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浮かぶ雲、下から見るか?上から見るか?

おそらく1966年のある日、飛行機に乗っていた彼女は22歳で、ソール・ベローの小説「雨の王 ヘンダーソン」を読んでいた。ちょうど小説の中でも主人公が飛行機に乗っていて、そこにはこんなことが書かれていた。

I've looked at clouds from both sides now.

読みかけの小説を閉じ、何気なく窓へ視線を移すと、そこには小説と同じように雲が静かに漂っていた。
それから彼女はすぐに曲を書き始める。この時はまだ何者でもなかった彼女の名前はジョニ・ミッチェル。そして、その曲はのちに「Both Sides Now」というタイトルでポップ音楽史に残る傑作となった。

この曲の歌詞は大きく三つのパートで構成されており、それぞれ「雲」「愛」「人生」が主題となっている。そして各主題に対する過去と現在の視点が描かれ、交わっていくのを三回繰り返すというのが基本的な構造だ。三つ全部だと少し長いので、今回は最初の「雲」についての歌詞を紹介したい。

Rows and floes of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way

まずはこんな言葉から始まる。冒頭からいきなり「Rows」と「floes」で韻を踏んでリズムを作っていき、各文末では「hair」「air」「where」でそれぞれ韻を踏んでいく。ここまでは非常に固く進めていくが、最後の文末は「way」と踏まずに抜きを作っている。

重なり流れゆく天使の巻き髪
空に浮かぶアイスクリームのお城
そして羽毛の渓谷はいたるところに
私はそんな風にして雲を見つめていた

和訳してみると、なんとも可愛らしい歌詞でほっこりとする。天使やアイスクリームなど、子供と親和性が高い言葉を使うことで無垢な印象を上手く作り出してもいる。そして、最後の一文でこれが過去の視点であることが分かる。

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way

冒頭での韻は踏まないが、文末の「sun」「one」「done」では先ほどと変わらずきちんと踏んでいる。そして最後の「way」は先ほどの過去パートの最後にある「way」と揃えることで、過去と現在が明確に対比されるようになっている。

だけど今では雲が太陽を遮って
人々に雨や雪を降らせてる
私にはやりたいことがたくさんあったのに
雲が覆い隠してしまった

過去パートと打って変わって辛い現状だ。あんなに可愛らしく輝いていた日々はすっかり暗く沈み込んでいる。ここでの雲は行く手を阻害する邪魔なものとなってしまった。まるで自分を祝福していると信じていた人に裏切られたような気分だ。それと同時にこの対比がどうやって着地するのか、俄然気になってくるではないか。

I've looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It's cloud illusions I recall
I really don't know clouds at all

ここでは1,2行目の文末にある「sides now」と「somehow」の組み合わせと、3,4行目の文末にある「recall」と「at all」の組み合わせで韻を踏んでいて、内容もきちんと分かれている。
そして、なんと言っても最後に間を置いて「at all」と歌われることの余韻がとても味わい深い。是非そこにも注目して聴いてみてほしい。

私は雲を両側から見てきた
上からも下からも
なのに、どうしてだろう
思い描くのは雲の幻影だけ
私は本当に雲のことを分かってない
これっぽっちも

「上から」というのは現在の飛行機から見ている視点で、「下から」というのは幼い頃に地上から見上げている視点だ。そして、自分が成長する過程で両方の視線が交差して分かったことがある。それは「分かってない」ということだ。しかも、これは歌の最後まで続いていき、結局「愛」も「人生」も分からないまま立ちすくむ様に終わっていく。
物事には明るい面と暗い面が同時に存在しており、その中にある本質は簡単に見つけられないことを彼女は理解していた。前を向いて乗り越えようなんて安易な言葉は選ばない。なんて信頼が出来るソングライターなんだ。さすがはジョニ・ミッチェル。

曲を書き上げたジョニは当時すでにフォークシンガーとしての地位を確立していたジュディ・コリンズに電話をした。ジュディは若き才能に対する優れた審美眼を持っており、彼女が採用して歌ったことで有名になったソングライターは数多くいる。ジョニが電話した時は真夜中で、ジュディは泥酔してほぼ気を失っていた。しかし、電話口から聴こえてくる歌声を聴き、ジュディはこの曲が特別であることをすぐに確信した。

ジュディ・コリンズ(左)とジョニ・ミッチェル(右) ローレル・キャニオン

そうして「Both Sides Now」は1967年にジュディ・コリンズの6thアルバム『Wildflowers』に収録され、1968年10月にはシングルカットされた。シングルは全米8位を記録し、映画「Changes」の主題歌にもなった。ちなみに日本でも「青春の光と影」というタイトルでリリースされヒットしている。
ジョニ自身が歌ったものは1969年の2ndアルバム『Clouds』に収録された。そして、2000年にはオーケストラ・ヴァージョンとして再録音もされている。

2022年に作品賞を含む三部門でアカデミー賞を獲得した映画「コーダ あいのうた」では親元を離れ、遠い大学へ通うことを決意した主人公が自身の心情を歌い上げるという印象的なシーンがある。そこで歌われたのが「Both Sides Now」だった。それがきっかけで、この曲は再び脚光を浴びている。

それにしても「Both Sides Now」はどうしてこんなにも聴く人たちの心をとらえて離さないのか。なぜこの曲は何年経っても色褪せることがないのか。この曲が持っている魅力の本質とは何なのか。
実のところ、その答えなんて、私にはこれっぽっちも分からないのだ。

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