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ひとしずく

白いカーテンを突き抜けて、光がにわかにに入り込む。
のそのそと布団から這い出して、前日夜に慌てて整えた荷物に、最後の仕上げをして家を出る。いつものことだ。雲はあるものの確かに晴れている。気温20度、暖かい。良くも悪くも期待外れで、少し残念な気持ちになる。悪天候の予報。あえて山に泊まるのも実験である。道具と自分の許容量を試すための。知らないことを知るための。

結局荷物は10キロ近くになった。昔、海外に1週間くらい行くために買った45リットルのザック。その容量と丈夫さから、ここ最近はたくさんの楽器をガチャガチャとまとめて運ぶためだけに使っていた。そんな彼に荷物がしっくり詰まっている。10年近く経ってやっと本来の使い方をされてうれしそうである。普段日帰り山行で使っているフレームのないペラペラのザックと比べ、肩や背面のパッドもしっかりしていて頼もしい。ベースウェイトで6.8キロ、パックウェイトは10キロ。ベースウェイトは水や食料など消耗品を除いた重量、パックウェイトは消耗品も含んだ総重量。到底ウルトラライトとは言えないが、それでもいつも運んでいる楽器たちと比べると随分軽い。


電車やバスを乗り継ぎ、麓のバス停に到着し、休む間も無く出発。霧が立ち込める石畳を登る。平日だからか人影はない。毎度のことながら1人の景色と静かな時間が心地よい。ウールのベースレイヤーに、薄くて透湿性の高いウインドシェル。小さな鳥居をくぐり、大きな杉が両脇に並ぶなだらかな斜面へ。熊注意の看板を見かけ、焦って熊鈴を取り出す。インドで手作りされている銅製の小さな鈴に、自分で麻紐を通しただけのもの。いい意味で気の抜けた作りで、柔らかい形をしていて、その形通りのおっとりとした音が鳴る。

ゴツゴツした足場が緩やかな山道に変わる。ようやく下山してくる人たちとすれ違う。皆身体の半分以上はあろうかという大きなザックに、しっかりとカバーを掛けて対策している。自分だけこんなに頼りない装備でいいのか不安になるが、人体実験を重ねることで、自分の身体はどの程度の気温ならどの程度の装備で耐えられる、とかそういった限界を知ることができる。身体を通じた自己との対話である。気づくと気温が10度ほど下がっていたが、身体から発する熱で全く寒くない。そこはかつて炭を焼いていた場所。「この先危険な登山道!軽装での入山ご遠慮ください」という古びた看板を横目にまた少し不安になる。

少し歩くと、ぽつりとひとしずく、額に落ちてくる。反射的に木々の間から見上げた空は、相変わらずどんよりとした分厚い雲に覆われていた。とうとう降り出すだろうか。こういう時に限って登りもますます急になる。頂上の山小屋まで残り半分の距離。結局、先ほどの一滴のみで綱渡りのような天気は続く。小休止を挟みつつ、しばらく霧の中を歩き続ける。身に付けている道具たちはとても調子がいい、毎回不要なものを見極めたり、必要なものを理解したり。何より快適に歩けることは、その他の肝心なことに意識を向けられる。遠くの山々、目の前の植物、鳥の声、土の匂い、足裏の落ち葉の感触。遠くに鹿が一頭。その場に立ち止まり、お互い硬直したまましばし見つめ合う。静かな時間。雲が霧となって山肌を通過していく。どれくらい経っただろうか、鹿は霧と共に消えていった。その霧が流れ去った木々の向こう、大きな三角の黒い影が見える。あれがきっと目的地だ。


昼過ぎにテント場に到着。先客は4組ほど。引き続き、今にもざあっと降り出しそうな空模様。手続きを終え、すぐに場所を決めて焦りながら幕を張る。フロアレスシェルターと呼ばれる床がないシェルター。その中でもシングルウォールというタイプで、1枚の薄いシートの中心にポールを1本入れることで屋根になるだけのもの。とにかく軽いのと、ロングトレイルをスルーハイクした有名なおばあちゃんの名前が付いているところが気に入っている。ぺらぺらだが、外界との間に1枚の隔たりがあるだけでだいぶ安心感が出る。出来上がった屋根の下には、これまたぺらぺらのシートを敷く。本来は緊急時に体に巻きつけて使うようなものだが、地面からの冷気を防ぐことができる。その上にウレタンのマットを敷いて、寝袋を重ねれば立派な住居の完成である。大人一人が横になるだけのスペースしかなく、マットは身長の三分の二の長さだったり、寝袋にはフードが付いていなかったりと所々で切り詰められているが、これで必要十分である。

