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里山から自治を考える 02 自治って何

2023.06.21

自治すらも与えられるものというイメージ

通常、人々、特に農耕民族と呼ばれている末裔の方々(私たちのこと)にとって、思考パターンというのは、自ら築き上げていくものというよりは、与えられるものという感覚が大半なのではないでしょうか。それだけに「自治」自ら治めるという概念に正面から向きあった際に、なにか与えられるもの、権力者から導かれるようなもの、というイメージが強いのではないかと感じています。

与えられるものとしての里山

里山という地域循環を考える場合でも同様のことが言えるのではないでしょうか。つまり、住民が主体的に取り組むべき地域循環ですら、国や都道府県や行政が、里山はこうしましょう、こうあるべきです、こうしなければならないという思考パターンをもっていないかということです。
本来、自律的に運営されていたはずの里山という地域循環システムも、地主がいて成り立っていたものかもしれません。

自己バイアスの向こうへ

そういった自己バイアスのようなイメージをもとに地域循環を考えていくと、まず一人ひとり、個人にとって、何ができるのか、というのが出発点になるのではないでしょうか。つまり個々人が自立して自分自身で考えないとこの自己バイアスからは逃れられない。その向こうにこそ自治があるのではないかと思います。

地域政策と地域循環

ですが地域循環=里山ということになると、個人だけではできません。エネルギーから含めて、地域をどのように循環していくかということになりますから、地域政策なしに地域循環は生まれないわけです。では個々人の里山や地域循環への想いをどう実現していけばよいのでしょうか。一人ひとりが自立し、自分自身で考え、それを地域で取り組めるようなネットワークを積み上げ、それを地域政策にまで仕上げていくにはどう活動していけばいいのでしょうか。

エコーチェンバーの中で騒いでいるだけかも

最近気になった言葉に「エコーチェンバー」というものがあります。ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象「エコーチェンバー」にたとえたものです。
気に入った仲間同士での会話は楽しいものですが、その意見が全てであるはずもなく、属性や違う仲間とは全く意見が相容れない状態である可能性は十分あるわけです。ところが、エコーチェンバーの中では、多くの人が同意してくれている、極めて正しいと思えてしまう蛸壺のような現象です。
里山は素晴らしい、地域循環は21世紀のあり方だ、なんてことも、エコーチェンバーの中で騒いでいるだけの独りよがりな話なのかもしれません。
合意形成をしつつ、どうやればこのエコーチェンバーの外に飛び出せるのかを常々考え続けています。

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