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人生の目的は、幸せになること。それともう一つ。

「生きる意味は何ですか?」
「人生の目的は何ですか?」

そんな風に問われたら、なんて答えますか?

僕は大学生の頃から自然とジャーナリング的なことを始めて、その中でもちろんこうした「生きる意味」的なことについても考えたことがある。

答えはこうだ。

「幸せになること。」


歴史上最も科学が進み、自由で、可能性に溢れた時代を生きている。

その上で、
小さな世界を歩き回る蟻でもなく、誰かに飼われる犬でもなく、山の中のパンダでもなく、どこにも行けない松でもなく、地球上最も知的な生命体であるヒトとして生まれた。
更に言えば、80億人いる人口の中でもかなり上位の経済的な豊かさを享受できている。宗教などによる制限もほとんどない。
こんなにラッキーなスタートラインに僕らは立ってる。


仮に輪廻転生というものがあったとして、

今のこの状況は、前後賞まで総なめにした宝くじの大当たり程度以上の幸運のはずだ。(前世は、生まれた直後、海に辿り着く前にトンビに食べられてしまったウミガメの赤ちゃんだったかもしれない)

だから、ちゃんと使える脳みそをちゃんと使って、得られるチャンスをちゃんとものにしていかないと勿体ない。
なんとなく惰性で生きていいほど、この人生の価値は安くない。

そんな風に考えたし、今も考えてる。


死ぬとき。死後。

ここで少し問いを置いてみる。

自分が、自分だけが幸せな人生を歩んだとして、それは良い人生と呼べるだろうか。

その人生を生きたとして、死ぬ少し前に、どんな風に人生を振り返るだろう。

死後のことなんて考えても無駄だし関係ない。そんな風に僕は割り切れない。


自分が生きてきたという印なり影響が、この世界に残って欲しいと僕は思う。

だって、一個の知的生命体として生まれて、ただその存在を満たして自己完結して、それでこの世界に何も残さずに「楽しかったー!じゃあねー!」とか言ってあの世に去っていくのって、虚しくない?

きっと、どれだけ満たされた人生を送ったとしても、この世界に何も残せていなかったとしたら、僕なら虚しく感じてしまう。
いつかその命のロウソクが消えかけた時、人生を十分には肯定できないかもしれない。


何かを残すこと

これが、もう一つの人生の目的。

それは何かの建築物かもしれないし、アートかもしれないし、社会のルールを変えることかもしれない。
そんな大それたことではなくても、人に影響を与えること、手応えがあり社会にとって価値のある仕事をすること、子どもを大切に育てることも含まれると思う。

そういう意味でも、誰にでも代替できるつまらない仕事は僕ならしたくないし、どんどんAIなりにやってもらえばいいと思う。

僕としては、その最たるものとして、自分の子どもを大切に育てていきたい。
DNAを半分残して終わりではなく、自分からの影響を受け取って欲しいし、教えられることは教えたいし、引き出せることは引き出したいし、受け止めるときは思いっきり受け止める。


人生の目的は、自分が幸せになること。そして、何かを残すこと。

もちろん人によって答えは違うかもしれないけど、今の僕にはこれが答えだという確かさを感じている。


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