令和になってようやく『とらドラ!』の原作小説を読んだ。(2006-2009年のライトノベル)
約8000文字。感想文やレビューではない明らかな強火怪文書であり、小説版またはアニメ版を完走した方を対象とした記事です。
これまでのあらすじライターの小林白菜(はくさい)さんの口車に乗せられて(私は口車に乗るのが好きだ)、アニメーション作品『とらドラ!』を鑑賞しました。青春の痛みを抱えながら全力でぶつかり合う少年少女の姿を描き、さらに青春の枠を越えて「家族」や「信頼」というステージまで高めた傑作でございました。
アニメ版の鑑賞後の白菜(はくさい)さんの言葉が気にかかりました。『とらドラ!』だけに宿っているもの、とはなんだろう。アニメ版の感想文を書いた後もこの要素が心に引っかかっていました。
アニメ版は終わった。良い作品だった。
だけど、少しだけ疑問が残る。
北村は本当にただのいいヤツなのだろうか。
亜美ちゃんは幸せを掴めるのだろうか。
ジャイアントさらばの真意は?
やっちゃんと進路の話は?
赤いマフラーの行方は?
まだ語られていない物語があるのではないか。
そこに宿る何かがあるのではないか。
ならば原作小説にあたるべきなのでは。
そして、ゆこう、ゆこう、そういうことになった。
小説版の旅路の果てに捜査班が観たものは、高2の春を迎える前に時間を止めてしまった少女が、新たな一歩を踏み出すための物語であった。
読み比べてどうだったの?
アニメと小説を単純に比較するのは難しいんだけど、両者を比較すると「理想的な相互補完」関係ではないかと思う。アニメの最終回と小説の最終巻がほぼ同時に刊行されるというタイトなスケジュールを考えると、かなり無理のある進行だったと思うんだけど、特にアニメ版の交通整理は見事な完成度だ。ラストの空白期間も落とし所として完璧だと思う。さらに、小説版からしか得られない要素と、小説を受けたアニメ版の演出が重なり、どうしようもなく号泣してしまった。文字通りの号泣である。
ここから先には物語の結末に関わる要素が含まれます。アニメ版・小説版の差は少ないものの、本編未視聴の場合は、あなたの楽しみを削いでしまう恐れがあります。
母、泰子、永遠の16歳。
物語は主人公の竜児が高校二年生の春を迎える所から始まる。母の泰子は、高校1年生(15~16歳)の時にヤクザ者と駆け落ちをして竜児を生み一人で育てた。このことが原作1巻の冒頭から語られている。つまり、母にとって未知の世界に子供が歩みを進める場面から始まるのである。
すでにアニメ版を先行して鑑賞しているので、想定内の描写ではあるのだけど、物語全体を通して「子供は親の目の届かないところで成長する」という要素が大きなテーマとして横たわっていることを知っているので、全体を貫き通すテーマ性にしびれてしまった。小説版「とらドラ!」は、このテーマから逃げることなく最終巻で涙腺大爆発を引き起こすことになる。
物語の中盤。折り返し地点にあたる「文化祭」の一場面。竜児が常に母のことを想っていることが繰り返し強調されるようになる。「世の中は善意に満ちているべき」「努力は報われるべき」「親子は愛し合うべき」幼稚とも思える理想論は現実の前に砕け散る。このあたりから、とらドラ!は、ただのラブコメディではない、何か別の存在に生まれ変わり始める。
物語の終盤、泰子が過労で倒れる。竜児は己の存在を消したい気持ちに襲われ、あの頃、病弱な泰子を待った病院の託児所の光景を思い出す。あの時の臭い、限りなく死に近づいた病院の臭いが鼻腔に蘇る。
父を失いながらも、必死で大河の父親代わりを務めてきた竜児に「父の呪い」が降りかかる。竜児は限界だった。大河も母も友人たちも、自分が何かを望み、手を伸ばせば全てを壊してしまう。そんな絶望の淵に立つ竜児を救ったのは大河であり、泰子であった。
手乗りタイガー逢坂大河は、友人のため、竜児のために自らを殺し、崖から飛び降ることを臆さない人物だ。誰よりも竜児を見てきた最強の虎が彼の支えとなり、竜虎が並び立ち、物語は泰子を救うために走り始める。
