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Vol.2 ナイキはジョギングシューズだった

人類初、エリウド・キプチョゲが公認大会ではないにしろ42.195kmを2時間かからず(1時間59分40秒2)走り抜いたときの靴はご存知「ナイキ」。あまりに速すぎる、他ブランドのやっかみもあって、世界陸連はプロトタイプ(特定選手カスタムモデル)を使用禁止とし、大会で履いていいのは、出場レースの4ヶ月前から一般市場で販売されていて、誰でも購入できる靴、と決めた。「ナイキ」の厚底はそんなに違うの、そんなに速いの? 凡足ランナーには縁もゆかりもない話だけど。
 
世界一速いランニングシューズを作るナイキ、実は創業当時はジョギングシューズ・メーカーだった。

かかとが切り落とされたナイキのベストセラー

前回Vol.1をもう一度ごらんいただきたい。1976年「ポパイ」創刊号では新しい若者の「ファッション」としてアメリカ西海岸のジョギングブームを紹介。「shoes for jogging」の見出しをつけて現地で大人気の「ナイキ・ワッフルトレーナー」を、なんと2ページまるまる使って特大写真を載せている。

日本では速度の遅いランニングをジョギングと呼ぶから、ジョグ靴といわれても、はあ? だろうけど、当時の米国ではその違いは大きい。まったくの別モノ。

かかと着地が望ましい

ポパイはそのページで「How to jog」として、こう説明している。
《ジョギングに最も適した走法は、まずひざから足をあげ、くるぶしはフリーにしておくこと。接地は毎回、足をひざの真下におろし、かかとから接地し親指のつけねのふくらはぎを最後にはなす Heel to toe/ヒール・トゥ・トウ走法がのぞましい。かかとからおりると、かかとが接地のさいのクッションとなり、それから体重を前に移動するわけだ。長距離ランナーの70%が、このヒール・トゥ・トウ走法で走っている・・》

そう、その当時のアメリカのジョギングは、なんと、かかとから着地するのだ。加えてポパイは見開きページどかんのワッフルトレーナーのかかと部分から線を引き出して、こう書いている。

《つま先と同じように、かかとも斜めにカットされてワッフル・ソールがヒールカウンターのレザー部まで上がってきている。これは足を踏み下ろしたときの接地効果をよりよくするためだ・・》

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40年も前だし、ジョギングに初めて出くわしたポパイだから文章にヘンなところはあるけれど、ほらこの通り、ワッフルトレーナーのかかとは、斜めに削られている。ここで着地するんだよ、と。

英雄プリフォンテイン

ここでどうしても脱線しなきゃならない。「希代の名選手」は世界中に掃いて捨てるほどいるけれど、米国で、陸上競技で、といえば中距離走のスティーブ・プリフォンテインしかいない。ハリウッドが黙っているわけもなく、もちろん映画にしている、それも2本も。どのくらいのスーパースターかおわかりだろう。

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ジャレット・レト主演の「PREFONTAIN」。そしてもう1作はトム・クルーズ(!)制作の「Without Limits」。プリをビリー・クダラップ、コーチをドナルド・サザーランドが演じている。

プリは下層階級の出身、美形(大事だよね)で、圧倒的な走力を持ち、走ることそのものが大好きで、どんな距離種目にも挑戦して、しかも速い。かっこいい。また、アマチュアリズムに固執する当時の全米陸連に対し、アスリートの権利を訴え、権威体制と戦い続けた英雄でもある。

走れば新記録

全米大学選手権で7回優勝、全国民の期待を一身に背負い72年、21歳でミュンヘン五輪に5000mに出場するも4位(この戦いっぷりは鳥肌もの)。メダルに届かず挫折を味わうのだけど、大復活。なんとなんとプリは74年2月から75年5月のほぼ1年間で、アメリカの中距離種目のほとんどの記録を塗り替えてしまう。

1マイル、2000m、3000m(2回更新)、2マイル、3マイル、そして1万mと6マイルは同じ日にそれぞれを新記録で走っている。この1年、プリはどの種目に出てもアメリカでいちばん速い男だった。

わずか24歳、プリは交通事故で最期を迎える。全米が歓喜し、そして涙にくれた不世出のヒーローは、オレゴン州ユージーンのナイキ本社前のウィラメット川に沿った「ジョギングコース」にその名に残している。母校オレゴン大学のそばから始まる5.5kmのウッドチップが敷き詰められた、世界一走りやすい「Pre's trail」のことだ。

ワッフルソール

本線も戻って。プリフォンテインの師ともいうべき男が、D・サザーランドならぬオレゴン大陸上部コーチのウイリアム・ジェイ・バウワーマン。のちに、これまたオレ大陸上部員のフィル・ナイトとともにナイキを創設するビル・バウワーマンだ。ついでいえば、バウワーマンの愛弟子、プリフォンテインは世界で最初にナイキを履いて、レースに出た男でもある。

映画では台所のワッフル焼き器に生ゴムを流し込んで、D・サザーランドがカミさんに叱られてる。恐妻家であったかどうかはともかく、バウワーマンは新しい靴底を、トラクション(路面へのひっかかり)とクッション、柔軟性を改善しようと新しい靴底を考案した。まるで焼いたワッフル、だからワッフルソール。

速く走るためのかかと着地

誰もが健康を求めていた時代。走ることはカラダにいいことだ、プリフォンテインの活躍もあって、全米全国民が走り出そうとしていた時代。

ナイキを売る人になったバウワーマンは考えた。ゼーハー必死に足を動かせば誰でも速く走れる、でも、ラクなのに速く走れたらどうだろう? そこで走法そのものを考えた。ストライドの広い一歩なら、狭い一歩より距離を稼げる。同じ運動時間なら速く走れることになる。

そうだ、かかとから着地すればいい、一歩の幅が広くなる。そのアイディアと靴を一緒にしたら売れるじゃないか、バウワーマンはかかと着地のジョギングを思いついた。

ここから先は例の「ボーン・トゥ・ラン/BTR」にも書いてある話。かかと着地による足の障害は考えなかったのか、と著者のC・マクドゥーガルは本の中でナイキをコテンパンにやっつけてゆく。

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ともあれ、バウワーマンは Heel to toe のジョギングを提唱し、心臓病の権威W・E・ハリス博士と共著で「Jogging」を書いている。そんなことから当時のナイキは広告戦略上、ジョギングシューズということになる。繰り返すけどナイキのベストセラーモデル、ワッフルトレーナーはかかとがすっぱり切り落とされているし。

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その10年後1986年。「ターザン」創刊号を作るためにL.Aのランニング専門店をまわったとき、行く先々で「ナイキはジョギングシューズでランニングには向いていないんですよ」と在庫を置かない店が多かったことを覚えている。うーん、ナイキは自らの首を締めちゃったのかなあ。

そして2021年。いまやナイキは超プレミアムのランニングシューズを作っている、人類の歴史を塗り替えた世界最速の、使用禁止になるくらい速い靴を作っている。

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