「山姥切国広単独行-日本刀史-」を観てきました(1ヶ月以上前だけどね!)

「山姥切国広単独行-日本刀史-」の感想もまとめなくちゃな〜って思っているうちに、1ヶ月以上たち、気づいたら本日千秋楽。まずは心から、大千秋楽おめでとうございます。

そして、ネタバレガッツリしながら、感想を書いていこうと思います。あんまり愉快じゃないことも書いてるから、ネガなの読みたくない人はそっ閉じしてください。

今作は山姥切国広の極の修行のその後のお話でした。さらなる強さを求めるために、あの本丸の物語に必ずと言っていいほど絡みついてくる織田信長に会わなければならないと感じた国広は彼の元へと向かいます。そして、日本刀の歴史を辿りながら刀とその物語に思いを馳せ、その先で自らの物語にも向き合うわけですが……

いろいろ合わなすぎ問題

その前に、まず一番に感じたこと言うね……末満さんと笑いのツボが心の底から合わね〜〜〜〜!

面白いか面白くないかって言ったらかなり面白かったんですよ。当然ながら荒牧さんは全力ですし、あんな姿もこんな姿もしてくれる。ほう、信長がたくさんいるのはそういう解釈ね!なるほどなるほどそうくるのね!は〜〜〜〜〜〜〜〜ん?????って予想外の展開にワクワクもしたんです。が…が……

末満さんと笑いのツボが心の底から合わね〜〜〜〜!(2回目)

そうだった、慈伝(これに関しては長義関連のあれこれもずっとモヤモヤしたまんまってのもある)も、感謝祭もなんか「これで笑えないのはアタシが悪いのか?」ってくらい、笑かそうしているポイントがぜんっぜん刺さらなかったんだ。え〜〜〜ん、アタシだってゲラゲラ笑いたいよ〜〜〜〜〜。

さらには小鍛冶のエピソードがギャグパートにされていて、正直これには辟易してしまった。すごくすごく大切なエピソードなのにな……。小馬鹿にするつもりは毛頭ないんだろうけど、だからこそタチが悪いっていうかなんていうか。せめて笑えたらよかったんだけど。えっ、ほんとに全身タイツにキツネの頭のかぶりものってみんな笑えるの? あ、そう……ならいいよ……

そして、何よりも「合わない」って思ったのは、「歴史観」なんだよね。

職業柄、歴史家の先生にお話を伺うことも多いんだけど、その度に思うのが「歴史は多面的である」ということ。そして、誰かが「残そうとした形」でしか残ってないということ。そして解釈はいくつあろうとも、そこで亡くなった命はあり、そこに生きていたのは歴史書の人物だけではないっていうこと。

歴史から「物語」はいくつも生まれていいんだけど、歴史そのものを「物語」としてしまうのはとても危険だと思っていて。だって、そこには誰かの視点が介在している。いや、残そうとした人がいたからそりゃ視点はあるだろうけれども。過去にあった出来事から何かを読み解き、いくらでも思いを馳せていいんだけど(「思いを馳せる」は今回のテーマだったね)、事実は事実で、それ以上でもそれ以下でもないと思うんだ。そして、強い物語をもつ歴史以外もちゃんと存在している。だからこそ「歴史は物語だ」って言い切られた時に「あ、そうくる感じです?????」ってびっくりしちゃった。

荒牧慶彦七変化

ってことで、内容としては面白いけど、なんかこう……思想が合わん! みたいなとこはあるんですが、興味深いとこは色々あったんで、その辺りをざっくりと書いていこうと思います。

前述の通り、今回は日本刀の歴史を巡るっていうのが骨組みのひとつです。ということで、まんばちゃんが、天叢雲剣からの歴史を、その刀にゆかりのある人物に扮して(扮して?ええ、扮して)、その物語を準えます。

舞台上に目隠しを作って早着替えをするのですが、「なんてったってビジュがいい」ってことでどの姿もシンプルに楽しかった。それぞれの人物で太刀筋も違うし、いい意味で大衆演劇っぽいというか、荒牧慶彦七変化って感じで、n年後に明治座とかでみたいな〜っていう思いになりました。

ただ、「山姥切国広の姿じゃなかったんでしょ?」って観ていない友人からも言われてしまったように、そのビジュアルはまんばちゃんらしさを残していたわけではなく、ただ荒牧慶彦七変化って感じだったから(中身はちゃんとまんばちゃんを残していたんですけど、それはお芝居を見ない限りは伝わらないので)「山姥切国広」を感じたくて行った人はどうだったんだろうなっていうのはちょっと思いました。早着替えの都合上、初まんばちゃんの象徴ともいうべきフードもオフでしたしね。まぁここに関しては、一旦極めた後にループしてるから、みたいな辻褄合わせもできますが。

あと、とくに天叢雲剣のときに感じたんだけど、アンサンブルの役者さんたちの芝居が、デフォルメされすぎた芝居でめちゃくちゃノイズに感じた時があったのね。なんなら不快ですらあったんだけど、これ多分、古代史の「物語性」を殊更に強調してる演出なんだろね。だから大袈裟で嘘くさい芝居。後半に行くにつれその要素が薄まってきたから、多分そう言うことなんだろうなって思ってます。もしくは思いをはせるまんばちゃんの解像度が、極端に低すぎたってのもあるかと思います。え、だとしたらあのキツネがああなるのも……?

回収された伏線と新たな謎

今回、ついにあの「朧の山姥切国広」がいかにして生まれたか、そして彼に対してまんばちゃんはどういう答えを出したのか、が描かれました。三日月宗近を救いたいという願いは、言い換えれば「今の歴史を変えたい」という思いでもあり、それは刀剣男士の「本能」からは逸脱している「想い」。だからこそ、「刀剣男士が抱く想い」として存在することはできず、まんばちゃんから分離されてしまったのかな、と。歴史修正主義者と近しい発想のため、時間遡行軍というか、黒田官兵衛をはじめとする朧オールスターズに利用されてしまったわけだけど、そんな彼を討ったのが綺伝の山姥切長義だって言うのがとても熱いですね……(とはいえアタシは執念深いので、慈伝で長義をあんな扱いをしておきながら、都合が良すぎんだろ!とも思っています。執念深いので……)

そして、会場から息を呑む音が聞こえた気がした「山姥切国広が演じる三日月宗近」。ここは流石にひったまげました。まんばちゃんから見た三日月さんってこうだったんだね……。
感謝祭も笑いのツボが合わず、なんじゃこりゃ……みたいな部分が多かったのですが(すまん、令和に髭ダンスパロはきちい)まんばちゃんと三日月さんの入れ替わりは、シンプルに2人の役者さんの技量を感じられて楽しかったんですよね。まさかそれを、こんな形で回収するとか思っていなかったよ〜〜〜!くそ、悔しい、こういうところはほんとに面白い。だから結局「合わね〜」とかいいつつ、見てしまうんだよな。どこまでもダイナミックなホンと演出だよ!

そしてまた新たな謎が生まれたわけですが、アタシが気になっているのは、朧たちは山姥切国広に何を見い出し、なにを託そうとしているのかっていうのと、あのまんばちゃんが円環を巡った先には何があるのかってことですかね。

まずは今夜の大楽に答えがあるのかどうか……アタシは別作品の現場があるので配信を見られませんが、もろもろの悲鳴を楽しみにしております。くそ、悔しいがここも手のひらの上だぜ……。

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