竜児と大河は、泰子を実家におびきよせ一網打尽にする。泰子は両親と18年ぶりに再会をして止まった時が動き始める。どれだけ離れていても「家族」は、繋ぎなおすことができる。高須家の光景は大河を勇気づけ、逢坂大河はひとりで、決別したはずの家族の元へ戻る。
このように泰子の再生は、物語の巨大なキーポイントとなっていることがわかる。アニメ版では、比較的小規模な描写に抑えられていたが、原作小説では非常に大きな尺をこのテーマに充てており、最終10巻は家族崩壊と再生がテーマとなっている。真摯な物語ですよ。そして、原作小説の描写をさりげなく取り入れて保管するアニメ版の、穏やかな実家シーン。涙腺決壊とはこのことで、思い出すだけでキートップが滲み、タイピングも危うくなってしまうのだ。
とらドラ!原作小説から約15年。当時のティーンも泰子と同年代だ。一度、原作小説を読み返してみてはいかがでしょうか。きっと感慨深いよ。私はさっき出会ったばかりだけど。
(アニメと小説の描写比較は記事の後編で紹介します)
原作に忠実なアニメーション
『とらドラ!』原作小説を読むことで、アニメ版の『とらドラ!』が驚くほど原作に忠実なアニメーションであることが分かった。物語の尺を十分に取り、登場人物の台詞もほとんど差し替えなし。細かな所作やアニメオリジナルのシーンと思ったものが、原作の忠実な再現だったりする。
それでいて、原作からのイベントの取捨選択がうまく、小説1巻分の展開をアニメの2話~3話分でまとめているという手際の良さだ。
小説第1巻の展開は、主人公の二人が共同戦線を張って名前で呼び合うようになる、という展開は共通しているのだけれど、感情描写の細かさで非常に「甘い」空気が漂ってくる。ライクではないラブだ。アニメ版と比較して、小説版は直接的な恋愛要素が強い。登場するたびに美しさを強調される大河のことを、竜児が女性としての魅力を感じているという内面描写も多く、大河も竜児のことをまんざらでもない様子が多く描写されている。
一方でアニメ版の「恋愛関係とは少し異なる共犯関係」を強調するアレンジ加減は実に見事で、男女間友情バディという爽やかな関係は非常に良さがある。
小説版第1巻のクライマックス「電柱蹴り」のシーンは、小説版が非常に優れた演出をしているので、とても満足感が高い。ぜひ1巻だけでも読んでみてください。オススメ!
荒れ狂うパロディの奔流
本作は非常に多くのパロディが含まれている。作者の精神世界の表出なのか、90年代~00年代のネタが多く、なぜか週刊少年チャンピオンに関わる内容も多い。ネットスラングになる前の、古代オタク語文明の息吹を感じるのだ。パロディの一部を紹介していこう。
『覚悟のススメ』
説明不能
俺たちひょうきん族
バカちわわ
太宰治vs松本清張
さだまさし『関白宣言』&『水からの伝言』
Zoo(EXILEではない)
『スクライド』
(相当気に入っていたのか「速さが足りない」も出てくる)
『聖闘士星矢』
とらドラ!に登場するラーメンチェーン店『十二宮』。(アニメでは『六道』)店主のおっさんが開眼すると「六道輪廻」を発動する店であり、のちにバイトのみのりんがスカーレットニードルを会得しているので聖闘士星矢的なやつだと思う。
他にもNoteに掲載しないような感想文や元ネタ集があると思うので、実況ツイートへのリンクを張っておきます。Togetterは便利。
その他、隆慶一郎やジョジョの奇妙な冒険、古今東西のどこか懐かしさを感じるそういうやつの気配を感じてしまう。
小説版とアニメ版の終盤の展開の比較
最後に、小説版とアニメ版の違いを列挙してみようと思う。基本的に原則通りだけど、「しあわせの手乗りタイガー伝説」という単独エピソードと、原作9巻~10巻に相当する、アニメ22話~25話の違いが特に顕著なので、この期間に絞って紹介していく。
アニメ版14話「しあわせの手乗りタイガー」というエピソードは、原作2巻のおまけとして掲載されているものの、その内容はほぼアニメーションオリジナルである。この回のラスト、大河に触れた友人たちが祈った「願い」は、これからどのような結末を迎えるのだろうか。今後の展開を示唆する、折り返しの回となっている。
