ブックリスト


 

 昨日の図書館ゼミで配布した、ブックリストです。30分であれ以上しゃべれるのかというほど、話し続けてしまいました。本なんて下手に出会ってしまうと大変なことになるので、図書館にはその覚悟で寄ってってくださいという話をしました。結局、西原さんのと石岡さんの2冊しか紹介できませんでした。続きはまたどこかで、、。

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 大学でものを考えるということは、私にとって孤独で苦痛をともなう営みです。まさにこれから、大学で学ぼうとしている方々に向けて伝えることではないかと思うのですが、嘘はつきたくないので正直に伝えます。できるならみたくはない現実に直面し、それについてこの私の応答が求められると、目を背けたり、誰かに頼りたくなります。そんな時、私は本を読みます。本を読むことも、苦痛といえば苦痛なのですが、ひとりでものを考える苦痛から一時的に逃避し、昔の人や他の人に頼るために読んでいます。それはまるで、痛みを和らげるためにヤバいものに手を出すような状態です。皆さんも手を出してみてください。もちろん自己責任で。



 ■西原理恵子、2008、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社.

「最下位」の人間に、勝ち目なんてないって思う?
でもね、「最下位」の人間には、「最下位」の戦い方ってもんがあるんだよ。(西原 2008: 60)

 


■石岡丈昇、2023、『タイミングの社会学――ディテールを書くエスノグラフィー』青土社. 

書くことは考えることである。考えることが書くことによって結実するというのではなく、書くことが考えることであるというこの順序を大切にしたい。(石岡 2023: 9)

 


 ■岸政彦、2016、「生活史」岸政彦・石岡丈昇・丸山里美編著『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』有斐閣、155-240. 

研究とは、書くことです。(岸 2016: 219)



■阿部謹也、2007、『自分のなかに歴史をよむ』筑摩書房. 

・上原専禄の言葉
「解るということはいったいどういうことか」という点についても、先生があるとき、「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」といわれたことがありました。それも私には大きなことばでした。もちろん、ある商品の値段や内容を知ったからといって、自分が変わることはないでしょう。何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、「解る」ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そのような「解る」体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだとも思えるのです。(阿部 2007: 21-22)

 


 ■上野千鶴子、2018、『情報生産者になる』筑摩書房. 

「自分の研究に指導教官(当時はまだ国立大学の教師は「教官」でした、「官学」でしたから)など、この世にいると思うな。もしいたら、そんな研究はやる値打ちのないものと思え!」
目が覚めました。ご自身でも、まだ日本には存在しなかった「社会心理学」という新しい分野を開拓して、みずから教授のポストに就いた木下さんらしい発言でした。そうしてわたし自身も、「女性学」という、それまで存在しなかった新しい学問分野を切り拓く。パイオニアになりました。(上野 2018: 68)

 


■新原道信編、2022、『人間と社会のうごきをとらえるフィールドワーク入門』ミネルヴァ書房. 

「情報はいつでも簡単に検索できるのに、なぜ自分の考えを遺すのか」「自分の主観的で狭い考えに意味などあるのか」と思うかもしれない。しかし、その検索可能な「情報」は、特定のものの見方を正当化するために組み立てられていたりする。「いま起こっていること/起こったこと」の大半は、一定の解釈(先入観)による「コーティング」(塗布)が施されている。飛び交う「情報」や、目にする耳にする現実の一端についての「解説」を聞いて、「そんなものかな」と思いつつも、「でもなんかちょっとひっかかる」と思うことがある。
 そんなときに発せられた、まだかたちをとらない感触や予感を含んだ「つたない」言葉は、後になって大きな力を発揮する。社会が急速に転換し「前からこうでした」と歴史が単純化されていくとき、これまで「あたりまえ」だったことが失われていくとき、自分の力ではどうにもならない不条理に直面したとき、考えたりする余裕のないとき、あるいは、困難な状況にもかかわらず人のあたたかさにふれたとき、人間の可能性にこころをゆりうごかされたとき-生身の言葉は、こうした“根本的瞬間”の道標(みちしるべ) となる。
 誰かが語る「わかりやすい正解」ではなく、そのとき日誌を付けていた自分が、現実をどう感じ考え、どう行動したのか、どのように「うち/そと」を分けていたのかを書き遺しておく。そうすれば、自分や他の人たちが、「見ない、聴かない、考えない、言葉にしない」としてきたことのなかに、実はすでに存在していた真実や、潜在する「事件」、あるいは別の可能性があったことに気づくチャンスが生まれる。よくみて、よくきき、つつみかくさず、すべてひっくるめて、自分の理解・状態を描き遺しておいた断片は、未来の自分や社会への贈り物(dono)となるはずだ。(新原 2022: 5-6)

 


■大月隆寛、1999、「永沢光雄――人と出会うこと、話を聴くこと」永沢光雄『AV女優』文藝春秋、618-638. 

