課題05.「幸福」について
「今日は絶対リアタイで見なくちゃ!!!」
録画しているにもかかわらず、睡魔と闘いながらテレビにかじりついた。次回予告が終わった瞬間、スマホが鳴った――。
高校一年生の秋、『おそ松さん』のアニメが始まった。四人グループのうちのIとFが、一話を見たときに既にハマっていた。二人はグループを引っ張るリーダー的存在で、私とTはそれに追従するような関係だった。私は自然とそのアニメを見始めたがTは興味がないようで、四人でいてもただ話を聞いているだけだった。
「Tさ、なんでおそ松さん見いひんのかなぁ」
「友達なんやし、ちょっとくらい見てほしいよな」
彼女たちはTについて次第に強い口調で話すようになった。彼女たちにとって『おそ松さん』好きではないTは既に仲間ではなくなっていた。Tと一緒に昼食を食べることはなくなった。修学旅行のグループにも、彼女はいなかった。Tには彼氏がいて、グループ以外の居場所があったが、私にはなかった。一人になりたくない、その一心だった。おそ松さんの雑誌は予約し、USJにおそ松さんのコスプレをして行き、帰りに撮ったプリクラのポーズはもちろん、「シェー」。イベントには他府県であっても参戦した。どれだけお金と時間を浪費しても、アニメを見ても、「ただ、面白いアニメ」以上になることはなかった。
入学当初は、四人で弁当を広げ、チャイムが鳴ってもおしゃべりをしていた。買い物に行ったり、ライブに行ったり、夜遅くまで電話もした。このグループにいれば毎日が充実していて、幸せだった。鳴るとワクワクした着信音は、いつしか憂鬱に感じるものになった。自分を偽ってでもその関係を続けようとした。日に日に、そんなことをしている自分が馬鹿馬鹿しく思え、苦痛になってきた。それは、幸福感を得られるものではなく、「一人になる」という不幸から逃れるための、ただ、日々の虚しい努力の繰り返しだった。
もし、あの四人で過ごしていなければ、私はあれほど愚かなことはしなかっただろう。あのグループの充実感、幸福感を感じたから、失いたくないと思った。知ってしまった幸福からは、逃れられない。ギャンブルだって同じだ。勝ったときの、あの感覚が忘れなれなくて、損をしていると分かってでもつぎ込む。幸福を得るために誰もが努力をしているし、それは大切なことだと思う。でも、自分を見失ってしまえば、本当に望んでいる幸福を手にすることは出来るのだろうか――。
振り返り
これはフィクション……フィクション。
結局「私」はこの先も友人関係で悩みそうな予感。
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