見出し画像

あの時私は、確かに充実していたんだ

私は今、主婦兼モノ書きをしています。
子供がまだ小さいので、子育ての隙間時間にコツコツと作業をしています。

日々の進みは悪いですが、それでも毎日充実しています。

忙しい毎日を送っていて、寝る時間もないくらい色んなことを考え過ごしていた日々はあったが、それは充実とは違う。言わばそれは、貧乏暇なしってやつだ。
生活するためだけに、寝る間もなく働いていた。

「毎日が充実している」そんなふうに感じたのは、今が初めてかもしれない。

夢だった自分の作品が本になって、そして日々小説を書く時間があるのだから。

最近noteを書いていて、昔していたことや、その時の自分を思い返すことが増えたけど、それは決していいことばかりではなかった。

私の前の記事を巡ってくれる方がいたら嬉しいが、昔の私は親を恨んだり、育った環境を恨んだりしていた。

夢というものは早い段階から持ってはいたが、それを叶えられなかったことは自分の生まれ育った環境が悪いからだと思っていた。

だけど、そのすべてがあったから今の私がいて、今のこの充実した時があるんだと感じている。
まあ、ここまでくるのに、ずいぶん時間はかかってしまったけれど……。

画像1

思春期と言われる時、私は漫画を描くことに夢中でグレるという経験はなかった。良い子ではなかったかもしれないけど、夢中になれるものがあっただけよかったんだと思う。

漫画家をしていた時は、アシスタント時期含めて、いろんな作家さんの家にいかせてもらい、簡単に経験できることではない、そんな仕事を経験させてもらった。出版社に通い、編集さんに意見を聞けること、それは、とても勉強になったし、自分の自信にもつながっていた。

居酒屋でバイトをしていた時、とにかく人見知りだった私が、どんな人とも平気で会話が出来るようになった。そして、料理の知識も少し身に着いた気がする。この時にコミュニケーションというものを学んだ。

漫画が描けなくなり、夢が消えてしまったけれど、その後の働いた先での出会いはとても濃いものだったように思う。
もちろん中には「うーん……」と思える人もいたけど、私は人間関係には本当に恵まれていると言えるくらい、素敵な人たちとの出会いが待っていた。

そして、漫画家を続けていたら、主人には出会っていなかった。
これはとても大きいこと。

漫画家をしていた時は結婚なんて興味もなかったし、この仕事がずっと出来るのなら、結婚なんて必要ないとさえ思っていた。
そんな私が主人と出会い、結婚して子供もいる。あの時の私にしたら驚きだろう。
そしてなんといっても、主人の家族、親戚がとても素晴らしすぎたこと。
本当の家族のように思えるくらい温かく迎え入れてくれた。

そして子供が産まれてすぐに、小説の書籍化が決まった。

漫画家の時に叶えられなかった夢が、この年になって叶えられるなんて!

そして現在も小説を書き続けている。
昔出来なかったからか、「あれもしたい。これもしたい」と、いろんなウキウキ(死語?)なことが頭の中いっぱいになっている。


昔のことを思い返すと、普通の家庭で育ってきていないことから始まり、早くから一人で生きてきたこと、とにかく私は順風満帆ではなかったし、『普通』といわれることを経験したことがなかった。
でもその分、周りの友人が経験できないようなことを経験してきた。

その時の節目節目のことを思い返すと、大変な事ばかりだったけど、あの時の私は実はすごく充実していたんじゃないか……そう思う。

そう思いたい。

それは今の生活を考えると、決して幸せだ!と言えるようなものではないし、とにかく苦労ばかりだったと思う。

だからこそ今があって、今の幸せがあって、今が充実していると本当に思えるんだ。

よく昔の苦しいことや辛い思いは浄化して忘れるべき。なんて聞くけれど、時々こうやって思い出すのもいいと感じた。

だって、それが、今の私の幸せにつながっているんだから。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 夢だった小説家として、沢山の方に作品を読んでいただきたいです。いただいたサポートは活動費と保護犬、猫のボランティアの支援費として使わせていただきます。