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【日記】『イエスタデイをうたって』が持つ半径数メートルのリアリティ

2020年4月23日(木)現在23:30ごろ

今日は、現在放送中のアニメ『イエスタデイをうたって』について書いてみようと思います。現在、第三話まで放送されている本作ですが、なんとなく自粛ムードで内省的になる今、この作品を見ているとなんだかこれが現実の物語として見えてしまう、そんな魅力が本作にはあると思います。

そんな本作の見どころについて、なんとなく書いてみようと思い、自身のアニメレビューシートを見返してみると、三話まで見ていく中でだんだんと本作の主題、テーマが掴めてきたような気がしたので、アニメレビューともいえないようなあくまで日記風の記事ではありますが、書き記していこうと思います。

まず、本作の第一話は「社会のはみ出し者は自己変革を目指す」。
主人公の魚住が、自己変革を試みて、大学時代の旧友・森ノ目榀子に告白しますが失敗して、魚住は結局変われずにいました。

第二話の「袋小路」では、本作のキーパーソンであるカラスを連れた謎の少女・中野晴と、榀子の亡くなった幼馴染の弟・浪、そして榀子と魚住が、入れ代わり立ち代わりで登場し、本作に横たわる何か哀愁のような、ノスタルジーのようなものを感じさせ、伏線を張ります。

そして、第三話「愛とはなんぞや」では、魚住と榀子が続けて夏風邪をひき、お互いを看病するというなんだか二人の関係性を考えると非常にあいまいな思わせぶりな態度を見せます。榀子も魚住を受け入れることで、過去の呪縛から放たれんとする思いがあるのでしょうか。つまり、自己変革を試みようと。

しかし、一方の中野晴は、榀子の看病を理由に映画デートの約束をすっぽかされて、待ちぼうけ。電話番号も聞かないで、いつでも魚住と距離をとれるようにしていた自分に気付き、それでいいんだと割り切ろうとしていたところを魚住が通りかかり、魚住に引き留められたことをキッカケに、改めて自己紹介をするという形で、逃げ場をなくし距離を詰めます。

こうしてみると、現時点では中野晴が唯一自己変革に二度も成功している。そんなような気がします。それに比べて、魚住も榀子も現状にダメだと思いながらも、同じところをぐるぐる回り、それでいて日々をあいまいに過ごしてしまおうとして、これに葛藤もしています。

本作のテーマは、「矛盾」特に、人間関係と自分自身に対する「矛盾」だと感じます。普通、物語はこういった矛盾や、あるいはこちらが立てばあちらが立たずというトレードオフの関係で、二者択一を求められ、それに葛する姿を描く。これが、ドラマの大原則ですね。

本作の登場人物もみな、榀子も魚住も、そして浪も、晴だって、矛盾を抱えてます。欺瞞と言い換えてもいいかもしれません。そういえば、『俺ガイル』も、「青春は欺瞞である」として、比企谷は最終的にこの欺瞞を受け入れることで、青春を選ぶことにするというエンドを迎えたと思うのですが、本作が特徴的なのは、この矛盾が単純な選択を要求するものではなく、むしろあいまいに溶かしてしまえるようなそんな矛盾であるところです。

事実、3話までを見ると皆同じところをぐるぐるしており、前に進んでいるように見えてもその場で足踏みをしているだけ、同じところで悩み続けます。三角関係でありながらも、結局は自分自身に向き合わせる自己内省的な物語だからドロドロしないのかもしれません。

現実の世界の悩みは決して、答えが決まるようなものだけではありません。むしろ大抵の悩みは、かっこ入りで保留してしまったほうが楽な問題ばかりです。答えがわかっていても、もう一方の自分がその答えを認めたくなくて手が出せない。そんな気持ちだって生まれます。トレードオフの関係から二者択一を選んで、自己を再定義することでそれを成長とみなす。そんな、従来のドラマ、成長物語とは一線を画す本作。むしろ、矛盾を抱えたままあいまいにして過ごしていく、現実の等身大の人間の姿を丁寧に描く。そんなリアルドラマテイストの本作は、半径数メートルのリアリティを持っている。

この雰囲気が本作の魅力であり、これが全体のテーマとも絡む。非常にクオリティの高い作品だと思います。まだ見れていない人は、dアニメストアなどでチェックできますから、ぜひ自粛のお供に見てみてはいかがでしょうか。


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