08. 「本当にやりますか?」〜前編〜
インドには2ヶ月くらい滞在したけど、その内の1ヶ月はブッダガヤという村に滞在した。
カースト制度の底辺からも外れるアウトカーストの人々が住む村だけど、そこでは一度も騙されたりすることはなかったな。
アフタースクールのようなところへ飛び込みで何度か算数や地理を教えて、子ども達とも仲良くなった。
子ども達の個性は、もちろん人それぞれ。真っ直ぐで誠実なやつもいたり、いじられキャラもいたり。
“インド人ってこういう人”というイメージはあるかもしれないけど、それぞれのコミュニティーの中で多様性があるってことを感じた。そりゃ当たり前なんだけどね。
@インド、ブッダガヤ
人ってさ、良くも悪くも大きくは変わっていかない生き物だと思う。
そんなに大きな変化を簡単にしてしまうことは危ないし、恒常性ってものがあるから何かがあっても元の状態に戻ろうとする。
それ自体は良いことだし、だからその人らしさがあるし、ある種の安心感がある。本人にとっても、その周りの人にとっても。
恒常性の裏には生存本能があると思ってて、「今まで安全に生きてこれたから、変化はすべきではない!」ってのがホモサピエンスの性としてとして働いている。そんな話をちょくちょく耳にする。
一方で厄介なのは、変えたいことでもなかなか変えられないということ。
その人の行ってきた習慣があるし、未知の経験・領域への怖さもあるだろうから。(その怖さを自覚できずに、ただ身を守ってるということもよくあると思う)
だから、なんというか「今は準備中」って人はなんだかずーっと準備し続けてる気がするし、
「〇〇やりたいと思ってるんですけど」って人はずーっと思い続けて結局やらない、みたいなことが多くあると思う。(もちろん全員じゃないし、毎回でもないだろうけど、割合としてさ)
その人が悪い訳でも、「本当はやりたいと思ってない」なんて訳でもなく、多分そういうもんなんだと思う。
でもさ、人は(恒常性含め)本能にただ従って生きてる訳じゃないよね。
理性があるし、希望があるし、やりたいことはやっぱりやりたいんだろう。使い回された言葉を使うなら、「やらなかったら人生後悔する」。
これは僕もそう思ってる。
この点に、理性と本能の戦いがある。
そりゃ怖いこともあるし、面倒くさいこともあるし、僕なんて中学生の頃に部活を3つも変えた継続力ゼロ野郎だから継続の大変さも身に染みてわかってる。
でも、人生は一回きりだし、いつ死ぬかわかんないし、後悔したくない。
ちょっと横道に逸れるけど、僕は高校1年生の時に急性膵炎という結構大変な病気になって、1ヶ月くらい入院した。それまではほぼ皆勤賞の健康少年だったから自分でもビックリ。入院後の1週間は食事どころか水すら飲んじゃいけなかった。
もう一つのビックリエピソードは、世界一周でコロンビアを旅していた時、突然ナイフで襲い掛かられた。馬乗りになられて何度も切り付けられた。(切られたのは肉が薄い手の甲中心だったから、11針だけで済んだ)
人っていつ死ぬかわからないんだなって思ったよ。
もちろん誰もが僕のように死にかける(殺されかける)必要はないんだけど、やっぱり後悔のない充実した人生を歩みたいし、多くの人にそうあって欲しいと思ってる。
だって、やりたいことを諦めたら、後になってから後悔することは目に見えてる。自分だけじゃなく、どこかのおっちゃんも、素敵なマダムも、もしかしたら君も。
人は単に生きるために今を過ごしてるんじゃない。
理性や希望を大事にして、人生を豊かにしていきましょうよ。
今日は、なかなか自分の殻を破れない少し歳上の方とコーチングセッションをした時の話をしたいと思う。
のですが、ちょっと長くなってしまったので、続きはまた次回。
導入だけで終わってしまった(笑)
素敵な週末を!
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