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ロック魂

モンゴル800というバンドがある。

沖縄出身で、インディーズでありながらアルバム『MESSAGE』はオリコンアルバムチャートで1位を獲得、280万枚を売り上げたという。このアルバムを初めて聴いたとき、歌詞の内容以上に、バンドの演奏そのものに感銘を受けた。インディーズ製作のアルバムだから、当然の事ながら予算は少ない。そのサウンドは非常にシンプルで、元の音の上に更に演奏をかぶせる『多重録音』すら行われておらず、ギターソロのバックはベースとドラムだけという所謂スカスカの状態が目立った。しかしそのスカスカ感が、逆にバンドの勢いを強調しており、歌詞のメッセージをストレートに伝える効果があったように思う。

こうしたシンプルでストレートな演奏を聴いて思い出したのが、初期のヴァン・ヘイレンのアルバムであった。セカンド・アルバムあたりまでは、ヴァン・ヘイレンもモンゴル800のように多重録音を用いず、シンプルな演奏をする楽曲が多かった。バンド構成がシンプルなトリオ(ギター、ベース、ドラム)であることもあって、隙間は多いが勢いのあるロックに仕上がっていた。この構成にキーボードが、あるいはギターがもう1本加わるだけで音の厚みは遥かに増すのだが、バンドそのものの勢いは影を潜めてしまう気がするのだ。

かつてのハードロックの巨頭であったレッド・ツェッペリンも楽器の構成自体はトリオであったし、ボクの大好きなベック・ボガート・アンド・アピスも文字通りトリオであった。ローリング・ストーンズ、エマーソン・レイク・アンド・パーマーなどなどトリオ構成のバンドは、枚挙に暇がない。そのバンドの活きの良さやメッセージをストレートに伝えるには、トリオ(最近では3ピースというらしい)のようなシンプルな構成の方が、聴く者により伝わり易いのかもしれない。

ジャンルを変えてジャズやフュージョン(古っ!)を見てみると、日本人に最も人気のあるのは『ピアノトリオ』だそうだ。確かにバド・パウェルの『クレオパトラの夢』は、テレビ番組のテーマに使われたりして有名になっている。ビル・エヴァンスの『枯葉』やウィントン・ケリーの『朝日のようにさわやかに』のように、ジャズの名演といわれる曲にはトリオ演奏が多いのも事実だ。管楽器を擁するクィンテットやカルテットでも、フロント楽器のソロが終わってしまえば残るのはピアノトリオの構成である。ジャズは元々がスカスカな隙間の多い音楽なのである。その隙間を各人のソロが埋める形で演奏されるのが最大の魅力であるといって良いと思う。

これに反してマイルスによって導入されたエレクトリック・ジャズは、特にスタジオ録音においては音の厚みが重視される。楽曲自体の魅力を充分に発揮するために、アレンジメントされたアンサンブルが用いられ、ソロパートはその次に位置することになった。ライブではアレンジメントが大幅に変えられ、ソロを重視する構成になるところが特徴だろう。

このように音楽におけるメッセージは、シンプル且つ力強く発信するのがベストである。もちろんクラシックのオーケストラのように、多様な楽器をアンサンブルすることで表現される音楽もある。しかしこれは演奏者個人やグループのメッセージというよりは、作曲家のメッセージを伝えるための音楽であるように思われる。コンテンポラリー・ミュージックとは根本的に方向性に違いがある。僅か数人の人間が一丸となって強いメッセージを発信するのが『バンド』演奏だ。そこに『打ち込み音楽』が介入する余地はない。

IPodに入っていたモンゴル800を久しぶりに聴いて、改めてロックスピリッツを強く感じた次第。

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