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アマチュア弦楽四重奏の本格レコーディング体験記:コロナの夏のラズモフスキー

2020年8月15日 横浜市長浜ホールにて
完成した音の記録はこちら
https://youtu.be/j6YeauU5aKA

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◇クラシック録音の名ディレクター 国崎裕氏

 国崎裕氏、ジェラール・プーレやライナー・キュッヒルといった大御所からリピート指名を受け、田部京子さんとカルミナ四重奏団の「ます」でレコード・アカデミー賞受賞(2008年)のほか、数々の受賞歴をお持ちの、日本コロムビアの名ディレクターです。
 本来ならば、アマチュアの発表会レベルの録音を手掛ける方ではありません。だがしかしこの方、私の高校の一年後輩なのです。高校時代の上下関係は、後輩がどんなに偉くなっても覆らない、永遠のものです。

くにさきさん

 ここ10年ほど、お盆休みにはホールを借りて、家族やその仲間と室内楽をするということを続けてきました。最終日のささやかなお披露目コンサートを、よかったら聴きに来ませんか?と厚かましくもお誘いして以来、極めて気さくに、遠路はるばる足を運んでくださっています。そしてコロナ禍のこの夏、お客様をお呼びしてのコンサートは早々に諦めましたが、こんなに家族が家に居るならこつこつと練習をして、その成果を記念写真ならぬ記念録音に録ってもらえないだろうか。曲は生誕250年のベートーヴェンの、名作ど真ん中のラズモフスキー、3曲の中ではちょっと渋めの2番がいい。このほかに、音楽祭主催仲間で長浜地元のプロのピアニストである片岡直美さんにも、ベートーヴェンのソナタを弾いてもらおう。

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 こんな相談に、国崎ディレクターがこれまた気さくに応じてくれて、コロナの夏の「長浜録音会」が実現しました。一回限りのコンサートよりも濃く、素晴らしいレッスンに似ていてさらにこれを上回る達成感のある、過去に経験したことのない異次元の体験でした。冷房を止めて汗びっしょりになりながらの、特別な1日の備忘録です。

◇魅惑の「サウンド作り」

画像1 朝9時、ホールの開館とともに中に入って国崎氏の最初の動作は、パーンと手を叩いてその響きの跳ね返り方を確かめること。長浜ホールは客席の椅子が可動式なので、舞台から客席までくるくると歩き回って音を聴いた国崎氏の結論は、「(カルテットは)舞台ではなく、客席後ろ左側の壁を使いましょう」。この角から中央を向くように4人を配置するのが、最も上手く音を散らすことができるとのこと。そんなものかな?早速、譜面台と椅子とともに、ホール後ろ側に移動します。
 国崎氏のスケジュール表には、セッティングの後に「SQサウンド作り 0.5〜1H」の時間がとられていて、この間は自由に練習してよいとのこと。いったい何をするんだろう?と思っていました。マイクロホンを設置し、舞台袖から何度も何度も行ったり来たりしてその高さや向きを調整した後に、「ちょっと聴いてみて」と呼ばれて聴かせてもらったラズ2の冒頭。鋼のように力強く、輝かしい響きをまとった和音ふたつ、そのあとの静寂、本物のppの入り。これまで、夢に見ることはあっても決して手に入らなかったものが、スピーカーから流れてきた!「ちょっとリバーヴかけてみましたが。。。お好みもあるので、こんなもんでどうかしら?」・・・これが音づくりのプロの仕事。魔法の杖でドレスを着せてもらい、かぼちゃの馬車で舞踏会に赴くシンデレラの感覚です。

◇困難は分割せよ

 さて、ドレスは纏っても技量と表現力の不安定さは隠しきれず、ともすれば馬脚が現れるのが素人カルテットのかなしさ。ここでの頼みの綱は「分割」です。事前に練習録音を聴いてもらって、1楽章は提示部一気は厳しそう、さらに3-4分割しましょうかと言われていました。
 まずは練習番号Bまで、OKのものが2テイクできたら次はCの2小節後まで、Cスタートで繰り返し冒頭まで…というように、行きつ戻りつ、歩きはじめの子どものようにちょっとずつ距離を伸ばしていく取り組みを、辛抱強くリードしていただきました。あまり分割すると勢いが失われてテンポが落ちたり、緩徐楽章では逆に速めになってしまう過ちもちゃんと指摘してくださる国崎さんの「絶対テンポ感」に感服。

