[KZの相談箱 3つ目]恋愛を諦めてしまう。そして、幸せとは?
恋愛って難しいですよね。
俺は中学生のときからチビでガリでした。特にあの頃は顕著だった気が。
しかも小学生の卒業式で、なぜか坊主(5厘)にするって奇行に走りまして、
運悪く、家庭の事情で新しい校区の中学校に行く羽目になりました。
俺の人柄も知らない人たちの前に、チビでガリで坊主(5厘)が現れるという。
おそらく、ぱっと見は捕まった宇宙人みたいな印象だったと思います。
その後、好きになりかけた女の子に
「田原、服とか自分で買ってる?いつも服ダサいよ。
ちゃんとした方がいいよ」と
夕方の汽車ぽっぽ公園で言い放たれて、
「(今着てる)この服はイケてなくて、そして俺はダサいのか」
えらく落ち込んだ記憶があります。服を買ってくれてたおかんにも、なぜか腹が立ちました。
おかん、ごめん。
13歳で早くも、この恋愛至上主義のヒエラルキーに飲み込まれたわけです。
その後も、引きこもり、中卒からの万年フリーターだったので、ずっと女性や恋愛をやっかんでいた気がします。
ある面では、自信が皆無で卑屈でした。
自己肯定するために、文学や映画に逃げました。
結果、それが今に繋がるんで、良かったんですが。
今、この歳になって思うのは、同性でも合う人がいるように、
異性でも合う人がいて、
合うから一緒にいる時間が長くなり、最終、人生を共にするのだと思います。
この数年、人類史や人文学の本を読むのですが、この近代の恋愛観は贔屓目にみても、異常だと思います。
キリスト教的な恋愛観を持っている人が多くて、生きづらさを感じます。
また恋愛をしてないと、人生を損してるように話されることもずっと疑問です。
確かに、人を好きになるのは素晴らしいことですが、
それと同じぐらい素晴らしいことはこの世の中に無数にあります。
その無数の一つが恋愛、そんな向き合い方が、ちょうどいいのではと考えてます。
ご相談を読みながら思ったのは、無理に諦めることもないのかなとは思います。
もし、その好きが活力になるのなら、胸の中にそっと持っていてもいいのでは?
例えば、俺のjobという曲の歌詞に「かっこよくありたい 好きな子のため」ってあるんですが、
たまに自分がへこたれそうな時に、意外と「好きな人」
の存在が力になることもあるんですよね。
なので、活力がわく、また活力にできるなら、無理に「好き」
を手放すこともないと思います。
付き合えないから諦める、それも一つなんですが、
決して上手くいかなくても、好きでいることは問題ないと思うんですよね。
個人の自由と言うか、相手に迷惑をかけずに、自分の中で留めておくことが出来るなら。
「諦める」の語源って「明らかに見る」なんですよね。
それが、変化して今の「諦める」になっていくんです。
なので、いきなり「好き」を手放すとは少し違うというか。
大切なのは、冷静に現状を把握することなんです。
手放すための諦めるではなく、今の状況を見渡すための明らめるが大切だと。
現状把握をして、その上で気持ちを持ち続けるか、手放すかを決められるのがいいと思います。
もし自分が傷つくなら、とっとと「好き」を捨て去った方がいいですし、
逆に力になるなら、胸に秘めて生きていくのがいいです。
そして、ご相談の後半である「幸せ」についてですが、俺もよく考えます。
ご相談を見ると「自分を幸せにしてあげないと上手くはいかないと分かってる」と仰ってます。
今の自分は幸せではない、そして幸せにしてあげれてないと自己認識されているのだと思います。
たぶん、これがループになっているような気がしました。
幸せではない ⇒ 幸せにしてあげれない ⇒ だから上手くいかない ⇒ 上手くいかないから ⇒ 幸せではない
この巡りの中にいると、勝手に不幸に向かっていきますよね。
もしかしたら、枕詞で「恋愛において自分が」とつくのかもしれないですが。
ただ、どちらにせよ、このループから抜け出すのがいいと思います。
これを
上手くいったから ⇒ 幸せだ ⇒ 自分で幸せにしてあげれる ⇒ だからまた上手く行く
のループにするのがいいと思います。
まず、「上手くいった」という状態を定義しましょう。
この時は自分から見てで良いです。
よく20代の俺がやりがちだったんですが、今の自分とかけ離れた「上手くいった」を定義してしまい、
大きすぎる目標に押し潰されて、結果「上手くいかない」となってました。
比べる対象が多すぎるから、どうしても背伸びしたくなるんですが、そこはあくまでも主観でいきましょう。
最終はどデカい目標でも良いんですが、目下の目標は「こんなん簡単すぎるわ!」ぐらいが良いです。
これを2~3週間続けて、最初よりは少しだけステップアップした「これも簡単すぎやろ!」って目標を立てます。
1年ぐらい繰り返すと、「あぁ、自分はコントロール可能な存在で、多くの物事はやればできるんだ」となります。
人生をかけてもウサインボルトより早く走るのは、難しいんですが、
1年後に今の自分より早く走るのはそんなに難しくないです。
自分は自分で好きにできるんですよ。ほんとに。
あと、もっと手前の話をすると、ほんとは生きてるだけで90%ぐらいは幸せなんですけどね。
この70年ぐらいで、命が保証されて、生きてるのが当たり前になったから、
残りの10%の小さな差異で幸せを求めるようになっていて、それが生きづらさに繋がっていると思います。
俺は、ほとんどの人が命があるだけで、「もう幸せやん」って思います。
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