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【ちよしこリレー小説】青い夏 第二話

目次
第一話

第二話 遭遇

「ただいまー」

何も考えずに家のドアを開け、誰に言うともなく帰宅の挨拶が口をついて出た。

「あら?葵?なに、あんたもう帰ってきたの?ずいぶん早いわね。」

玄関の開閉音と葵の声に気づいた母が驚いたようにリビングから声をかけてきた。

(あ、しまった…)

学校に行かずに帰ってきたことを母に知られたくなかったのに、つい無意識にただいまと言ってしまったことで、すぐに存在に気づかれてしまった。
習慣とは恐ろしいものだ。葵は何気ない自分の一言を一瞬で後悔した。

「どうだったー?学校。夏休みでも部活やってる子たちはいたんじゃない?」

「あー、うんー」

お盆飾りの用意をしながら話しかけてきた母は、最初こそ少し驚いてはいたものの、想定外の早さで帰ってきた娘にそれほど違和感を感じていないようだった。

目的を果たさず、道半ばで戻ってきたことがバレなかったことに、なぜか少し安堵した。

「中までは入らなかった?ってことよね? あ、まだ初登校前だから生徒だって思われなくて入れてもらえなかった?それなら仕方ないわね。でもこれから通う生徒なんだから入れてくれてもいいわよね〜。まぁーでもいまどきはね〜物騒だし、仕方ないか。」

こちらの返事を待つ気がほとんど感じられない、独り言のような母からの質問に答えるのがひどく面倒に感じられた。
と同時に、どんな返事が返ってきても母はそれほど興味はなさそうだと感じ、答えなくても問題ないと判断した。

「うんー」

肯定とも否定ともつかない曖昧な返事だけして自分の部屋に入った。

返事は面倒だったものの、発せられた会話は全て受け取っていた。
母から出た「部活やってる子たち」というキーワードに葵の脳は自動的に反応し、先ほどの坂での出来事が勝手に再生されていた。

同じ学校なのは間違いない。
そしておそらく、いや確実に、同じ名前だ。

「えくぼのあおい…」

あっちのあおいはどんな字なんだろう。
男だから漢字は違うはず。
学年は同じなのかな?
1年がついてこれない〜みたいなこと言われてたから2年か3年か。
あ、でも3年の夏休みはもう部活はやらない?んだっけ?

意志を伴わない反射的な疑問が次々に浮かんできた。

仮に引退してても部活に参加する可能性は・・・あるか?
んー、でもここは2年と考えるのが妥当かな。
2年なら同じ学年だな。

無意識に浮かぶ疑問の数々に、あっという間に葵の脳内は占拠された。

これでクラスも同じだったら…

最後に浮かんだのは、無意識と意識のはざまのような疑問だった。
葵はそれに気づいて少し驚いた。

いやいや、ないない。
さすがにそこまでできてないでしょ。

同じ名前で学年もクラスも同じ、というミラクルを反射的に否定した葵だったが、心のどこかで「そうだったらすごいな」と淡く湧き出た、願いのような期待を持っていることに気づいた。

が、すぐにその湧泉に蓋をし、気づいていないふりをした。

ーーーーーーー

「もうー!ずっと家にいても何もしてないんだったら外でも行って少しこの辺に慣れてきなさいよ〜。」

翌朝(と言ってもすでに陽は高くなり始めている)、昨日のリベンジを促すかのような母からの半ば強制的な提案で、葵は外に出ざるを得なくなった。

こんな酷暑に、なぜわざわざ可愛い娘を外に出そうとするのだろう。
「私が熱中症にでもなって倒れたらどうするつもり?」と意地の悪いことを考えながら、未開の地での唯一のオアシスから追い出されたことに葵は腹が立っていた。低温の怒りは、一刻も早く家から離れなくてはという気持ちに拍車をかけ、考える前に歩き出していた。

肩から斜めに下げたスマホをいじりながら、「近くて涼しい1人で居ても大丈夫な場所」を探した。

駅前に行けばファストフード店はある。
だが、葵はこの酷暑の中そこまで耐えられる気がしなかった。
少し歩いただけでも汗が止まらない。

もうあと数分でさえ歩きたくない。
そう思った矢先に、地図アプリが示すポイントと自分の位置が重なった。

ここか。とりあえず入ろう。暑すぎる・・・。

自動ドアが開いた瞬間、足元から流れてきたのは、外の暑さを洗い流してくれるようなひんやりとした空気だった。数歩進むと、これまで耳にまとわりついていた蝉のBGMも全く気にならなくなった。

「家から近くて涼しい」、「1人で居ても大丈夫」、に加えて「静か」という今の葵にとって最高の条件が揃ったその場所は図書館だった。

涼みながら時間を潰すこと以外の目的を持たずにやってきた葵だったが、なぜだか受験を来年に控えた高校生らしさは醸し出しておいた方が良い気がして、赤本のあるコーナーを探した。

思ったよりも奥行きのある図書館だった。
本棚の脇にある数字と天井から吊り下げられたカテゴリー表示を頼りに奥へと進むと、すぐに赤本は見つかった。

これって赤なの?どっちかっていうとオレンジ寄りじゃない?

