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産山村を通る豊後街道

先日産山村観光協会のメンバーで、産山村を通る豊後街道を歩きました!

産山村教育委員会に豊後街道について尋ねると、こんな立派な巻紙をもらいました。巻紙を開いてみると…

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豊後街道とは…
近世肥後四街道(※)の一つで、肥後熊本城から瀬戸内海への玄関口となる豊後鶴崎とを結ぶ最短ルートとして整備された全長約124km(31里)の街道のこと。
(※)近世肥後四街道とは、豊後街道、豊前街道、日向街道、薩摩街道の4つの街道。
歴代熊本藩主の参勤交代に利用されたのみならず、幕末嘉永6年(1853年)には、ロシア軍隊が長崎に入港したことを聞きつけた吉田松陰が、また文久4年(1864年)には、幕府特例を受けた勝海舟が佐賀関に上陸し、この豊後街道を通って長崎に向かっている。その際、勝海舟と師弟関係にあった坂本龍馬も同行したといわれている。

なんと。吉田松陰、勝海舟に、坂本龍馬。
歴史上の名だたる人物の名前が並んでいるではないですか。
参勤交代としては、加藤清正や、歴代の細川藩主などか利用していたそうです。

当時は熊本城から大分県鶴崎までの陸路31里を4泊5日で越え、江戸までの約300里の全行程を、35日~38日かけて東上したそうで、産山村はちょうどその中間地点。国境越えの難所だったそうです。

確かに車で走っていても坂道の多い産山村。
特に阿蘇市から産山村までは、阿蘇外輪山を越えなければなりません。車でさえ大変なカーブの続く急坂です。この道を歩いた人たちも、道を整備した人たちも…大変な苦労だったと思います。

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産山村では、
①弁天坂の石畳(約1.2km)
②酒井の松坂の石畳(約0.7km)
この2つが、平成25年に国史跡に指定されています。

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長くなってしまったので今日は豊後街道の紹介まで。

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巻紙を手に、まだ足元にわずかに残る石畳を踏みながら、歴代の人物に思いを馳せて歩く豊後街道。

次は『弁天坂の石畳編』をお届けします。

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