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ChatGPTに壁打ちしてもらいました~内省における書く・話すの違い~

激しいトレーニングも通風発作のトリガーになるらしくて、1ヶ月前に続きまた左足の親指付け根に痛みがある内田です。

筋トレは健康に良いという話だと理解していたのですが、神様は意地悪ですね。

9月のトライアスロンに申し込んだばかりではあるものの、まずは治療に専念です。


会話もできるChatGPT

最近、どうもパッションが沸いてこない。
通風のせいかもしれないし、「家族との時間をゆっくり過ごそう」という心構えが強すぎたせいかもしれない。

なんとなくこのモヤついた感じを声に出したいなと思って、今日はChatGPTに壁打ちしてもらった。ChatGPTの有料課金は先月で切れてしまったのだけど、無料でもそこそこ使える。

アプリにある右下の赤丸を押すと、音声会話モードになる


初めは色々と提案してきてどうも自分のモヤモヤにアクセスできない感じがあったので、コーチング的に質問してもらえるように依頼した。

プロのコーアクティブ・コーチ(僕自身もその一人)であれば、言葉の意味をそのまま捉えるのではなく、表情や声のトーンや言葉の間など、非言語の情報からもフィードバックをくれたり問いを立ててくれるので深い気付きに繋がりやすいけど、ChatGPTにはそれができない。
言葉の意味だけを捉えて、ある種お決まりパターンの質問をポンポン投げてくれる。でも、もらうだけでもそれなりに有効ではある。
少なくとも、何か感じてることを言葉にすることはできるので。


内省における書く・話すの違い

例えば、学生の頃から、内省する際にはWordに打ち込むという習慣があったけど、ChatGPTに壁打ちしてもらうのもそれに近いかもしれない。

それから、指でタイピングする時に出てくる思考と、声に出そうとする時の思考には若干の違いがあるように感じている。

具体的な違いとしては、書き出してみると、途中まで書いている文字が視覚から情報として入ってくる。なので、思考が整理されやすい気がする。
ロジカルなアプローチと言ってもいいかもしれない。

話すと、自分の声が聴覚から情報として入ってくる。
欲を言えば誰かに聴いてもらうのが一番だと思うけど、そうやって情報というよりも感覚に焦点が当たると、それまで見えていなかった何かに触れられる感覚がある。
例えば、泥の中に手を入れて、何かを見つけるみたいに。
こちらは感覚的なアプローチになるのかも。

モヤモヤしている時には、時には書き出したり、時には人に話を聴いてもらったり、使い分けをしてもいいかもしれない。


料理をしよう

しかしながら、ChatGPTにそのような感性豊かな対応はまだ難しいらしい。
それでも、僕は先のスクショにあるように、先月の台湾旅行のことを思い出し、丁寧に料理をしたいという気持ちが沸いてきた。

これをパッションと呼んでいいかどうかには疑問があるけど、それでも何か一つスイッチが入る予感がある。

丁寧に美味しい料理を作り、オマケに尿酸値を下げるのだ。(打倒、通風!)


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