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月の壁 ~ミナコの月 4

■17年。


 
 
高校の同窓会の案内状が届いた翌日、
ミナコはいつものように、いつもの電車で出勤した。

 
 
1月の、冷たく乾いた風が、
ミナコの白いコートの裾を、
幾度となく、ひるがえしていく、そんな朝だった。

 
 
会社のロビーを抜けて、エレベーターに向かうミナコの靴音に
前を歩いていた、黒いコートを着た、若い男性社員が振り向いた。

 
 
「あっ、おはようございます、主任。」
彼は、つかさずミナコを見るなり、軽く会釈をして挨拶した。
 
 
 
 
「おはよう、前田くん。」
ミナコは、ふっと表情を緩め、
彼の会釈に軽く手をあげて返事をしながら、
一緒にエレベーターに乗り込んだ。

 
 
前田くんは、入社して3年目の、ミナコの部下だ。

 
 
頭が小さくて、顎が細くて、白い歯並びの良い笑顔
柔らかそうな少し茶色の髪と、黒目がちの瞳。
テレビでよく見かける、育ちの良さげなアイドルに、
どこか似ていて…

 
 
ええと…、
彼に似たアイドルって、名前、なんだったっけ…
 
 
…ええっと…
 

ああん、こうやって、すぐに名前が思い出せないって、
私もそろそろ、、、、

 
ミナコは、自分のことながら、ふっと笑った。


 
 
 
 
それにしても、
エレベーターの中って、なんでこんなに静かになるんだろう。


 
 
しばしの静寂の中、
ミナコは、ふっと思い出した。


 
 
 
…あっ、そうそう、思い出した。
 
 
 
 
ミナコは、右隣に立っている、
エレベーターの回数表示を見上げている前田に、
小さな声で問いかけた。

 
「ねぇ、前田くん、担当していたアレ、
先週、課長に提案していた企画書、
今日あたり、稟議通って許可申請、下りてくるんじゃないの?」
 


 
 
「えっ、あ、はい。今日の午前中には分かると思います。
もし、許可申請、とれてたら、
ご相談したいこととかあるので、
午後、一時間くらい、お時間とれますか?」
ミナコの小声と同じトーンで、前田は言葉を返した。
 


 
「了解、オッケー。」
ミナコは、聞こえるか? 聞こえないか?
さらに小さな声で、前田に返事をした。
 

 
エレベーターを出て、
2人は自分達の部署のある部屋へと歩いた。
 
 
 
 


 
青木ミナコ。
 
39歳。
独身。
 

 
株式会社テラシタコーポレーション
企画部 企画推進課 主任。
 

 
4年生大学を卒業して、総合職でこの会社に入社して、
はや17年。
3年前から主任となり、
前田をはじめ、4人の部下がついた。

 
 
 
ミナコが所属している部署は、8階の南東の角。
エレベーターからは一番遠いが、
 

大きなガラス窓が一面に張られ、
社内一、見晴らしがいい。
 

 
朝の陽射しが、さんさんと降り注ぎ、
日中は、下手すると、蛍光灯もいらないくらいの明るさだ。
 

 
 
しかも、ビルにしてはめずらしく、
夏も冬も、暑すぎず、寒すぎず、
常に快適さを保っているオフィスの中でまる一日過ごしていると、
季節さえも忘れてしまいそうなくらい、居心地がいい。
 

 
 
もちろん、それは、空調だけでなく、
会社の雰囲気や、社風、
そして社員のほとんどが、心地いいと感じられる会社だから、
…なのかもしれない。
 

 
 
だから、17年も、こうして毎日、
通い続けることができているのかもしれない。
 
 


 
これって、ありがたいことだよね。
 
 
 
 
ミナコは、今更ながら、ふと、そんなことを想った。
 
 

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