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マンションから自治を考える03「多くの無関心と自治力の衰退」

大阪市福島区にある昭和時代のスナック街で、行ったら帰ってこれなくなることから通称が「地獄谷」と呼ばれているエリアがあります。その地獄谷で「地獄谷冥土BAR」の店主をしている横田です。一方、生まれ育った福島区で急増するマンションと地域との関係性をどう育てていけばいいかを模索してきました。今回から4回は、マンションから自治を考えるという視点で話をしていきたいと思います。今日はその3回目。

維新以前の大阪市

当時の大阪市の市議会選挙の状況を振り返ると、与党は組織票と地域票をがっちり固めていて、あまり代わり映えのしない顔ぶればかりが当選していました。
大阪市では24区ごとに細かく選挙区が分かれているので、どうしても選挙におけるダイナミズムが起こりにくいという理由もありました。
参考に大阪市の隣の兵庫県尼崎市では尼崎市全体で定員40人のほどの市議会選挙に約60人の候補者が立候補しています。(音声では尼崎市魏の人数間違えてました。申し訳ありません。)
こうなると上位は安泰ですが、最下位から5名あたりは毎回入れ替わるので、投票する側のモチベーションが上がります。
逆に大阪市のような究極の小選挙区で選挙を繰り返していると、地域活動協議会のような地域団体は選挙の集票マシーン化しやすい傾向にあるのです。

大きく期待し、そして幻滅した維新政治

組織票がない浮動票頼りの当時の維新としては、与党の大票田の地域活動協議会のあり方を見直そうとするのは当然だったのかもしれません。
また動機はともかく、橋下氏の動きに、当時の硬直した運営をしている地域活動協議会に幻滅していた私たちは大きく期待しました。
また今の橋下氏は権力側に回ってしまっていますが、当時は市民派でもあり、これまでの与党、つまり抵抗勢力をすべて壊していかないと改革が進まなかった背景もあったのではないかと推測します。
では、どうして改革の障害でもあった地域活動協議会の改革がトーンダウンしてしまったのでしょうか。それは意外にも地域活動協議会の人たちが、権威(政治家)に対する従順さを持ち合わせていたからだと思います。
また、現在のような員数合わせのために粗製乱造された候補者ばかりでなく、黎明期の維新の議員は志もあり、真摯に取り組んでいた部分もあり、地域活動協議会、市民にも受けがよかったというのも事実でしょう。
同時に維新の候補者の中には自民党からの鞍替え者もいたので、改革勢力というよりは、自民色もあり左寄りではない維新は、わりとすんなり受け入れられたのだと思います。
このような背景のもと、当選議員たちのアドバイスもあって、地域活動協議会を換骨奪胎してドラスティックに改造してしまうより、現状のまま利用した方が得策だと考えたのではないでしょうか。

公募という名の踏み絵=維新行政

区長や局長を公募にすることは、一見公平で開かれたイメージを植え付けられますが、実際は思想的に同じ人が重用される可能性が高い。住民の声をしっかり聞くよりも新規事業や目玉事業で成果をあげる役職者がもてはやされる傾向にあります。それは内閣の大臣に選挙で選ばれた政治家ではない民間人を、外部登用する手法と同じです。同じ思想を持つ人を主要ポストに置くことにより、上意下達がよりスピーディになりトップが市全体を自由に動かせることができます。
逆に考えると、スピーディでスムーズな市政運営は、市民の目の届かないブラックボックス化しやすく、同時に市民の自治力の衰退を招き、民主主義の根幹さえも揺るがすことになりかねません。
これらは、人に任せて楽をするとそのツケが自分たちに回って来るというマンションの管理と同じです。
権力を一部に集中させてしまうと、普遍的、絶対的だと思われている根幹部分のルールも変えられてしまう危険性はいつも孕んでいるということを理解しておかなければなりません。
多くの無関心が、偏った公募行政を実現させ、上意下達の独断組織を作らせてしまった原因であることを、私たちは心に刻んでおく必要があります。

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