耐候性を得るためにできるだけ低く張るが、隙間風も入り放題で、周りの堅牢な自立式テントと並ぶと頼りなさがさらに際立つ。道具で守りすぎるのではなく、可能な限り自分を適応させていくこと。不安をかき消すようにそう言い聞かせるが、ここは都市とは違う何が起こるかわからないアンコントロール化の状況。やはり100パーセント不安を捨て去ることはできないし、安全衛生上捨て去るべきでもない。尾根から吹き上げてくる風を避けるために、せめて玄関だけでも周りと同じく登山道向きにするが、自分の家だけ中が丸見えで恥ずかしい。地面との隙間に石を並べて可能な限り空間を孤立させる。外界に開かれている分、より自然との境界線を無くすことのできるフロアレスシェルターであるが、こうなっては元も子もない。権利を明確化するため、プライベートスペースを確保するため、自分と他人を明らかに区別するため、それが安心安全であるがために、曖昧を嫌う人々は線を引いたり壁を作る。そういった分断はいつだって直線的である。フロアレスシェルター本来の用途のように、より曖昧になった境界線が生まれ、その揺らぎを楽しむことができるようになれば、どれほど豊かになるだろうか。もはやそれ自体は線とも呼べないような境界線を軽々と行き来することで、他者を受容し、自らを拡張できるのではないだろうか。

ついさっきまで何もなかった更地に、数分で立ち現れた一時的な仮設居住地。これもひとつの建築と呼べるだろうか。昔マレーシアの路上で見かけた、アスファルトの上にゴザを敷いただけの小さなスペースを思い出す。恐らく誰かの寝床であろう。傍に無造作に積まれた新聞紙の"stubborn abode"という見出しの記事が目に飛び込んで来た。なぜか気になって後から英日翻訳にかけると「頑固な住まい」と表示された。世界が、知らないところでこういった風に回っていてほしいと、こういった事象にできる限り気づいていきたいと、いつもそう思う。
ひと段落して、今日の住まいを眺めながら絵を描く。山に登るといつも絵を描いている。お世辞にも上手とは言えないが、スケッチブックも2冊目になった。またぽつぽつと降り始めたので、すぐさま私の「頑固な住まい」に逃げ込む。日が落ちるにつれ、徐々に天候も荒れ始めたが、緩やかに変化するその状況に追従する形で自らの意識や体感も順応していった。シェルターのわずかな隙間から薄い灰色に染まった景色を眺めながらまどろむ。あの時、自分は小さな玄関から無意識のうちに境界線を越えて外に漏れ出して、拒むもののない世界に溶け出せていたのかもしれない。自分と他者の分け隔てのない、良いも悪いもすべてが混ざり合った世界に。


ざあぁー、ざあぁー。さっきまでの白昼夢のような状況が、打って変わってひどい悪天候になる。耳を澄ます。大小高低、様々な音が全方位から同時に鳴ってくる。かろうじて人の足音は認識できるが、ここにいると何が何だか全く理解できない。すべて知らない、予測できない、音や気配。コントロールできないものたち。人知を超えた事物を畏怖の念でもって崇める理由が、また少しだけわかった気がする。整然と整えられ全てが予測可能な環境において、普段どれ程の感覚を麻痺させているのかを再認識する。安全が保証され、できるだけ考えなくてもよいように効率化され、様々な負荷が軽減された先、都市で生きている間に生まれるはずのその余力を自分は何に浪費してしまっているのだろうか。

