを踏まえると、漫画で吸血鬼百合が大規模になっていったのは2015年前後と考えられるかもしれません。

 ただ、ゲームの世界を見ると、今なお語られる名作、吸血という血の絆で繋がる少女達を描いたPS2向け作品『アカイイト』が2005年に発売されているため、吸血鬼百合の発展はもっと前であるとも言えるかもしれません(もっとも『アカイイト』で題材となっているのは和風の「鬼」「妖怪」で厳密な意味での吸血鬼百合とは言えないのかもしれません)。
 また、ゲーム及び二次創作の世界を見ると、1996年から始動し2000年代、2010年代を席巻し、今なお絶大な人気を誇る『東方Project』シリーズの影響も強いと考えられます。
 特に、『東方Project』のキャラクターである吸血鬼レミリア・スカーレットを中心としたカップリングは、吸血鬼百合に関する創作に対して大きな刺激になったと考えられます(自分が東方に詳しくないため、これ以上のことは言えないのですが……)。

 この辺りは、百合作品そのものの広がりと共に考えなければならないかと思います。なんともすっきりしない締めで申し訳ありませんが、少なくとも言えるのは、吸血鬼百合は昔から今に至るまで、百合の大きなジャンルであるということです。


4.まとめ

 吸血鬼、及び吸血鬼百合の成立から普及までの流れを、わかる限りで述べさせていただきました。
 吸血鬼とは、血や死といった負のイメージが付き纏う存在ですが、その概念の成立からして吸血鬼百合を内包しており、その背徳的であり情緒的である二人の結びつきに、美が宿るのです。あるいは、血生臭い吸血鬼像への反動として、ゆるふわで心が温まる様な吸血鬼たちも描かれてきたのでしょう。吸血鬼百合の歴史がそれを物語っている様に思います。
 また、ここではあまり深く触れませんでしたが、吸血鬼百合では吸血という繋がりに加えて、吸血鬼と人間は寿命が大きく異なるとされることが多く、いつか来る別れを受け入れるのか、それとも命や在り方を捨ててでも添い遂げるのか、重厚なテーマに繋げやすいのもまた魅力であると思われます。
 吸血鬼百合の興味深さは尽きませんが、これからも素敵な吸血鬼百合作品が多く表れていくことでしょう。まだ見ぬ吸血鬼百合を楽しみにしつつ、今ある名作たちに触れてみるのも良いのではないでしょうか。



 とりあえず、文学の勉強ってことにして『カーミラ』を読みましょう。
 あと、『吸血鬼ちゃん×後輩ちゃん』はいいぞ!!!!


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