「人間が落ちるのを書くルポってあるじゃないですか。精神病院の中に入ってみたり、いろんなところに潜入したり。そういうのって、あんまり好きじゃない。なんかさあ、人を見下ろしてるんだよね。それで決めつけて書いてあるから。だったら、入らなくていいのよ、そんなところに。ほら、人と会うことって、絶対、変わることでしよ。変わることを畏れずに受けとめてゆけば、文章も変わってゆくし、それを喜びとしなきゃいけないのに、ね」(大月 1999: 627-628)

 


■McKinnney, John C., 1966, Constructive Typology and Social Theory, Appleton-Century-Crofts.

・パークの言葉
「もうひとつどうしても必要なものがあるんだ。自分の目で見ることだよ。一流ホテルに出かけていってラウンジに腰掛けて見なさい。安宿のあがりぐちに腰を下ろして見なさい。ゴールド・コーストの長椅子やスラムのベッドに腰を下ろして見なさい。オーケストラホールやスターアンドガーター劇場の座席に座ってごらんなさい。要するに、諸君、街に出ていって諸君のズボンの尻を「実際の」そして「本当の」調査で汚して見なさい。(McKinney 1966: 71)」

 


 ■Goffman, Erving, 1961, Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patients and Other Inmates, Doubleday.(=1984,石黒毅訳『アサイラム――施設被収容者の日常世界』誠信書房.)

 当時も現在も変わらない私の信念は、どんな人びとの集団も――それが囚人であれ、未開人であれ、飛行士であれ、また患者であれ――その人びと独自の生活[様式]を発展させること、そして一度接してみればその生活は有意味で・理にかなっており・正常であるということ、また、このような世界を知る良い方法は、その世界の人びとが毎日反復経験せざるを得ぬ些細な偶発的出来事をその人びとの仲間になって自ら体験してみること、というものである。(Goffman 1961=1984: ⅰ-ⅱ)



■丸山里美、2013、『女性ホームレスとして生きる――貧困と排除の社会学』世界思想社.

女性のホームレスをとらえるということは、女性を単に研究の対象にするというだけではなく、男性を中心にして成り立ってきたホームレス研究全体を、根底から問い直すものでなければならないだろう。(丸山 2013: 11)

 


■Willis, Paul, 1977, Learning to Labour: How Working Class Kids Get Working Class Jobs, Ashgate Publishing Limited(=1996,熊沢誠・山田潤訳『ハマータウンの野郎ども――学校への反抗,労働への順応』筑摩書房).

「落ちこぼれ(failed)」た労働者階級の生徒たちは、中産階級の劣等生や労働階級の優等生が選び残した劣位の職務を、ただ仕方なく落ち穂拾いしているのではない。(Willis 1977=1996: 14)

 


■小川さやか、2019、『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』春秋社.

ある日、私はお金について悩むことが心底嫌になり、気持ちがぷつんと切れてしまった。そして、私に日々たかり続ける仲間たちを集めて、ジーンズのポケットを引っ張り出してみせ、スーツケースを開いて、宣言した。
「私が持ってきたお金は、これで全部よ。嘘だと思うなら、いくらでも荷物を調べて。いまからこのお金をみんなに分配するから、それぞれが抱えている直近の問題を解決したら、もう2度と私にお金をねだらないでほしい。それから私は、これから5ヶ月は何が何でも日本に帰国できない。その間の私の面倒はあなたたちがみると約束してよね」
   集まった仲間たちは私の提案に賛同し、私の2人の調査助手が、(私がこっそりブラジャーの間に隠し持っていた100米ドルを除く)すべてのお金を全員に分配した。私はそれから約5ヶ月間、彼らにねだる側に回って暮らした。誰にもお金を無心されず―親しくない人に無心されても仲間たちが「彼女はもうすっからかんだ」と説明してくれた-、多くの仲間たちに箸られ、助けられ、贈与される日々は幸せであり、降りかかる問題をお金を使わずに解決すべく頭を使う日々はスリリングでもあった。(小川 2019: 228-229)

 


 ■上間陽子、2016、「キャバ嬢になること」『atプラス』太田出版、28: 10-27.

その場から逃げるように飛び込んだエレベーターのなかで、鏡に映った優歌に「優歌、本当にごめん」と謝った。「……日本語って難しいね。半分もわからなかったよ。」と泣いている優歌にいわれる。ごめん、優歌。こんなひどい場所に連れてくるべきではなかった。(上間 2016: 23-24)

 

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