すっかり辺りは暗くなり、ようやく着替えて食事の支度をする。ヘッドライトの赤い光でシェルター内部が満たされる。小さなアルコールストーブを使ってお湯を沸かし、フリーズドライのカレーが入ったジップ式のポリ袋に注ぐ。視覚優位の人間世界では赤く染まった食事は味気ないが、それでも腹も心も充分満たされる。周りが消灯し始めたので、慌てて片付けなどして、そのまま消灯。少ししてまた風が出てくる。風、水滴、テントのはためき、たくさんの知らない音、音、音。初めて耳にする音の重なりに埋もれながら、一日の疲れに緊張が解けたことも重なり、それらの重さで身体も心もすぐさま暗闇の底にどっぷりと沈み込んでいった。


ばたばたばたばたっ、ばたばたばたばたっ。日付が変わる頃、これまでと打って変わって明らかに強くなった風で目が覚める。稜線上は風の通り道。6点でペグダウンしているとはいえ、強く細かく振動し続ける薄いシェルターはいとも簡単に吹き飛ばされそうである。朦朧とした意識の中で、隙間を大きくとってしまった入り口の端を片手で抑えた状態で凌ぐ。嵐の中の真っ暗な世界で、取り残されたこの小さなシェルターだけがぽつんと浮かび上がって見える。ろくに身動きも取れない自分だけの小さな世界での大きな戦い。布一枚隔てて落ちてくるたくさんの大きな水滴。そのひとつひとつに意識が宿ってこちらに向かってくるようで恐ろしい。そんな攻防をいくらか続けていると、ついには、唸るような風切り音がし始める。木々がぐわんぐわんと軋む音もする。ごぉうごぉう、ごぉうごぉうと頭上で大きな音がしたかと思うと、びゅおおーう、びゅおおーうとすぐにすさまじい強風がやってくる。ジャンボジェット機がひっきりなしに頭上を飛び交うように、それが夜通し延々と繰り返された。霞む意識の中で、真っ黒い雷雲を引き連れた大きな龍たちが、次から次へと頭上を通り過ぎていくイメージがはっきりと浮かんでいた。あまりにも疲れすぎてしまったからか、最終的に恐れはなくなった。ただここにこういった状況が在ることを、そのまま受け入れていた。
意識が飛んで、龍がやって来る音で目が覚めて、また意識が飛んで、を繰り返すうちに空が白み始めていた。強風は継続していたが、それも夜明けと共に次第に収まっていった。やっとすべてが静まったかと思うと、周りが起き出したので、寝てもいられなくなった。片付けられていくテントたちを横目に、のんびりお湯を沸かしてスープを飲む。

朝日が顔を出してからようやく行動開始。すっかり晴れて、風も全く無い。昨晩の嵐が嘘のようである。ありがたく試練を頂戴したこととする。自分と同じ方向に向かう人は一人もおらず、マイペースで気楽に登る。ほどなくして前日には踏んでいなかった山頂に到着。誰もいない眺めを独り占めする。遠くまで連なる山々がくっきりと見えたので、いつものように座り込んで絵を描く。たしかウグイスが鳴いていた。なだらかに続く尾根をのんびり下っている際中、初めてすれ違ったのは一人のお爺さんだった。まだ山頂近くで、麓から相当の距離を登って来たはずなのに、涼しい顔に朗々とした声、ゴム長靴にネルシャツ、チノパン、小さなデイバックといった全く気負わない出で立ち。全てにおいてしっくりという言葉がとてもしっくりきた。このお爺さんと挨拶を交わせただけで、ここまで来れてよかったと思えた。

幾つかの小屋を経由しながら、ひたすら下る。早朝から登り始めたであろうたくさんの人たちとすれ違う。昼前には下山口のバス停に到着。修験道では、入山する時に一度死に、下山することで生まれ変わるとされる。山道、参道、産道。登る前と登った後、いつもそういったことを思い浮かべる。強くてニューゲームとまではいかなくとも、そこで得られた多くの気づきを、少しでも持ち抱えたまま新しい出発地点に立てているとよい。

街に向かうバスに乗る。もうひと山くらい縦走できたなと少しだけ後悔しながら、事前調査済みの温泉に浸かりたい気持ちが、その後悔をすぐさま湯気の向こうに覆い隠していく。

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