見出し画像

たのかんさあ

穏やかな西陽の差し込む車内。
仰向けになった背中から全身へ伝わってくる振動が心地よい。

海沿いの道を走っていた。真っ白い軽バン。
運転手と自分以外誰も乗っていないから、後部座席を全て倒して生まれるだだっ広い空間、そこへごろんと寝転ぶのがお気に入りだった。天井に向かって伸ばした両腕。その先の両手で広げた1冊の薄い本。それを真下から見上げている。


一緒に暮らしていた祖父はあまり口数の多くない人だった。今となっては昔どんな言葉を交わしていたのかほとんど思い出せない。ただ、特に人付き合いが悪いというようなこともなく、農業をやっていて、仕事の時も仕事じゃない時も、いつも車に乗せていろいろなところに連れて行ってくれた。

早朝、人でごった返す青果市場。所狭しと並んだ段ボール箱や大勢の大人たちの間を祖父について歩き回った。
静かな風に青い稲が波打つ田んぼ。カエルやバッタを採るのに飽きたら、開け放した荷台で寝転んで昼寝。
内海を挟んで向こう岸の賑やかな街。車ごとフェリーに乗せて渡る道中、海の上で食べるカレーうどんと自販機のメロンソーダのセットが楽しみだった。

祖母が突然亡くなり、祖父は見る見るうちに元気がなくなっていった。元々多くなかった口数はさらに減った。
祖母はうってかわって快活な人で、ほぼ1人で精米の仕事をしていた。毎日、近所の家から遠くの家まで白い軽トラックを乗り回し、殻に包まれた籾の集荷と真っ白い精米の配達をしながら回っていた。それにもよくついて行った。埃っぽい助手席にただ座っているだけで、手伝いをするわけでもない。車窓の向こうの景色や行った先で挨拶する程度の少しの会話、毎回代わり映えしないのになんだかおもしろかった。病気なども滅多にしないそんな祖母は、何でもない日の深夜に何の前触れもなく突然体調を崩し、目の前で病院に運ばれて行き、その日のうちにすうっと亡くなった。たくさんの人たちが集まった、最期まで潔い人だった、というようなことを皆が口にしていた気がする。自分もこういう風に終わりたい、子どもながらに漠然とそう思った。


ロールプレイングゲームのガイドブック。買ってもらったばかりの新品の本の匂い。表紙には赤いマントの主人公と黄色い大きな鳥が並んでいた。

祖父と本屋に行くことなんて最初で最後だったかもしれない。特に欲しいものもなかったのに、ここぞとばかりに値段も気にせずレジに持って行った2冊の本はどちらも想像していなかった金額だった。焦って何も言えないでいる自分を尻目に、祖父は一瞬だけ驚いたような表情になったがそのまま何事もなく買ってくれた。車に戻ってからも、ただただ申し訳ない気持ちを抱えつつ、何も話しかけられなかった。そうこうしているうちに喜びの感情が全てを覆い隠して、思いがけず手に入れた本を眺めながら幸せな時間を過ごした。家に辿り着くまでの海沿いの道。眩し過ぎない程度に光の満ちた、心地よく揺れる自分だけの部屋で。


過去の記憶というものは決まって数珠つなぎで、ひとつの小さな火種を皮切りに、潜在的に刻み込まれた思い掛けないものごとにまで燃え広がっていく。すぐには風化することのない頑健な岩でできた記念碑のようなものが自らのうちに様々に建立されていて、ことあるごとにその場所までわざわざ赴くことで歴史を辿るような感覚だろうか。それらに向き合うことは、尊くもあり、厄介でもある。

小学生の頃、近所には年上の友だちが多く住んでいて、同世代で集まって遊んでいた。少し年が離れていたこともあってか、皆明らかに自分とは違う大人に見えた。兄姉のいなかった自分はよくその中に入れてもらっていた。
草薮に埋もれた防空壕、山の中のカブトムシの集まる木、花の蜜の吸い方、アスファルトに絵を描ける石。お陰で随分と世界が広がった。ロールプレイングゲームもそのうちのひとつ。誰かの家にみんなが集まってやっているのを後ろから眺めるのが大好きだった。
祖父や祖母の車に乗ることは自然と少なくなっていた。

その日も、陽の当たらない薄暗い部屋に集まって、赤いマントの主人公が黄色い大きな鳥に跨って荒野を駆ける画面を皆で眺めていた。しばらくして外に出て遊ぼうということになり、ぞろぞろと全員で庭に出た。庭に大きな木がたくさん生えた小さな森のような場所がある家だった。
わあっと全員が散らばって駆け出す。缶蹴りだったろうか、かくれんぼだったろうか。少しして、森の途切れる境界線、隣の知らない家との間に人影を見つけた。増築途中のむき出しの部屋の端、これからガラス戸が取り付けられるであろう木枠の上に、知らない子どもがちょこんと腰掛けて木々の間から真っ直ぐにじっと遠くを眺めていた。

すぐに誰かが声を掛けて、すぐにあだ名が決まり、次の瞬間には一緒に庭を駆け回っていた。偶然にも自分と同い年で、東京から親元の実家に引っ越してきたばかりだった。
それからは昔からそうだったかのように、同じ通学路を歩いて一緒に学校に通い、朝と同じ道を一緒に歩いて帰ってきて、どちらかから電話を掛けて暗くなるまで遊ぶような毎日になった。
自作の漫画、ノートの切れ端でできたトレーディングカード、薄暗い納屋の隅で眠る猫の家族、アコースティックギターとブルースハープ。自分たちで自分たちなりの世界を試行錯誤しながら広げていった。
年上の友だち達と遊ぶことは自然と少なくなっていた。

中学に上がる前だったか、苗字が変わったその友だちをなんと呼べばいいか戸惑ったけれど、しばらくは昔の苗字をもじった慣れ親しんだあだ名で呼び続けた。高校からは別々になり、それ以来会う機会もめっきり減ってしまって今に至る。そんなことをつらつらと思い返していたちょうどその時、随分久しぶりにその友だちから連絡が来た。ふいに昔、夕方に家で一緒にアニメを見た光景を思い出して連絡したとのことだった。そういうものだなあ、とうれしくなる。


ごとごと揺れる軽バンの荷台、薄暗い部屋のロールプレイングゲーム、真っ白い木枠に腰掛けた友だちの眼差し、・・・・。
出発点は違えど、毎回これらのなんてことないけれど確かに存在した記念碑の前を通過しながら史跡を巡る。
生い茂る草木に隠れてしまっていてすぐには辿り着けないけれど、きっと100年そこらじゃ朽ち果てることのない、素朴で静かな田の神さぁみたいなものが自分の中に転々と佇んでいるのかもしれない。


=============
4月のお題は、
「雨」
です。


この記事が参加している募集

#買ってよかったもの

58,901件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?