エア自傷

※自傷とかその手の話が出てきます。お嫌いな方は読まないでくださいね。

今日はなぜかだめだ、全然気分が上がらない、午後から仕事に行くのに体が重く沈み込んでどうしようもなく動かない。

どん底の時には(しかしひんぱんにそれは訪れるのだが)いつもギロチンで首を落とされるイメージをする。

それは思ったより大きく、見上げるほどだ。でも見上げてその切先を見てしまうとだめだろう。恐怖で進めなくなってしまうだろう。だから凝視はしない。ぼんやりとした像だけにとどめておく。

そっと近づいて、数段ある階段を登り、ひざまづく。ドレスのスカートの裾がなるべく綺麗に見えるようにあしらう。
目の前の丸くへこんだ部分にきれいに首が嵌るように、頭を預ける。
その動作はなるべく静かに、落ち着いて行わなければならない。決して動揺を悟られてはいけない。そっと、優しく。

切先さえ見なければ、きっと取り乱すことはない。
なんてことない。すぐ終わる。
注射だって針さえ見なければ大丈夫、いつも横を向いてやり過ごしているだろう、いつの間にか終わっている。その程度のことだ。後は楽になる。

ドン。

果たして実際のその時に、音は、聴こえるのだろうか。
そこまでのリアリティを追求するほど、ギロチンとその使用状況について私は知っているわけではない。本で調べたり、ネットで検索したりしない。なにしろそんな文章はとてもこわいのだ。

あくまでイメージ。イメージとしてのギロチン、イメージとしての処刑。

その前のイメージは左腕に傷をつけていた。いわゆるリストカット。
エア自傷、と呼んでいた。

わたしが最初にそれをしたのは高校生の時で、背中に常にナイフを刺していた。授業中先生に当てられた時。係の仕事で男子と会話した後。教室の後ろでかわいい朗らかな女の子たちが集まって会話している声を聞きながら。
常にナイフを持った手が後ろにいて、何かあってもなくても、それを背中に刺していた。

刺していないと、正気を保てなかったのだと思う。
刺していたら、平静をよそおうことができた。まわりには「地味なふつうの人」と思われていたと思う。でも刺していた。心の中で。背中にナイフを。
ちなみに人に刺すことはなかった。

久しぶりに刺してみた。
今日はぐりぐりとひねりも加えてくる。痛くはないのに、えぐられる感触だけはある。イメージなのに。エア自傷なのに。

他にもこういう人はいるのだろうか。
心理学系のいろんな本を読んでみたが、いまだ同じ事例や経験が書いてある文章に出会ったことがない。
いたらぜひ、お話ししてみたい。そちらはどんなイメージ?って聞いてみたいなと思う。おいしいコーヒーを飲みながら。

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