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可能な限りくだらない、個人的な話をすること

9月になった途端、秋が来てしまったね。バイバイ、夏。夜花奪還作戦をしたりアイドルの後ろ姿を追いかけたりして、たくさん花火を見た夏でした。画面の中のね。

今年は、あまり悔いのない夏だったように思います。久しぶりに長い夏休みを取れたおかげかもしれない。推しすごろく大会をしたり、風呂場の換気扇フィルターを掃除したりした、おうち夏休み。8月末にひどい夏風邪を引いたのも含めて、夏、でした。風邪はもう引きたくない。

今日は、人と可能な限りくだらない話をすることについて書きます。

人と可能な限りくだらない話がしたい

先日、「人と可能な限りくだらない話がしたい」というツイートをしました。


noteを見返すと、半年前に、このようにも書いていました(書いたことを忘れていて、見て思い出した。やはり書き残しておくことは大事……)。

けれど、人が思考や感情を言葉にするのを受け止めることも、ほとんどやっていない。COVID-19の流行のある生活は一年近く続いている。その間、誰かと話をする機会は激減していた。特に、ヘビーな話は。そして近頃、人としっかり話せていないことはとても困る、と思うようになった。
なぜならば、いざという時に、人の大事な話を聞く力が著しく落ちているから……。

二つの「くだらない話」

先日ツイートした「くだらない話」には、二つの意味がありました。

1. くだらない話 ライト:取るに足りないささいな話
2. くだらない話 ヘビー:非常に個人的で重たい話

1は、ただのくだらない話。
2が「くだらない」のは、私にとっては重大なことでも、聞く相手には関係ない(くらいに個人的な)話、という意味で。

くだらない話は、しづらい

1も2も、このご時世、しづらい話である。
私は、仕事は完全在宅、休みの日もできるだけ家から出ない、という派閥です。同居人や同僚以外と話すとなると、オンラインの場をセッティングすることになる。

ところが、取るに足りないささいな話も、非常に個人的で重たい話も、人と予定を合わせ、時間を確保してもらって、わざわざ話す……のか? という気持ちが拭えないんですよね。

会って話すならともかく、通話では、かなりやりづらいと感じます。特に2は。

くだらない話をせずにいると心が蝕まれる

ところが、いずれのくだらない話も、長い間話さずにいると、心を蝕むみたいなんですよ。どうでもいい話って、実はどうでもよくなかったんだ。不要不急が、実際には不要ではなかったみたいに。

くだらない話は、ともすれば愚痴になるものです。ライトな方も、ヘビーな方も。ある時の私はまさに愚痴をこぼしたかった。だけど、くだらん愚痴を聞いてもらうために人に時間を割いてもらうのは気が進まない。しかし、このままでは本当に心が耐えきれぬ……。ぐるぐるとそう思って、ついに知人に連絡をとったのが先日のこと。
通話で、取るに足りないささいな話をして、それから非常に個人的で重たい話をさせてもらったのでした。

あなたと話せてただ嬉しかった

人とくだらない話をしてみて、わかったこと。

話してみてよかったな、と思います。一人で抱えられない物事や、一人では答えを出せない課題というものは、ご時世にお構いなくあるものです。人生は進んでいる。
信頼できる知人に話を聞いてもらい、助言をもらえるのは、本当にありがたいし、役に立つし、何より悩み疲れた心の強力な支えになります。

私は「こんなくだらない、個人的な話を聞いてもらうのは申し訳ない」と思っていました。けれど、実際に話してみると、私が喋るばかりではありませんでした。喋っては聞き、聞いては喋り──それこそ、ささいなものから重いものまで──、その繰り返しでした。忘れていた。コミュニケーションはキャッチボールだってことを。(これは非常にまずくないですか?)

久しぶりに話ができて、ただただ、嬉しかった。

ささいな話をしたりされたりする時間は、それがささいであればあるほど、癒しのコミュニケーションだったのかも。
重たい話を聞いてもらったり聞かせてもらったりすることは、人との相互の信頼を感じられる、かけがえのない時間だったのかも。
そう思いました。

くだらない話をし続ける

そして、今後の話。

くだらない話を、ライトなのもヘビーなのも、たまには人としないといけない。心を守るために。

そういう話ができる関係性は、COVID-19が流行り始める前に構築されたものだよなあと思います。対面でなくオンラインで(時にはビデオなしの声だけでも)、ライト / ヘビーな話は、それまでに直接会ってたくさん話してきた相手じゃないと、たぶんできない。信頼の蓄積や、話し方のくせを知っていること、互いの信念や価値観を共有していること、これまでのあらすじを承知していること……そんな色々な要因によって。

そういう貴重な知人たちに、「あなたに助けてもらいたいんだ」と声をかけることを、必要な時にはためらわないようにしたいなあと思います。それは、きっと今たくさんの我慢をしているであろう相手にとっても、それなりに嬉しいことかもしれない……と自分を励ましながら。そして、次には私が聞く番ね、というのも忘れずに。

それと、いざという時頼りたい知人に、時折近況を話しておくことは、かなり大事な気がします。人生いつ転機が来るかわからなくて、急に大変なことになって誰かに相談がしたくなっても、「えーと、どこまで話したことあるっけ……」と3年分のあらすじを喋らないといけなかったりすると、話す方も聞く方も大変。たまに最新話までのあらすじを共有しておいて、何かあった時タイムリーに追いつけるようにしておくと、いいのかも。

ますますハードルが上がりますけれども。年に数回の頻度で、ライトでヘビーなくだらない話ができるっていう関係性を、大事にしていきたいなあと思うのでした。

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