赤本がずらりと並んだ本棚の前で、葵は目の前に並ぶ名だたる大学名よりも、表紙の色に気を取られていた。

見ようによってはオレンジなのになぜ赤本と呼ぶのか、誰が言い出したのかなど、知っていたところでなんの役にも立たなそうな雑学への問いが頭の中で存在感を増しはじめたが、流れを断ち切るように目に入った赤本を1冊手にとった。
それだけでは心許なかったので、横に続く参考書の棚から適当なものを2〜3冊見繕った。

一通り本を選んだところで、葵は自分が勉強装備ゼロであることを思い出した。追い出されるように家を出てきた葵は、スマホの他にはハンドタオルとリップ、家の鍵が入った小さなショルダーバッグしか持っていなかった。

ノートや筆記用具といった  ”The勉強道具” を何1つ持ち合わせていない葵は、自分の格好と赤本+参考書というギャップに、急に気まずさを感じた。

どうしよう・・・

つい今し方、流れるように手にした本たちをすぐに元の場所に戻すのも余計に気まずい気がして、そのまま小説を探しに別のコーナーへ歩きだした。

ハードカバーが苦手な葵でも読めそうなぐらいの手頃なものを見つけ、安心材料を得た葵は、先ほどの赤本コーナー近くにテーブルがいくつか用意されていたのを思い出して戻った。

テーブルは5〜6人が同時に座れるぐらいの大きさだった。
空席を探すまでもなかったが、つい癖で端に座った。

誰への何のカモフラージュなのかわからないが、「勉強をしにきた高校生が息抜きに小説を読んでいます」感が出るように、赤本と参考書をいい感じに並べてから小説を読み始めた。

ちょうど半分ほど読み進めたところで、かなり長い時間が経過してしまったような感覚に陥った葵は、ハッとしてスマホを見た。
自分が思っていたほど長い時間が経っていないことにほっとしたが、現実世界に戻ってきた途端、さっきよりも少し騒がしい雰囲気を感じた。

葵が到着した時と比べると若干館内の人数は増えていた。
思いの外読書に没頭していたようだ。

時間を確認するために見たスマホ画面に、「お昼は家で食べる?」という母からのメッセージが来ていたせいか、わずかに空腹を感じた。

もう少しお腹が空くのを待つためにそのまま続きを読み進めるか、一旦小腹を満たすために図書館を出るか考えているうちに、何人かの学生がこちらに向かってきた。

その様子をぼーっと眺めていると、一番後ろを歩いてきたのが、昨日坂で見かけた男子学生であることに気づいた。

あ・・・!えくぼのあおい!

気付かれる前に目を離そうとした瞬間、葵より少し遅れてその存在に気づいた男子学生が言った。

「あれ・・?!昨日の?!あの坂のところにいた子、だよね?」

うわ、気付かれた!

隠すことなど何もないはずなのに、気付かれてはいけなかったように思えて、無意識に体を小さくした。

「あ・・・どうも・・」

図書館だから、というもっともらしい言い訳を考えながら控えめすぎる声で返事をした。

「どこのガッコ?うちじゃないよね?見たことないもんね?!」

昨日の青ジャージとは違い、白いTシャツにグレーの短パン+ビーサンという完全にオフスタイルの蒼が、周りの迷惑にならない程度の元気な声で話しかけてきた。蒼は今日は1人のようだった。

「あー、えっと、坂上高校なんですけど、引っ越してきたばっかりで夏休み明けから通う予定で…。」

「あ、そうなんだ!どうりで見たことないわけだ!でも、じゃあ同じ高校だわ!よろしく!」

最初は、全校生徒を知っているかのような蒼の口ぶりに、少し傲慢な印象を受けて気に入らない感じがしたが、蒼から放たれているコミュニケーションハードル0(ゼロ)オーラと、無邪気で明るい話しぶりに、本当に全校生徒を知っている「みんな友達、みんな知り合い」タイプの人だと一瞬でわかった。

「何年生?俺は2年の佐東蒼(さとうあおい)!よろしく〜〜」

蒼からのテンポの良い自己紹介を聞いて、葵は息が止まった。

え????
サトウ??サトウって言った?! サトウアオイ??
待って待って待って、同姓同名?そんなことある??

あまりの偶然に思考が追いつかない。

下の名前だけじゃなくて、苗字も?全部一緒?嘘でしょ。
しかも学年も一緒なんだけど、どういうこと??

「え・・・・?」

台風の如く渦巻く動揺は、葵の体内だけでは処理しきれず、本人も気づかないうちに口から漏れ出ていた。

それにすかさず反応した蒼は、不思議そうな顔で「ん?」と返し、こちらを見ていた。

「あ…いや、私も2年で、佐藤です。」

「えーー!おおおおーーーーー!同じ学年で苗字も一緒?!すごいね!まあでもサトウはどこにでもいるからそんなすごくもないか!笑 あ、でも俺のはちょっと珍しくて、東のサトウだけどね!」

蒼の自己紹介鉄板ネタと思われる「東のサトウ」はしっかり耳に届いていたが、どうでも良かった。

同じなのは苗字だけじゃないけどね!!!ガチですごいやつだよ!!!

葵は心の中で最大音量で叫んだ。
でも、何となく今このタイミングで同姓同名であることは隠しておきたくなって、苗字だけ名乗った。

次の会話をどうしようか考えている間に誰かが蒼を呼ぶ声がして、短く挨拶だけして蒼はすぐに行ってしまった。

葵は、思いがけず見つけたもう1つのオアシスの中で、ひときわ目立つ白い背中が消えていくのを見ながら、心拍数が平常に戻るのを待った。
一度は蓋をした「同じ名前で同じ学年で同じクラス」という信じられないような奇跡が一気に現実味を帯びてきた気がした。

たった1〜2分の間に起きた、葵にとってこの夏最大とも言えるミラクルに、さっきまで読んでいた小説の中身と空腹は完全に吹き飛ばされていた。

第三話に続く


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