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ゆっくりといくこと

フラットにいることを大事にしていきたいなということを、最近思います。ここ数年に起こることすべてが世界や世の中の二極性や二元論を見せてくれてるなぁと思っていて、今までそのことに気がつかなかったのだけれど、今の自分が中立を感覚として得たことはすごく大きくて。で、なんで今まで中立の感覚を持てなかったのかと振り返ると、それってただただ忙しかったんだなぁと。それは仕事だったりプライベートだったり。単純にアラフォーに差し掛かる手前で、いろんな刺激を得て自分を保ったり、自分を知るというフェーズから、一個抜け出したのかもなんっ。

なんつって今はぼーっとする時間をたくさん持つようにしています。でもこれって20代後半に実は自分の中で始まっていた流れでもあるんですよねぇ。インプットインプットしないと自分って何者でもないかも、って揺らいで焦っていたところから、ある日インプットを極度に減らしていったんです。そのときそのときの、感覚に身をゆだねたくなったタイミング。前にもどこかで書いたかもしれないんだけれど。

んでね、フラットにいるためには、ふらふらっといることなんだなーと。情報を入れすぎたり、人を気にしすぎたりすると、二元論や二極性に、巻きこまれちゃうんだよなー。それすらも悪いことではないんです、ただ、求めるって=自分の中の何かが足りないってことになっちゃうんだよね。求めなくても、目の前にやってくることにすべてが詰まってるんだよねぇ。ふらふらっと、近所を常に散歩しているおじいちゃんのような心持ちで、風に揺られるように、ふらふらとたゆたうことでまた見えてくる世界があるし、やっぱりすべて

これでいいのだ

精神で見えてくる豊かさと落ち着き、安らぎとあたたかさがあると思うんだなぁ。
自分はじぶん、人はひと。
今、和病に、みんな巻き込まれてるよね。でもさーそれって教育、だし、刷り込み、だからなぁ(笑)思いやりっていう脅迫がそーっとぞーっとみんなの側にある。

各々が個々に生命を発揮し合う。
そうすると、いざという時に、助け合えると思うんだな。
これから、そういう時が流れる、と気がつくとるんるんするんよねん。

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