名乗らずに質問できるのが物理学会のいいところだと信じてきたのですが

そうは思わない方もいらっしゃることを知り、大変驚いています。

続きを読むと、本来訴えたいポイントは別にあったようです。そちらの論点のほうは理解できます。けれど、少なくとも話の糸口としては非常にまずいと思うのです。

A. 不快な目にあった人がいたので知ってほしい対処してほしいという意見
B. その原因はこうなんじゃないかという意見

両者は完全に別物ですが、B を糸口にして A を訴えようという書き方で B が間違っていたら、肝心の A に耳を傾けてもらえるはずもありません。 特に B に関して「それ(= B)は部外者の見当外れな指摘だ」と思われてしまったら、なおさらです。指摘している側では「それ(= A)を部外者が指摘したらまずいというのか? おかしいだろ!」と解釈してしまい、それで話がこじれているように思えます。

名乗らずに質問する慣習には、若造であっても安心して質問できることを保証する側面があります。物理学会の行動規範にも「他者との関係」についての項目があって、健全な批判を促しているように思えます。

それで、こちらの「反省まとめ」という記事に長文のコメントを寄せました。 そのコメントで、ある程度のことは伝わるだろうから、それでいいや、と思っていたのですが…。

そのあとも、まだ紛糾は続いているのですね。

このあと読んで行くと

最初のやり取りから僕はずっと2番目の話をしています。
ちなみに2には同意されるのかどうかもよくわかっていません。だから問題だと言っています。

と続きます。 ここで私としては大いに困惑するのです。

あなたは2には同意するか?と問われれば、短い答えは「同意しない」ですが、これは非常に誤解を招く答えだろうとも思います。 長い答えは「冒頭の "従って" が間違った前提に基づいているので、そのあとの内容がどうであろうと2には全体として同意できない」です。

2の冒頭で「従って」と書いておきながら、1の話はしていません、という主張は、1には議論の余地はない、とも聞こえます。これはさすがに賛成できないなあと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?