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無色透明

感情というものは、勝手なもので私の来ないで欲しい時に、不意にブレを起こしてくれる。
ひとりでいたいけど、ひとりでいたくないときみたいな、ハッキリしない、至極面倒な感情を私に与えてくる。
部屋のソファに座って何も考えてないときに限って。

自分は、誰かに求められているのか、求められたいのか、放っておいてほしいのか、よくわからなくなるときもあって。友だちと会ってる時はそんなことを考えることもないのに、誰とも話さない時間が長くなってきたこの年齢になると、昔に比べて寂しい感情が増えたのだろうか。あんなにひとりでも生きていけるって思っていたのに。

年上、年下に関わらずコミュニティを形成してる集団をみて、そこに自分がいても、無色透明に近い存在になっていってる気もしている。さっきそんなこと考えもしないと書いたのに、ふと俯瞰しているときもある。自分はここにいていいのかと。そんな人間はどうやって色をつけていけばいいんだろうか。

大人になって、友だちも出来て、いろいろ移り変わりはあったけど、今は彼氏もいて、周りから充実しているように見えているんだろうか。何かいつも不足している感覚に侵されてしまったのか。矛盾しているいびつな想いは誰かに話したところで、はいはいと聞き流されるのがオチだ。何も解決を見出すこともないし、独りよがりなのだ。そう、満たされることはないことをどこかでわかっているのだ。何かを得れば、また欲しくなる。欲の強い人間なのだ自分は。

これから夜が明ければ、こんなことなんで考えていたのだと、戸棚の上にそっと置いて忘れる制御は備わっている。ただ、夜になるといつの間にか手のひらに置かれている。不思議な不器用な感情だ。面倒なわたし。

ただ、友だちいなくて嘆くとか、誘われてないと寂しがるとか、そういうことではない。信頼している友だちもいるし、誘われても行かない選択肢も持ち合わせている。自分と関わりをもってくれる人はみんな大好きだ。(全部じゃないけど)
それなのに、こんなことを考えるのはいっときの眠れない夜のせいである。いつも眠れないんだけど。


というのを昨日の3時くらいに書いてたのを24時間後の今、見返している。本当に自分って面倒な人間なんだなとおもう。やっぱり1人でいるのは、年齢と共によくないのかも。誰かに少しでもいいからそばにいてもらえるだけで、違うのかな。


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