とた

◇理想形とのギャップを埋める

 OKテイクの要件として、音を外したり、ずれたり、指がもつれたりといった傷がないことはもちろんなのですが、そういう減点要素よりもむしろ、4人のアンサンブルがもっと上手くいくはずだとか、歌い方がさっきのほうが素敵だったというような加点要素を前面に出して、「もう一回ください」のリクエスト。ちょっと上を目指して繰り返すうちに、技術的な傷がおのずから解消されていくという、オケの練習で、信頼関係のできている指揮者の先生が採用される作戦ですね。我々の場合は、おのずから解消されず「(3楽章)冒頭が、実はまだ、ひとつも(OKテイクを)いただけていません」とか言われてしまう場面もありましたが。。。(😣)。
 改めてすごいなと思うのは、国崎氏が描くちょっと上の理想形が、私たちのイメージとぴったり合致していて、同じものを目指しているという絶対の信頼感を抱かせること。そのイメージの言語化と、どうすれば実現するかという道のつけ方も卓越していて、「レッスンで言われたのと、まったく同じことを言われている!」という場面が何度もありました。
 
 理想に向かって、もう一回、あと一回、ラストあと一回、本当にラストあと一回(笑)とテイクを重ねていく作業、これがコンサートでは味わえない、レコーディングの醍醐味なのだと思います。

◇乗せて、アゲる

 厳しい要求とセットで「素晴らしい!生まれ変わりました」「(一回目とは)別人のようです」「君、うまいねぇ」「かっこよかった!これならあとワンテイクで行けちゃうかも??」と乗せて気分を上げるタイミングの良さと、語彙の豊富さ。おかげさまで、家族だけで練習していると険悪になる空気が、終始和やかに、前向きに保たれました。個人的に、「セカンドがぶりぶり出るカ所で、(カルミナSQの、今は亡き)スーザンを思い出しました」の誉め言葉は、生涯の宝物といたします。


◇究極のチャレンジ

 さて、「ノーミスで弾くこと自体が、チャレンジ」だった家族カルテットの「ラズモフスキー2番」収録を何とか終えて、もう一曲のピアノソナタ「テンペスト」へ。こちらの演奏者はプロのピアニストの片岡直美さんであり、当然ながら、地力も経験値も全く違う。ここですかさず、アプローチががらりと変わるのが、国崎氏の名ディレクターたる所以です。
 テンペストという曲はベートーヴェンがこれまで世の中になかったピアノ奏法をふんだんに盛り込んだ、実験的で斬新なピアノソナタ。ここで、音が出ず欠損してしまうギリギリのppとか、音楽が止まってしまう寸前までの間の取り方、転げ落ちそうな攻めたアッチェルランドなど、コンサートでは怖くて冒せないリスクを冒したチャレンジができるのがレコーディングの醍醐味。失敗したら録り直せばいいのだから存分にやってくださいと言われて、もともとダイナミックな片岡さんの表現の幅がさらに拡がって、磨き上げられていく様子はため息モノでした。

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 特に、2楽章の十分に美しかったテイク1のあと、若干のアドヴァイスの後のテイク2、さらに「よすぎて、テイク1が使えなくなっちゃったから」ということでもう一回。このテイク3の格別の詩情と、各声部が浮き上がり絡み合っていくアンサンブルの見事さは、実に、神がかったものでした。
 片岡さんの演奏に対して、国崎さんは「イメージに流されず、楽譜の指示を完全に自分のものにした表現が素晴らしい」と賛辞を述べていました。そのように信頼していてもなおかつ、スコアと聴こえてくる音の厳しい差異チェックを怠らず、細部まできっちりと最終確認。プロフェッショナル同士の仕事のクオリティを体感しました。

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そんなことで、国崎さん、異次元空間に連れて行かれた、夢のような一日を有難う!!
コロナ禍でずたずたに傷ついている音楽界ですが、その中でも、この機会に録音を残そうというプロジェクトがそこここにある様子。お忙しそうですが、元気で、よいお仕事をしてください!




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