声が出なくなって知ったこと

2019年7月上旬以降、声が出なくなってから、気付いたことがある。

日常生活を送っている私たちは、あまりにもたくさんの情報を耳にし、そして無意識に言葉を発している。

コンビニに行ってもスーパーに行っても、「温めますか?」「お箸は入りますか?」等に答えを出さなければならない。

最近は無人レジもあるが、セルフレジとて金銭のやり取りの前に人間を介する。

現状の私は日常的に音楽を聴いているため、まず片方のイヤホンを外し、髪の毛を(個人的には大袈裟に)耳にかける。
店員さんの目を射抜くか如く見つめ、YESなら(大袈裟に)頷く。

「お箸はおいくつご希望ですか?」という問いには、ピースの形をしながら「二膳おねがいします」と、口パクだとも思われそうな声で呟く。

叱られそうだが、少しでも暑いと感じた日にはマスクをしていない。

目力だけではどうにもできない私は、口角を上げることと身振り手振りで日常生活を送るのが、現状の最大公約数だと感じるからだ。


私自身販売員をしていたころ、

「(なんて感じの悪い客だ!)」と思い数日忘れられないほどの侮辱を受けたこともあれば、

「(初対面の店員ですらあんな態度しかとれないなんて、失礼なひと…)」と冷たい印象を受けたこともあった。

もちろん働いている最中は、私もお給料以上に販売員に徹していたという自負がある。

そんななかでも出会うとっておきのお客様、愛を感じるお客様に、何度も何度も救われてきたからだ。

接客って楽しい…!!!と、何度も何度も心に染みたと体感したものである。

自分が客側になったときはなるべく失礼のないように…と頭を過ぎるが、現状の私はどう思われているんだろうと、どのお店に行っても気になってしまう。


十代後半から接客業を従事してきた私にとって、今は、【無】の世界に感じてならない。

耳は聞こえるのに、何も答えられない自分。

接客が好きで、得意だと自負していた自分は、今どこで何をしているのか。
時折友人と行ったカラオケで楽しく歌う自分は、どこへ行ってしまったのか。

そして気付いたのは、私は、

【「歌うことが人生のやりがい」ではない人種】ということだ。


もしも「歌うこと」が人生ならば、きっと耐えられないだろう。

歌手でもナレーターでも俳優でも声優でもない私は、声を失っても、まだ耐えていられる。

この体にはまだ、
聴力もある、
視力もある、
表情筋もある、
手足だって自由に動かせる…!

そう考えはじめると、自分にとっての【たいせつなもの】と再会出来た気がして、この状況のなか、ほんの少しだけ、前向きになれる気がした…。

目が覚めたとき、この声が治っていればいいのに、と何度願っただろう。


問題はまだまだ山積みでもあるし、精神状態は山と谷の繰り返し。

それでもその問題に向き合い直面し、抱きしめて解決するのは他でもない自分なのだから…と、前向きに、今は、思っている。

同じ気持ちの方に出会えると幸いです。