育てたかったのかもしれない

30代真ん中を過ぎて、一人。パートナーなし。自由だし、気楽。

だけど、このところ、ふわりと浮かぶ気持ちがある。

それは、私は子どもを育てたかったのかもしれない、ということ。


むかしから強い結婚願望もなく、子どもは…そんなに好きではなかった。親戚、いとこのなかで一番下で、きょうだいのなかでも末っ子なので、自分より幼い子どもにふれあう場面が少なかったというのも多少は影響しているのかもしれない…と、ときどき思う。小学生のころは、下級生と遊ぶこともあったような気もするけれど、もっと年の離れた幼い子どもとは会う機会もなく、その頃から、子どもが嫌い、とまでは思っていなかったけれど、子どもとふれあうのはそんなに上手じゃないという自覚があって、ますます人見知り、というか子どもとは少し距離をとるようにしていて、かなり長い間、「子ども見知り」みたいな状態だった。

でも、大学生のころ、ボランティアで子ども(たしか小学校1年生かもう少し幼かった)と一対一でペアになって何かを作って発表するという機会があった。最初は、子どもが大好きではなくて、子どもと接してきたこともほとんどない私に、上手くやれるかしら、と人見知りも手伝って緊張していたけれど、与えられた1時間かちょっとの時間でそのお嬢さんとはすっかり仲良くなって、一緒に絵を描いたり、彼女がみんなの前で発表するのを、ほほえましく、そして誇らしいような気持ちで見ていて、上手にできたね!と発表を終えた彼女とハイタッチをするくらい楽しく終えられた。その経験が、というかそのお嬢さんが、私も子どもと仲良くなれるんだ、と教えてくれて、少しだけ子どもへの緊張感がほぐれたのだった。

(かといって、子どもと出会う、ふれあう機会がそれから増えたわけでもなく、いまも私は子どもと親しくなるのは上手ではないと思う。さらにそのお嬢さんは会話ができる年齢の子どもだったから、もっと幼い子どもたちとは、もっともっと、うまく関われない自信もある。)

結婚願望も、ほとんどなかった。しあわせなことに、両親、きょうだいも仲良く、親戚や祖父母とも、離れて暮らしていたけれど親しくしていて、結婚や家族というものに対してネガティブな気持ちを抱くきっかけは、ほぼなかった。けれど、特段「結婚したい」と思うこともなかった。

中学生のときは自己肯定感がどん底で、自分のことを世界で一番醜いと思っていたし、高校生になるまで私が学級会など人前で話すということは許されていないと思っていた。それはおそらく、クラスメイトの大半に嫌われた時期があったからだ。簡単な言葉で言うならいじめのような状況だった。原因は私にあった。そんなこともあって、特に男子とはなかなか仲良くなれなかった。でも好きな男の子はいた。そんな日々で「25までには結婚したいから、短大に行く!」と卒業後の進路を考えるときに結婚願望から逆算していた友人には感激したし、お姉ちゃんがほしかったから結婚したら子どもは二人以上がいい、と言っている友人の話も素敵だなと思って聞いていたけれど、自分が結婚するということはまるで想像がつかなかった。結婚願望について聞かれると「したくない!」という意志もなかったけれど「したい」という気持ちもあんまり浮かんで来なくて、だから結婚はするかもしれないし、しないかもしれない、くらいに思っていた。

大学生になると、就職とともに結婚も現実的な話題として出てくるようになった。私は恋バナが大好きだったけれど、なかなか上手に恋愛ができなかったこともあって、自分の話題はあんまり提供できないでいて、友達の恋を応援したり、結婚観を聞いて尊敬したり感嘆したりするばかりで、結婚することもしないことも、相変わらず自分のこととしては考えていなかった。

社会人になり、ある年齢を過ぎると周りがバタバタと結婚し始めた。最初は、素直にお祝いの気持ちだけが浮かんでいたけれど、そのうち、やはりご多分に漏れず、焦った。両親はありがたいことに「結婚しなさい」とほとんど言わなかったけれど、親戚たちは会うたびに結婚の話題を求めて来た。たぶん私以上に、両親はその話題に困っていただろうなと思う。でも私自身と言えば、当時は仕事や容姿を理由に「私は一生できないと思う!」と結婚していないことを友人の前では自虐ネタのように使っていて、焦っているという自覚はなかった気がする。けれどそれは、焦っている自分をとりなす自己防衛の手段だったのかもしれない、と今は思う。そうやって結婚という話題に直面することを避けているうちに、結婚を具体的に想像できる機会も訪れず、そして結婚しないという決断もしないまま、私は歳だけを重ねていた。


その私も、結婚を自分自身のこととして初めて現実的に考えることになった。大好きな母方の祖母が亡くなったときだった。そのとき、自分が結婚していないことをとても後悔した。母は一人っ子で、その祖母にとって孫は私たちしかいなかった。祖母に花嫁姿を見せられなかったこと。ひ孫に会わせてあげられなかったこと。その日、初めて後悔した。間に合わなかった、と思った。気づくのが遅すぎた。私は29だった。いまでもそれは、人生で一番の後悔になっている。