この話数には最終回でも大きくフィーチャーされる要素があり、亜美ちゃんが竜児に「本当にお前は子供だよな」と言われるシーンと泰子が「うちは3人家族なんだからね」と大河に伝えるシーンが、最終回付近で大きく取り上げられることになる。
アニメ版最終回では、亜美ちゃんが竜児と並び立つことができるようになった。大河の素直さに憧れ、目線を合わせて子供扱いしてくれる竜児に惹かれた少女は、友人として竜児の横に並ぶことができた。そして、この瞬間、亜美ちゃんは夏以降、裏も表もなく素直に発言し続けていたことがよくわかり、2周目以降のかわいらしさに拍車にかかることとなる。
泰子の存在は、想像以上に大河に多くを与えていたことがわかる。あのおちゃらけた母親がどれだけ大河を癒してきたか。この言葉によって、竜児と大河は15歳で大人にならなくてはならなかった「少女」を救うことを決意するのだ。
小説版とアニメ版の比較①
竜児のために過労で倒れる泰子という場面
・泰子が倒れた後の竜児の自棄的な徘徊(小説版)→大河と電柱を蹴り倒した交差点で我を取り戻す。(アニメ版)
・アニメ版の菓子店でのアルバイト申し出は大河から。(小説版に比べて自発性が強化されている)
・泰子が病弱であったこと、病院の匂い、竜児の孤独な記憶がアニメ版からオミットされている。
・校舎から逃亡した大河がバイト先にいる(小説版)→竜児が先回りをして大河を待つ(アニメ版)に変更。
・「ジャイアントさらば」の発生位置が、小説版では脱兎した大河を追いかけはじめるタイミングだったが、アニメ版では大河を取り逃がし保健室で竜児とみのりんが決着をつけるタイミングに変更。
・「ジャイアントさらば」の拳の挙動が変更となりニュアンスが微妙に変化している。みのりんが拳に口づけをして、竜児の唇にジャイアントさらば拳を打ち込む(小説版)→竜児の唇にジャイアントさらば拳を当てて、彼を大河の元へ送り出し、顔を伏せながら拳を自らの唇に当てるみのりん(アニメ版)
・アニメ版で省略されていた「ヘアピン」の話は、アニメ版では保健室の総決算パートに移動(わかりやすくなった)
アニメ版と小説版の比較②
バレンタイン事件の後、竜児と大河が母親連合と遭遇する場面
・アニメ版では、竜児が泰子のことを「お前」ではなく「お母さん」と思わず読んでしまうセリフが省略されている
竜児と大河が逃げ出す場面
「無一文でカンカン橋にたどり着き流れで水没、友人の助けを借りて、前向きに逃げるために自宅へ戻る」というおおまかな流れは共通しているがディテールが大きく異なる。
小説版では、大河サイドの母の描写が多くなっており、あのクソ親父に親権が渡るにふさわしい人物像が語られている。「親権を夫に奪われるレベルの行状」「札束で亜美ちゃんをはたく」「即再婚」「臨月ポルシェ」「ゆりちゃん先生への強請」等、ある意味で父親以上の暴れ方をしている。アニメ版ではこのような描写は抑えられており「表面上は」大河とママの関係は良好とされている。(妊娠しているが臨月ではない)
小説版では、大河が母親の元へ戻るためのハードルが非常に高い。それゆえ、大河が母親の元へ戻るためには、竜児が第一宇宙速度に達するまで竜児が背中を押す必要があった。また、父親に関しても具体的に「訴訟沙汰で夜逃げした」「大河の貯金を奪って逃げた」等が明らかになり、実際ウルトラハードモードである。
カンカン橋の上での告白に関しても大きな変更がある。
原作版は、2人分のマフラー(遺伝子や想いのメタファーである)を大河に重ねて、竜児からのキスが炸裂する。キスをすると人間は本当に目から火花が出る。そして「大河、好きだ!」である。その後、竜児が自殺しようとしていると勘違いした大河に龍虎乱舞を喰らい竜児が川へ転落、瀕死になる。
このあたりの小説版の描写は、ハッキリいって動線が不明瞭で文章が混乱していると言って良いと思う。アニメ版は動線がスッキリとしており、「死ぬな!」「突き落とす」「何事?」「あらやだ遺憾だわ」「嫁に来いよ」「両者水没」という流れがユーモラスかつ効果的。(シリアスなシーンから、一転して突き落としにかかるシーンが本当に好きなので何回も見ています)
