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心の問題について相談されたら

大学に入って色々な分野の学問を学んできましたが、その中でも1番惹かれたのが感情社会学という社会学の講義でした。ジェンダー、整形、虐待、障害、恋愛など、様々なカテゴリーについて、人間の社会的な面と感情的な面から考えるような講義で、社会と感情がいかに通じているかというのを痛感しました。

感情社会学という講義に出会って、沢山の事柄について考える中で、自分自身にとってとてもプラスになったなというテーマの回がありました。それは強迫性障害についての講義の回です。

強迫性障害とは、自分の意思に反して、不合理な考えやイメージが頭に繰り返し浮かんできて、それを振り払おうと同じ行動を繰り返してしまう病気です。

佐藤二郎さんが監督を務めた「memo」という映画の中では、メモ強迫や洗手強迫がやめたくてもやめられない人々の苦悩が描かれていますのでぜひご覧になってください。
https://m.youtube.com/watch?v=D1KTi7ZaUlE

授業でこの話題が取り上げられた次の回の授業で、授業後提出した感想レポートがいくつか紹介されるのですが、300人程度いる授業の中で30人超の人が、強迫性障害の症状に共感するという感想を寄せていたことにとても驚きました。

実は私自身も似たような症状を持っていて、満員電車に乗ることができません。電車乗ってドアが閉まりそうになるとかけ降りるというのを何度も繰り返してしまいます。(この、私と電車の話は別の回で取り上げようと思います。)

私は中学生時代に急にその症状が出始め、病院で特定の場所で起こるパニック障害と診断されましたが、そのような症状を持つことは「異常」だと思い、周りには隠してきました。

でも今回の授業の感想に寄せられた沢山の共感の声を知って、なんだか肩の荷が降りたような気がします。みんなそれぞれ怖いものがあったり苦手なものがある。それは異常なんかじゃないし、恥ずかしいことでもないと受け入れることができました。

全ての不安要素を症状に当てはめることが正しいというわけではないけれど、全く同じ苦しみではないにしろ、同じことで悩んでいる人が同世代に、身近にいるんだということがわかることはとても心強いことで、力をくれます。

そこから少しずつ周りに打ち上げられるようになり、乗り換え駅を変えて途中まで一緒に乗ってくれたり、1人だと感じないよう電車の中でイヤホン越しにラジオのように喋ってくれる友達が増えていきました。

そんな風にもし身近な人に心の問題について相談される機会があったら、ぜひそういう寄り添い方をしてみてください。「それは気持ちの問題だから心を強く持って」とか「大丈夫って思い込めばいい」とか「頑張って乗り続ければ治るよ」とか。そういう気合い論を押し付けられるのは私にとっては逆効果でした。言われるととても悲しくなるし、重荷になる。わかってくれないことに対する憤りさえ生まれました。

時には背中を押す言葉よりも、わかってくれること、寄り添ってくれることのほうが、傷を癒す効果があるのだということを身に染みて感じました。分かろうとしてくれるという姿勢だけでも本当にありがたいことです。私も相談されたらアドバイスしようと思わず、まずは受け入れる姿勢を大切にしていきたいと思います。

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