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花の記憶7 邂逅編




秋の霖。
硝子窓から見える薄墨雲から、音も無く、静かに降り注いでいる。

(また…雨…)
確かあの子は…この雨の事を、「盗人雨」だと、教えてくれた。


「………」
「蓮、そこの段ボール運んで」
「嗚呼…」
沢山の古書で溢れた、山積みの箱。
紙、洋墨、装幀、黴や埃、染み付いた煙草、この家の匂い…少し化学的な、古い匂いが、あの子は好きだと言った。
(…また…)
独り、悩んでいると、伊織が溜め息混じりに呟いた。
「今日も生憎の雨だから、閑古鳥が鳴いているよ…休み同然だねぇ…」
「………」
「しかしまぁ…よく降るもんだ。もう1週間続いてる…」
「………」
「………」
「雨が降ると…あの子を思い出す…」
「…?」
箱を置いて、伊織に目をやると、何時も通り笑っているのに…暗い。

(伊織…)
直感的に、嫌な予感がする…


「蓮……こんな事、本当は…言いたくは無いけど…」

伊織…?

何…言うつもりだ…

「…もし、あの子が……」

嫌だ…

止めろ…

聞きたく無い…

「…伊織…!」

「『自殺』…していたら……」

止めろッ!!



「巫山戯んなッ!!」

俺は力任せに伊織の首を鷲掴み、壁に押さえ付けた。
「うっ…!」
「…放してくれ…!」と言う様に、伊織が俺の腕を掴み、視線で訴える。
だが、そんな抵抗も虚しく、逆にその手を掴み、また力で押さえ付ける。
伊織の細い手首…折れそうなくらいに…
「ぅ……れ…ん、痛い…!」
苦痛で歪んだ伊織を見下ろす。

怒りで睨み、恐怖で覆い被さる。
「………」
耐えられなくなった伊織はその儘、視線を逸した。

「……御前…」
「………」
「…簡単に言いやがって…!」
「そ、そんな…つもりは…」
「黙れッ!!」
「…!」
俺の声で、強張る身体。
より一層、力で、言葉で、押さえ付ける。
「…そんな事…!ある訳無いだろ…!」
「………」
「俺が…俺がどれだけ、あの子を愛していたか……知らないくせにッ…!」
「………」
「あの子は、俺の…俺だけの物だ…!」
「あの子を守れるのは俺だけだ!傍にいて良いのは俺だけ
だッ!御前なんかが口出しするなッ!!」
「…うぅ……蓮…」
「良いか…?二度と…二度と口にするな…」
「………」
(糞…何だよ…!)
「おい…答えろよ……俺の質問に答えろッ!!」
「………」
(糞…!糞がッ!!)
「答えろッ!答えろって言ってんだろッ!!」

怒りの感情と共に、首を強く締め付けた。
この手に…徐々に締まっていくのを感じる。
「はぁッ……くっ…!ぁ……嗚呼ッ…!」


「……蓮…」
怯えた瞳が、俺を貫く。

とある記憶の根。

酷く怯えたあの子の顔。

「嫌…来ないで…!」




「雨…花…」




「………」
(何…だ……これ…?)

視界に広がる光景が、全く理解出来無い。

(俺が…伊織を…?)

混乱していると、伊織の目が虚ろくなり、涙を流し乍ら口を開いた。
無理矢理、『笑顔』を作って。

「…れ…ん……蓮…御免…ね……」

その言葉を聞いた瞬間、俺は手に力が入らなくなった。

それと同時に、伊織は糸の切れた操り人形みたく、冷たい床に仰向けで倒れた。

ゴトン。と、鈍い音が部屋中に響き、身体も、視界も、脳も、心の奥底迄も、全てが困惑で包まれた。

「うっ…!はぁ…はぁっ…はぁっ…はぁっ……!」

身体全体で苦しそうに呼吸をする、その白くて細い首筋と
右手首には『狂愛』と言う、身勝手な痕が付いていた。

「ぇ……ぁ…あっ…」

もう…どうすれば良いのか……分からない。
兎に角、身体の震えと涙が止まらない。

………

俺は…此処に、居ちゃいけない。

全て……傷付けて仕舞う…

そんな感情と共に、俺はこの世界から飛び出した。

愛しい、掠れた声が聞こえても、振り返らず。

人気の無い陰鬱とした薄墨を切り裂く様に、俺は疾走った。

何時の間にか雨脚が強まり、見る物全てを濡らして行く。

…大切な人をまた…傷付けて仕舞った。

俺は…何て事を…!

もう彼処には、戻れ無い…

………

…嗚呼、そうだ……彼奴だって、同じ事言ってた…

『御前には俺の血が流れてる…俺と同じなんだよ』、と…

どう足掻いたって、血は争えない。

嗚呼…きっとそうだ…

俺は―――




俺は、彼奴と同じ……醜い化け物なんだ…!




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