「キス」と「好きだ」は最終回へ持ち越され、大団円への懸け橋となる。
小説版では川に落ちた2人を友人達が発見。文句を言い合いながらも凍死寸前の2人に全員の衣服を貸して温め合うという真実の友情が結ばれる流れとなる。(この場面はコメディというよりは行き過ぎたギャグ描写であり作者の情緒が不安になった)
アニメ版では、水没後の両者同時告白寸前に北村からの呼び出し。セーフハウスでの合流となる。
合流後、小説版のみの描写は、北村と竜児の確かな友情。原作の北村は人間臭さがあるので良いと思います。
アニメのみに存在する描写は、亜美ちゃんの竜児の意思の確認と2人を見送ったみのりんが亜美ちゃんだけに泣き顔を見せる場面。(小説版の解散シーンでの号泣がここに持ち込まれたのだろうか)
アニメ版と小説版の比較③
小説版で微妙な空気を発生させた「世界の中心で愛を叫ぶ」という竜児の変なセリフは撤廃。アニメ版でみのりんがラストに「同じ空の下で…」と言うのを亜美ちゃんが「くさすぎてつらいwww」と茶化す形で採用されている(のではないかと思う)
竜児と大河が駆け落ちする場面
小説版とアニメ版では、駆け落ちまでの構成が大きく変わっている。
アニメではあっさりと駆け落ちに成功する。(ドライヤーもってこいは原作へのオマージュであろう)
小説版では、劇団春田の活躍によって竜児と大河は学校からの駆け落ちに成功する。その際、教師生命をかけて母坂にたちふさがるのが、ゆりちゃん先生だ。あんた良い先生だよ。
小説版では、泰子が自宅から逃げたしたことを知った竜児が打ちのめされる場面が存在する。世界の全てが落下していく幻想で地に伏した竜児。だが、彼の想像力と願いは龍の如く翼を得て力強く天に昇った。全てを元通りにしながら全員が幸せになることを願い、いつも通りに部屋の掃除を行い、部屋を掃き清め、床を磨き上げるほどに竜児は自我を固めていく。
完璧な我が家を取り戻すという強い意志だ。基礎の反復によって蘇った竜児は、駆け落ちという名の前進逃走計画を立案する。
小説版での、泰子の実家「高須家」への訪問については大河の尿意が後押しをするという誰得展開がある。小さい子をもじもじさせるのはかわいそうだろ!やめてやれよ!
高須家での場面
竜児と大河は2人で祖父母に向かって頭を下げる。
小説版では「オレオレ詐欺」を疑われるシーンがある。時事ネタだけど、まさにそのオレオレ詐欺で泰子を実家に呼び寄せることになるのだから面白い。アニメ版では多くは描かれなかったが、小説版では、竜児と大河が高須家に馴染む姿が描かれており、真っ先にリビングの一番良い席に刺さり、ご飯を要求する大河の調子が微笑ましい。お腹を空かせた大河に祖父母家の冷蔵庫のごはんを使った竜児お手製のチャーハンを食うという、二人の出会いを再現したイベントも発生し「終わってしまうんだな」という気持ちにさせられてしまった。
祖父母との会話で、竜児は泰子に似ていると言うこと、泰子は手際は悪いが時間をかければ美味い料理を作れること、見たことのない幼い母のアルバム、顔の変わらない母、15歳で途絶えた写真、ケータイに収めた泰子の写真を見せ、18年経っても変わらない娘の姿にむせびなく祖母……うわあああん!! そういうのもうダメだ泣いてしまう。(泣いた)
泰子が騙されて実家に帰って来る場面
小説版では泰子が庭から高須家に帰ってくる。玄関を無視して突撃した泰子が庭からリビングに出現し、竜児を抱きしめて子供のように泣き喚く。無茶苦茶な距離の詰め方だったが祖父母が泰子を抱きしめて家族が再生される。母はようやく16歳になった。
これら場面はアニメ版だと簡素に描写されているのだけれど、原作ブースト効果により「竜児くん大きく育てたわね」のひとことでもう、うわあああん!!もうダメだ泣く。勝手に煎餅に手を伸ばすやっちゃん。小さな子供みたいになったやっちゃん。竜児の隣に立つパジャマのやっちゃん。おまえがヒロインだ。原作小説を経て、俺たちは竜児が一番救いたかった人間に手が届いた。泰子ぉーー!
