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ゼミの近況、研究テーマを定めることが難しい!

こんばんは、3年の渡辺です。

大学も後期が始まり早二週間以上が経ちましたが、3年の後期になっても単位に追われる毎日を過ごしております…

そんな中、ゼミも対面で本格的に始まりました。

この前のゼミは、ゼミ生の選考時期も被っていたので、一年生が来てくれました!


…一年生が来ても研究発表はいつも通り行われます。

その週はA班(性教育)とB班(キャッシュレス)の研究発表でしたが、とにかく「問いを立てる」ことの難しさを痛感しました。

また、私はA班なのでその時のFBをよく覚えているのですが、どこか私たちの研究方針とずれているんじゃないか?といったものが散見されました。


客観的な研究と主観的な問いの境目

A班の研究内容としては「なぜ性教育は遅れていると言われているのか?」が問いになっているのですが、この中の「と言われているのか」という部分が非常に重要であり、かつ理解されづらく、また自分達でも見失ってしまう危険性があると感じています。

私たちが「と言われているのか」をつけた理由は、問いを「なぜ性教育が遅れているのか?」にすると、その時点で問いが主観的なものになってしまうからなんです。

研究というのは客観性が求められるもので、主観的な問いにすることは研究自体を偏向的に行うという無意識な意思表示になってしまうし、なにより自分達に都合の良い、自分達の意識を全く変えないような結論を生み出してしまいガチのように感じます。

そんななかで、「と言われているのか」を付けることで、「性教育が遅れている」というクレイムを客観的に分析し、その思想自体をすこしでも紐解けると(少なくとも私は)感じています。


それを踏まえて、フィードバックとして、もっと海外と比較すればいいのではないかというのがよく挙げられるのですが、これは「性教育が遅れている」ことを調べたい場合に有効なのであって、「性教育が遅れているとなぜ言われているか」を知りたい時にはあまり有効でないように感じます。

もちろん、性教育が遅いと述べている方々が海外との比較を持ち出すことがあるためにそのような意見をくださったのかもしれませんが、やはりそれは今の研究方針に直接的な検討にはならないと感じます。


先生からもFBをいただきましたが、その中で性教育が遅れているという前提自体ないものとして考えた方がいいとおっしゃられていました。

研究の姿勢として求められることの一つには、問題意識を持つことは大事だけれども、「一つの答えを導き出そうとして研究を始めない」ことが重要なんですね。

そうした場合、研究の第一歩としてはなによりも個々の歴史を紐解くことにあるのかなと感じました。


いつのまに!!!の罠

今回はB班の研究のFBでもあげられていましたが、いつのまにか問いが主観的なものになってしまっているという罠が研究には常に潜んでいるように感じます(笑)

とくにグループワークでの研究は、班員の同意が逆に、問いの客観性の検討を能動的に行う機会が少なくなってしまい、こういったことが起きるのかなと感じています。

また、私たちの研究はクレイムを起こしている人々を対象としたものなので、その人々の意見を調べようとするあまり、前のめりになっていつの間にか主観的な意見を拾い上げてしまうことも頻繁に生じています。

どんなときにも、あるクレイムについて調べる際は、ただその提言者を調べるだけでなく、バックラッシュとされる現象までしっかりと調べないといけないなと、毎回感じております…


今後の課題

先生のFBをまとめると、「自分たちがフォーカスしたい分岐点に着目し、なんで分岐点となったのかを読み解き、どういうクレイムによって過去のことが問題化されたのか調べたほうがいい」とのことでした。

これを受け、A班のテーマも「性教育が遅れているとなぜ言われているか」にするよりも、もうすこし期間を絞って具体的な例を取り上げて研究を進めた方が良いのではないか?という話になりました。

研究を始めて三ヶ月が経ちますが、まだまだ研究の質を上げるためにしなければいけないことが多そうで、ワクワクしますね!😋


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