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シンプルなままで

 いつも恋愛の悩みを語ってるけど、本来恋愛脳ではない。1人でも十分充実できるし、ありがたいことに友達は結構多い。休日の予定はいつも埋まってる。だから、私にとって恋愛って必須ではなくて、嗜好品って感じ。恋愛してなくても何ら困らない。でも、好きな人がいると少し気分が上がる時がある。彼氏がいると予定が増えて楽しくなる。ちなみに好きな人は二次元で、彼氏は三次元。もしも好きな人と付き合えていたら一点の曇りもない楽しい人生なのに、時々悩みを書き出しているのは好きな人が二次元であるから。いわゆる「普通」でないから。
 私の初めての好きな人は二次元で、恋愛的に好きになったのは彼しかいない。なのに、三次元でも彼氏はいる。今までは、告白されても断ってきた。ここが気に入らない、価値観が合わない、私のここを認めてくれない、とか断る理由があったから。いや、何様だよって話だけど、断る理由があるような人のために時間を割いてあげるほど私は献身的じゃないし、暇じゃないの。私の休日は基本予定が入ってるのよ。そこを空けてあげるんだから、納得できる人じゃなきゃ嫌。わがままって言われてもいい。だって、私は私のことが一番大切だから。私は自由に生きればいい。でもね、今の彼氏には断る理由なかったんだよね。私の好きなものを尊重してくれるし、一緒に興味を持ってくれる。私が嫌いなことはしないし。私のことを急かさないし、面倒臭がらず合わせてくれる。正直、なんでそんなに甘やかしてくれるのかわからないくらい。ね?断る理由がなかったでしょ?
 恋愛的に好きなのは二次元の彼、でもなんでか三次元に彼氏いるよっていうのが今の私。なんだか上手く行ってるようにも見えるけど、噛み合ってないような気がする。たまに「何やってんだろ、私…」って思うような、そんなこの頃。自分でもよく分かってなくて言語化できてない。だから、たまには恋愛の悩みじゃなくて、私の普段の話とか価値観とか、書いてみようかな。私の性格ってaセクaロマの影響もあってこうなんじゃないかなって思うこともあるし。ただの自己満足だから、大して面白くないと思うけど…。

 私の日々はシンプルで、純粋。それに尽きる。自分が幸せなのが一番。自分の周りも幸せなら自分も幸せになれると思う。自分と大切な人たちにしか興味はない。職場が一緒の人とか、その程度の関わりなら興味ない。なんだっていいよ。シンプルでしょ?シンプルだと、いつも前向きでいられて、楽しい。
 朝起きると、朝日が輝いていて嬉しい。だって、明るい私の人生にふさわしいから。朝ごはんに好きなものを食べれると嬉しい。アメリカのカートゥーンに出てくるようなカラフルなシリアルが好き。味じゃなくて見た目が良い。楽しくって踊りたくなるようなポップさ。果物もつけよう。オレンジかメロンかさくらんぼか梨が好き。時間があれば紅茶も入れたい。紅茶には蜂蜜を溶かそう。蜂蜜というのはとびきり良い。まばゆい黄金色に輝きながら、世界を映してくれる。琥珀の国の王様になったような、不思議とおおらかな気分になれる。
 晴れた日というのはいつの季節でもいいものだ。春の柔らかな日差し、夏の眩しいくらいくっきりと光る入道雲、秋の抜けるような青空、冬の少しミルキーな空。それから、そよ風が吹くとなお良い。太陽の熱と地球の自転を身体中で感じる。駅までの道はのんびりと歩いてもいいし、自転車で風を切るのも良い。
 晴れた日が好きだけど、曇りも雨も好きだよ。毎日好き。雨の日は世界の境界が曖昧になる気がする。なにより雨の匂いが好き。この世の悩みを洗い流すような土砂降りはいい。できれば傘をささずに全身で浴びたいくらい。
 電車も新幹線も飛行機も船も、人間の作り出した乗り物はわくわくする。旅に出て、知らないところへ行きたくなる。私以外の生き物が生息するところ。仕事に行くのは、遊びに行く日ほど楽しくはないけど、通勤時間は好きな音楽を聴いたり、本を読んだりできる。たくさんの人がいる中で私は私として生きていて、そのことが何よりも幸せだ。本は昔から好き。宇宙や鉱石について、画家や音楽家について、この世界の知らない国について。違う世界に行きたいというより自分の知らないことを知りたいという知識欲が強いかもしれない。
 昼休みは至福の時。その日の気分で好きなものを食べよう。定食、ハンバーガー、パスタ。何が良いかな。気ままに一人で食べるのもいいし、誰かと食べるのも楽しい。
 帰り道の夕焼けも好きだ。時間と共に空の色が移り変わる。赤にオレンジ、紫、藍。夕方ってのは、他のどの時間よりも色が鮮やかだと思う。朝は水彩。昼間は光。夕方は色。夜は言葉。
 訪れた夜は穏やかなひととき。静けさが心地よい。空を見れば月と星。光ですら何万年もかかる彼方からはるばる地球へ反射してきた光をこの目で見ている。もうその星は爆発し存在していないのかもしれない。光だけが届いているのかもしれない。それは時を超えたレターだと思う。この世に存在しなくても見えるものがあるんだ。
 夜はチャイを飲むのが好きだ。スパイスがチリリと刺激的だか、それを包み込むようなミルク。お砂糖たっぷりが本場流らしいというのを言い訳に砂糖を溶かす。あとは中国茶も好き。あの美しい金色の茶からは花の香りがする。あんなに小さく縮こまっていたのに、お湯を浴びればぶわっと広がる葉っぱ。金色に染まる湯の中を、自由に泳ぐ葉っぱは気持ちがいい。
 たまに自分へのご褒美でお菓子を買う。華やかなケーキ、可愛らしいマカロン、気軽なクッキー、繊細な和菓子…夢が詰まっている。幼い頃から今でも、スイーツへの憧れは変わらない。
 元気な日はストレッチとか運動をしよう。自分が好きな服を綺麗に着こなしたいから。別に痩せなきゃとか、デブはだめだとかいうつもりはなくて、私の好きな服を一番よく見せられる体型になりたいだけ。
 楽しい1日を過ごした後に、柔らかく温かいベッドで眠れるというのはなんという幸福か。世界に感謝して眠りに着こう。明日も目が覚めて、この素晴らしい世界に出会えますようにと願いながら。

