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平和と人権

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平和と人権、平和と市民生活に焦点を当て、日々のくらしの中の平和について考えてみよう、というレポート。空襲や地雷、不発弾の爆発などによって市民が受けた被害に対しては、国からも誰から…
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記事一覧

矢野宏の平和学習 10「なぜ戦時災害援護法にこだわったか」

uco  前回まで矢野宏さんには、大阪空襲訴訟を通じて、戦争被害が市民生活に与える影響につ…

矢野宏の平和学習 09「10歳で家族9人を亡くし、孤児になった」

空襲で家族を失い、戦災孤児になった人たちも心に大きな傷を負っている。喪失感、孤独感にさい…

矢野宏の平和学習 08「生まれて2時間後に空襲に遭った」

空襲による民間被害者を救済することなく戦後ずっと放置してきた国の責任を問うために提訴した…

矢野宏の平和学習 07「大阪空襲訴訟 なぜ提訴したのか」

民間の空襲被害者がなぜ、国に謝罪と補償を求めて裁判を起こしたのかについて、これまで紹介し…

矢野宏の平和学習 06「戦時災害援護法の制定を目指した運動」

 杉山千佐子さんは1972年に「全国戦災傷害者連絡会」を結成。民間の戦災被害者への補償を…

矢野宏の平和学習 05「民間の空襲被害者への補償を求める運動を立ち上げた一人の女性…

 太平洋戦争で負傷した民間人への補償を求める運動は1972年、名古屋に住む一人の空襲被害…

矢野宏の平和学習 04「なぜ、空襲被害者は提訴したのか」

大阪大空襲の被害者と遺族、それに大阪で暮らしている空襲被災者らが国に謝罪と1人あたり1,100万円の損害賠償を求める裁判で、23人の原告が大阪地裁に提訴したのは2008年12月8日のこと。 「大阪空襲訴訟」原告団代表世話人の安野輝子さんら空襲被害者4人は、民間の空襲被害者に補償する「戦時災害援護法」の制定を求める運動を行っていた。 提訴の前年の5月、4人は不自由な体でJR大阪駅前のスクランブル交差点に立ち、署名を呼びかけていた。 マイクを握った小見山重吉さんは14歳の時に

矢野宏の平和学習 03「空襲被害を大きくしたもの その2」

空襲被害を大きくしたものとして、B29爆撃機と焼夷弾を取り上げた。今回は引き続き、空襲被…

矢野宏の平和学習 02「空襲被害を大きくしたもの その1」

今回は、空襲被害を大きくしたものについて考えてみたい。 その一つが、当時、世界最大の長距…

矢野宏の平和学習 01「大阪大空襲を知っていますか」

太平洋戦争末期、大阪は1944年12月から終戦前日の45年8月14日まで50回を超える空襲に見舞…