30を過ぎると、結婚とともに、出産の年齢の期限が迫っているような気持ちにもなった。それでも結婚願望はますます遠ざかり、その頃には自虐ネタとしてではなく「私は結婚できないだろう」という自覚がちゃんと芽生えてきたので、子どもを産むという想像はもっと遠かった。


だけど、ある日とても大好きな人と出会った。そのとき、人生で初めて、その人の子どもがほしいと思った。結婚したい、ではなくて、子どもがほしい、と思った。結婚したいという気持ちが先に浮かばなかったのは……(お叱りを受けるだろうことを承知で書きます)そういう恋愛だったから。だけどその人は当時の私にとっては、とても素敵な人で(そういう恋愛をする時点で素敵な人ではないというのは否定しようがないけれど)、私は自分の状況、その恋が不毛で、誰かを傷つけていることを割り切って、理解しているつもりでいて、結婚したいと願うことはなかったけれど、その人は子どもが好きだったし、この人の子どもなら産みたい、と初めて、現実的に子どもを育てるということを想像した。

でも冷静になると(その恋愛がひどいことであるということには冷静になれなかったのに)、そのときの自分には子どもを育てるなんてとてもできることではないとわかって、その気持ちも消えた。

そして、その恋愛も、終わった。


そして、いまは一人。パートナーなし。自由だし、気楽。

だけど、街中を歩いていて、ぼんやりと気がついたことがある。

私は、子どもを育てたかったのかもしれない。


いまだって子どもとの垣根がなくなったわけではなくて、何度も会っている友だちのお子さまにも会うたびに緊張してしまうし、街中で泣いている赤ちゃんを見て、笑顔になれるときばかりではない。

親になるという想像をしてみても、まず相手を見つける難しさとか、経済的なこととかばかりではなく、自分の機嫌だって上手に取れない自分が、自分以上にわからない誰かを育てるなんて、とてもできないだろう思う。後輩や部下を育てるのとは違う。彼、彼女は、何にも知らない世界にひとり、突然、参加することになるのだから。最初は、親になる私が0から教えて、守って、支えなくてはならない。


だけど、街中で親子連れを見かけたとき、ドラマや物語の中で子どもに出会ったとき、私は無意識に、自分が母親の立場に立つ空想していることに気がついた。

子どもが傷付けられたニュースを見たら、私はどんなふうに抱きしめてあげられるだろうか、と考える。子どもがぐずっていたら、私はどうやって伝えるだろうか、どうしたらお互いが辛くない答えを見つけられるだろうか、と想像する。

子どもを育てたことのない私は、答えはおろか、選択肢すら持ち合わせていないのに。

思い返せば、もっともっと前から、私にはその癖があったような気がする。

一人暮らしを始めて料理が苦手な自分を反省したとき、自分の子どもには早いうちから一緒に台所に立ってもらおうと思った。ボランティアで障害を持った方と出会ったとき、自分の子どもが障害を持って産まれたら、こんなふうに愛してあげられるだろうかと悩んだ。恋人から簡単なメールで振られてしまったとき、自分のことも相手のこともちゃんと大事にしてあげられる子どもに育てたいと思った。大好きで大事にしていた飼い猫に苛立って怒鳴ってしまいそうになったとき、自分も子どもを虐待してしまうかもしれないと想像した。いじめが先生に知られて親に叱られたとき、子どもがいじめられたら、なによりもまず子どもの味方になってあげようと誓った。


職業として「子どもを育てる」ことにも、憧れがあったのかもしれない。保育士や教師をしている知人を見ていると、とても素敵な職業だと思う。大学でカウンセリングの講座を受けたときは、スクールカウンセラーに興味があった。虐待のニュースを見ると、児童相談所や養護施設で働くひとのことを考える。子どもに寄り添う人に、私はなりたかったのかもしれない。


でも私は、子どもを育てることはできなかった。きっと、このまま、できないだろうそれで良いのだとも思う。ぼんやりと昔から浮かんでいた「親になる」「育てる」空想は、いつまでも、想像するだけのもので、現実的な話題としては、一度も向き合ったことがないのだから。そんな私に育てられる子どもは、頼りない親にとても苦労することになる。私が教えてあげられることなんてきっと、ほとんど、ない。これで良いのだと思う。



と、ここまでこんなことを書きながら、「結婚できない」と口にしてきたことが結婚を遠ざけていたのかもしれない、とか、今の時代、高齢出産も少なくないとか、心のどこかで、少しだけ諦めていない自分もいる。

こういう自分のことを、夢見がちと言うのか、不屈の精神と言うのか、往生際が悪いと言うのか、私は知らない。


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