 とても単純だ。私のスタンスや感受性は幼い頃からあまり変わらない。まるで子供みたいでしょ?この単純さゆえに幸せだ。満足している。でも周りはみんな色々考えて感じて生きているんだな、と思う。中でも恋愛に関する感情は私にはずっと理解できない。恋に浮かれている人とか失恋に打ちひしがれる人とか、相手の浮気に気づきつつも関係を壊したくなくて…みたいな病んでる人とか、なんて感受性が強いんだろうってびっくりしていた。私が恋愛的に人を好きになるという感情を知ったのは、つい数年前だ。恋をして一喜一憂している人たちはずっと不思議だったし、今もそんなにはわからない。恋愛の悩みがないから、周りと比べると、自分の繊細さが足りない気がして恥ずかしかった。私はあまり悩んだり、病んだりすることがない。だから自分は考えが浅いんじゃないか、感性が発達していないのではないかと思っていた。
 でも今はこの自分に満足してる。世の中の広さというのは、皆変わらないはずだ。この世界の広さは平等だ。でもどこを見るかは違う。例えば光当たる部分が5、影の部分が5、合わせて10だとする。このうち3が見れるとする。3全てが影の部分にしかならない人もいる。1と2に分ける器用な人もいる。私みたいな3全てが光の部分にしかならない人もいる。それは自由で個性だ。優劣はないと信じている。影を見る人の目に映る景色は、私には見えないから素直に素敵だと思う。その感性を言葉や絵や音楽で表現したのを見るのも好きだ。「感受性が高い」と私が思うのはそういうもの。でも、私が見る光の世界もまた彼らには全ては見えないだろうと思う。私は、この眩いほどの光に視界を覆われている。光というとプラスのイメージがあるが、そういうわけではない。幸せと感じるポイントは人によって違う。幸せはどこにでもあって、決して光の中にのみあるものではない。影の中で強くなる幸せもある。だから、どこを見ていても同じことでしょう?自分に見える3の中で幸せを探していくんだ。私は感受性が劣っているわけではなくて、光を見つめる才能があるって思うようにしたんだ、最近。

 私はあまり人に興味がない。家族や友達や彼氏のことは好きだし、大切だけど、向こうが私と離れたいと思うなら好きにしたらいいと思う。何をしていてもあまり興味がない。幸せでいてくれるなら、どんな形で日々を送ろうが私にとっては些細なことだ。私が幸せで、私の大切な人も幸せなら、もうなんだっていい。そして、自分の幸せは自分で作れるので、相手への注文とかもない。あまり怒ることもない。あ、でも機械が言うこと聞かない時とかは怒る。さっさと動きなさいよとか言う(笑)。だから気が長いとかじゃなくて、人に興味がないってこと。よく優しいと言われるけど、そんなことない。「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」とか言うでしょ?優しいどころか冷たい人間だよ。「良いよ」っていう言葉は、「(なんでも)いいよ」ってこと。人に興味がないと、日々はシンプルだ。

 大体さ、この星にはたくさんの生き物がいて、それぞれに世界や考え方があるんだよ。さらにその外側には日々大きくなり続ける宇宙がある。広大すぎるこの世界で、1人のホモサピエンスなんて、あまりにも小さな存在。解明されていないことは山ほどあるし、私たちはまだ宇宙の大きさを掴めてすらいない。そんな状況で、私の悩みなんてほんのちっぽけなことだ。だから悩まなくたって良い。でも悩んでも良い。どちらにしろ世界では些末なことだ。なんだって良いと思うと気持ちが安らぐ。私の普通じゃない恋も、世界から見たらあまりに小さくて普通かどうか判断できないくらいだろう。

 人に興味はないって言ったけど、好きな人のことは別。好きな人っていうのは二次元の人ね。行動も考えも事細かに知りたいし、私の元を離れたら絶対イヤ。嫌いって言われたら寝込む。こんなにも好きなのに次元が違うなんて悲しいね。でも、最近、次元が違うことによって絶望する頻度が減った気がする。前は寂しい夜にふいにその絶望が襲ってきたけど、最近はめっきり減った。三次元の彼氏がいるおかげかもしれない。時折、罪悪感とか違和感を感じるけど、なんだかんだ人生上手く行ってるのかもしれない。

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