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殴る方だって痛いんだぞ!(ほんの少し)

「殴る方だって痛い」という言葉を実際に言われた人は少ないかもしれないけれど、聞いたことがある人は多いと思う。しかし、結論から言えば殴られる方が圧倒的に痛い。そんなことは自明の理なのだ。例えば、指導という言葉を履き違えた身体的暴力は大半の人が駄目だと思っているだろう。むしろ、それを大丈夫だと思っている人がいたら即座に見直すことをお勧めしたい。

対して身体的な暴力ではなく言動の場合はどうだろうか。ことの大小はあれど、それは意外と頻繁に起きていると思う。例えば、あなたが恋人や友人から「この前、Aさんからこんなことを言われてひどく傷ついた」なんて相談を受けたとする。あなたは「この前、君はそれと全く同じ言葉を私に言ってたじゃないか!」なんてことを思いながら聞いている。あるいは、上司から面倒な仕事を押し付けられて困り果てていた同僚が、翌日には後輩にもっと面倒な仕事を平気な顔で押し付けていた。なんてことは自覚の有無に関わらず割とよくある話だ。「そんなこと言ったらお前だってそうだろ!」と言われてしまえば、かく言う私だってその1人。はい、その節は大変申し訳ありませんでした。

改めて何が言いたいのかというと、加害者よりも被害者の方が圧倒的に辛いし傷つく、ということだ。そして傷つけられた記憶は案外根深く残るもの。たとえ加害者側は「お互いの信頼関係があるから大丈夫」だと思っていても、被害者側は「親しき仲にも礼儀あり」だと思ってることだって往々にしてある。そして、それが完全に無くなることがあるのかというと、残念ながら近い将来では難しそう。なぜなら誰しもが加害者にも被害者にもなることが頻繁に起こりえるからだ。とはいえ、それがまるで存在しないかのように振る舞う訳にもいかないし。

そんな悶々とした気持ちに改めて気づかせてくれたのが『ハッピー・オールド・イヤー』という映画だ。2019年にタイで製作されたこの映画のストーリーは概ねこんな感じである。

【ストーリー】
タイ・バンコク。スウェーデンに留学していたデザイナーのジーンは、帰国後、母と兄のジェーと3人で暮らす自宅のリフォームを思い立つ。かつて父が営んでいた音楽教室兼自宅の小さなビルを、北欧で出会った“ミニマルスタイル”なデザイン事務所にしようというのだ。しかし、ネットで自作の服を販売する兄は“ミニマルスタイル”をよく分かっておらず、母はリフォームそのものに大反対!内装屋の親友・ピンクには、年内中に家を空っぽにするよう諭されるが、残された時間は1ヶ月弱…。
家じゅうに溢れかえるモノを片っ端から捨てて “断捨離”をスタートさせるジーン。
雑誌や本、CDを捨て、友人から借りたままだったピアス、レコード、楽器を返して回る。しかし、元恋人エムのカメラ、そして、出て行った父が残したグランドピアノは捨てられず…。いよいよ年の瀬。果たしてジーンはすべてを断捨離し、新たな気持ちで新年を迎えることが出来るのか?
※公式サイトより転載

あなたはこれを読んでどんな感想を持っただろうか?もしかしたら、物と記憶の繋がりを辿るハートフルなヒューマンドラマを想像した人もいるかもしれない。その予想は半分アタリで半分ハズレだ。確かに物と記憶の繋がりはこの映画の中で繰り返し出てくる重要なテーマである。しかしながら、ハートフルでは全くない。この映画で描かれていることはもっと真摯で、残酷だ。

この映画で主人公のジーンは前段で書いてきたような加害者と被害者を全編に渡って行き来することになる。例えば、ジーンが断捨離のために親友であるピンクから貰った物を捨てていたことがバレるシーン。ジーンは「そういうことばかりを気にしていたら、いつまでも作業が進まないの」と説得を試みる。加害者であるジーンは自分の理をピンクに伝えることに必死だ。しかしその後、幼い頃に自分があげた物を兄が捨てていたことをジーンは発見してしまう。先ほどから一転して被害者となったジーンは深く傷つき、ピンクがあの時にどんな感情だったのかに初めて気づくことになるのだった。

その後もジーンは友人、家族、元彼、元彼の彼女などとの関係の中で加害者と被害者の間を繰り返し行き来していくことになる。なんとか状況が好転するように奔走するジーン。しかし、もはや手遅れな状態になってから自分が加害者だったことに気づいてしまうなんてことも。そして、その逆もしかり。

果たしてこの映画はどのような着地を迎えるのか。ここがまた何とも言えない絶妙なバランスなのだが、そこは是非とも映画を実際に観て確かめてみて欲しい。

というわけで個人的には観てからしばらくいろんなことを考えてしまう、決して忘れられない大切な映画になりました。まだ観ていなくて興味を持たれた方はぜひチェックしてみてください。


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