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進化する自治を構想する 06「市民生活を守る先にあるもの」

戦争と市民権と地方自治

 大阪空襲訴訟は17年間にわたり、国会論戦も交えながら行われた住民訴訟だ。同時期に東京と大阪で提訴され、それぞれ2013年、2014年に控訴審が確定している。戦争被害、とくに一般市民の多くが被った、空襲による被災と傷害について、日本では一切の保証はされずに放置されたまま、戦後数十年が経過していた。
 最高裁において、それぞれ敗訴とはなったが、「情報統制・防空法制など、政府の政策による被害拡大を認定」、また「空襲被害者だけが補償の枠外に置かれたことが認定」、そして「戦後補償の有無による不平等が違憲となることは 「あり得る」 と判断」されています。この大阪高裁の判決により、政府がこれまで言ってきた「戦争損害受忍論」は否定された。この訴訟は終わりではなく、有事での戦争被害者補償という法整備を国会に求めていくべき問題である。

日本における戦争損害補償については、矢野宏さんの言葉にあるように、「原則として軍人・軍属を対象」であり、「天皇制国家に忠誠をつくした軍人・軍属が、戦争という公務によってけがをしたり、死亡したりした場合だけ」国家補償するという、ある意味いびつな建付けにになっている。ここには、「戦争犠牲者への謝罪」はなく、国家は今に至るまで、戦争の責任について、国民につまびらかにしてはいない。ucoが「進化する自治を構想する」を言う時、戦後、国民主権という民主主義国家となった今、戦争と市民権、戦争と地方自治について、改めて問いを立てておく必要があると考えるものです。

 国内や一部の地域が戦場となるという、極端な状況にならずとも、日本が戦争の当事者になるような事態になった場合、市民権の多くが制限される事態になることは容易に想像がつきます。しかし、その中においても、市民生活を守り、社会福祉を最大限生かす道を自治体は考えるべきだし、市民は自治の問題として生活と福祉を守る術を持ち、権利として守るべきで、それが市民が生きるということに繋がっていく。

有事には限らないさまざまな安全保障問題

 ご存知の通り、ロシアのウクライナ侵攻により、ヨーロッパのエネルギー高騰や、アフリカや中東での食料供給の滞りなど、軍事関連に限らず、市民生活を脅かす状況はいつ生まれてもおかしくない。地方自治において、エネルギーの地産地消と、食糧の地産地消は、市民自治の重要な柱となるべきであるが、都市部の首長や議員にどれだけその意識はあるだろうか。
 工場等の企業によるエネルギー消費を除く、住民世帯のエネルギー消費を考えた時、地方の方が、再生可能エネルギーで賄えるエリアは広がる。例えば滋賀県のように、170数河川が流れ込む琵琶湖流域では、高いポテンシャルを持っている。ましてや、滋賀県は近畿圏有数のコメ地帯である。一方で大阪市は、ただただ消費する比率が高く、農業生産やエネルギー生産において、自力で賄える比率は低く、これを高めようとする力も働いていない。

 大阪府内の耕作放棄地は年々増え続け、農業生産者が劇的に増加する政策も取られてはいない。いま地震等の災害時での農業生産を後押しする「都市農業」の発展を願う声もある。
いま大都市部でこそ、エネルギー生産と農業生産をどのようなバランス視させていくか、ということが課題である。と同時に地方自治の「自治」のあり方を、これまでのように行政に任せきりで、市民生活を守ることができるのか、を問い直す必要がある。


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