新婚的なふたりの場面
アニメ版のこのうえなく美しいキスシーンと離別を表す窓枠のフレームインフレームという凄まじい演出は歴史的なものではないかと思う。そして、軽率なあやまちを起こしかねない部屋割りとのコンビネーション。もうダメだ。少し泣く。あとは頼みます。
ご安心ください。小説版では別部屋です。
ふぅー、これ以上泣かされたら持たないぜ。
「そっち行っていい?」
コラーーッ!!祖父母の家でラブコメ禁止じゃー!一瞬でも彼女に触れたらすべてを壊してしまうような緊張感ただよう空気。虎の前で背中を丸める竜……茶番の果て……目を覚ますと大河は……自分の戦いに向かう。自らの問題に一人で立ち向かうために。アニメ版では家族3人で帰った道を、大河はひとりでゆく。どんなに離れても家族なんだと高須家が証明したからだ。
地球が人類をアースバウンドするような引力=愛を振り切り、おまえは行くというのか逢坂大河!
「重なる世界を求めて叫ぶ。どんなに遠く離れても愛さえあれば通じあえるのか? でも、奪われた心は取り返せない。人間の思考などではとうてい追いつけないパワーで引き寄せあい、求めあい、呼びあう。それでも行くのか、大河。 この凄まじい力を振り切って、それでもおまえは走るのか。」
—『【合本版】とらドラ! 全13巻 (電撃文庫)』竹宮 ゆゆこ著
https://a.co/dzzFQlH
小説版とアニメ版の比較④
大河の旅立ちと少年少女の場面
小説版では、竜児が大河が去ったことを級友に説明する。アニメ版では殴られつつも大河からの星の写真で丸く収まった形になるのだけど、小説版では、大河を除く4人で彼女の部屋へ不法侵入するパートが存在する。(竜児と大河は合鍵交換までしておいてアレだったの!?)
アニメ版では忘れていった貴重品ポーチをしっかり持ち去り、部屋をきちんと整頓した覚悟の帰郷。仲間たちがむせびなくが、ひとりで彼らを押さえ込み「大河を追わせない」ために全力を尽くす竜児。
俺たちがひとりで歩けるようにならなきゃ!大河が安心して帰ってこられないんだ!
少年少女は泣き、喪失を自らの肉体のパーツとして受け入れる。みのりんと亜美ちゃんが抱き合って泣き叫ぶ。北村は微妙に蚊帳の外だ!(かわいそう)
「でも、行くのだ。みんな行くのだ。それぞれの道を生きていく。」
—『【合本版】とらドラ! 全13巻 (電撃文庫)』竹宮 ゆゆこ著
https://a.co/6iaYsvS
それでもダメなら目で行くんだ。それでもダメな時は想え。ありったけの気持ちで想え!想え……!
高須は停学寸前の処分で校内清掃を命じられる。だが、それが校内お掃除革命の引き金になるとは教師陣も思っていなかったのだ。
小説版とアニメ版の最も大きな違いは、大河の独り立ちの期間だろう。
小説版では、数か月後の新学年開始時、アニメ版では1年後の卒業式に大河は帰って来る。
新学年開始の場面
彼らは新学年を迎える。3年生の初日。あまりの小ささに気がつかなかったあの存在との激突を再演して、2人は再会し、新たな幕が開く。
卒業式の場面
アニメ版では、一年もの期間、パートナー不在で独り立ちした2人が、思い出の掃除ロッカーで再会する。哀れみでも依存でもない対等な関係。竜児は伝えられなかった言葉を伝え、大河が暴力で返す。タイガー&ドラゴンはそういうふうにできている。舞台は幕を下ろす。
物語の完結性としてはアニメ版。未知の可能性を求めるのは小説版となるだろうか。単純に双方を比較するのは難しく、どちらも素晴らしい作品だったというしかない。お互いの特性を活かしたマルチメディア相互補完の理想系だと思う。
まだ語りきれていない部分もあるが、これ以上、言葉を費やしても蛇足にしかならない。
ありがとう、とらドラ。ありがとう白菜さん。
おしまい
ポコンッ
【本体を持っていないゲームソフトを購入する】実績を解除しました
――彼らは帰って来る――
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