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進化する自治を構想する 22「私企業の公共への浸食を無自覚に許してよいのか」

なんば広場が何を意味するのか

 民間のジョイントベンチャーのような形で、なんば広場を管理している。もともと道路だったところを、私有地のような使い方をしているように感じる。公共スペースの使い方として、これでよいだろうか。大阪城公園の中に、いろいろな民間事業者が入って、商売をされている。例えば、ニューヨークのセントラルパーク内にスターバックスが建設されようとしたら、多くのニューヨーカーは民間企業がなぜ公共空間を儲けのネタにしようとするのか!と大きな声を上げるはずです。
 日本における「公共」空間(パブリックスペース)という概念が、なし崩しになっているのか、させられているのか。公共空間を使って、民間事業者が金儲けすることについて、あまりに無自覚に受け入れてしまっている状況を強く感じます。
 実は、なんば広場という名前ですが、百貨店の屋上遊園地のような管理のされ方が行われていて、全区画で1日平日120万円、休日では200万円(設営準備含む)というレンタル費用であり、もう「みんなの」広場ではないわけです。
 うめきたも同様に指定管理制度のもとであり、渋谷区宮下公園(https://www.seibu-la.co.jp/park/miyashita-park/)と同じようなことになるんじゃないでしょうか。
 公共空間が、どのような場所であるべきか、という共通の定義なしに、政府や自治体が、なし崩し的に崩していって、公共の場所で商売をしてもいいよ、ということになっていることが問題である。
 周辺の土地が高騰し、商売するにはコストに見合わなくなっている。残っているのが公共スペースしかなく、何とかそこで収益の上がる商売をさせてほしいという、経済界からの要望を政府、自治体が受け入れている。

コモン空間が失われていく危うさ

 斎藤幸平氏は、誰でも無料もしくは安価に利用できる空間を、コモンと位置づけている。そういったコモンが、なし崩し的に失われている。そういう意味では、公共交通機関も危ないし、ライドシェアによって、タクシーのシステムも壊されていく方向にある。そういった多くの府民市民が共有してきた、公共空間やコモンが本当に危ういという状況について、マスコミも議会も関心がないように、それがさも、時代の流れのごとく破壊されている状況です。

身を切る改革は誰のためのものか

 既得権益の名の下、府民市民のためのサービスが切り捨てられ、公務員叩きによって、最終的に住みづらい社会が作られている、というのが実態ではないかと強く感じざるを得ません。一体誰のために身を切っているのか。
 万博・IRカジノについても、あれほど反対があり、また無関心であるイベントであるにも関わらず、意に介せず、強行する大阪府市。建設費だけで1人19,000円以上、周辺施設整備、無料招待も全て税金、来場者が少ないことでの赤字補填を考えると、とても実施すべき状況ではないのに、なぜ多くの税金をこの無関心イベントに注ぎ倒すのか。あれほど、ATCやWTCについて、箱物行政を批判していたのに、今それ以上の、壮大な過ちを繰り返そうとしている。
 私たちは、この状況に対して、どうポジティブに次の地平を築こうとしているのか、このゆでガエルのような、切迫した現状をどう訴え、転換していくのかが、来年のucoの方向性でもある。

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