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嫉妬はクリエイティビティの源泉?

昨年受けたムサビ大学院の授業の中で「嫉妬はクリエイティビティの源泉」と先生から言われた。ちょうど1年前くらい。

なぜかこの言葉がずっと引っかかっていた。あまり嫉妬という感情が湧くタイプではないと自分では思っているが、この10年間くらいの中で「これは嫉妬だ。」と思わず自分で認識してしまう場面というか対象が2人いた。


1人はクドカンこと脚本家の宮藤官九郎さん。いつかの年末、やることがなく家でゴロゴロしながらテレビを見ていた。流れているのは、年末一気見の朝ドラあまちゃんの総集編。リアルタイムで見たことがなかった。総集編にもかかわらず、びっくりするくらい面白く、ちゃんと全話見てみたいと思い、気づいたら次のボーナスであまちゃんのDVDを大人買いしていた。そしていつの間にかあまちゃん公式ガイドブックなるものまで購入する沼にはまっていた。世の中であまちゃんブームが過ぎた頃に自分のあまちゃんブームがやってきた。

見たことある人なら分かると思うが、前半に散りばめられたエピソードが終盤へ進むにつれて気持ち良いくらいに回収されていく。基本笑えるが、時折ホロリとくるような話が来る。震災も扱っているが、お涙ちょうだいの紋切り型では決してなく見ている人を明るくさせてくれる。「どうやったらこんな話思いつくのだろう?」と疑問に思っていた。

そんな時に読んだあまちゃん公式ガイドブック。一つひとつのシーンに込められた製作側の意図が紹介されていて「こんな細部まで考え抜かれているんだ」と唸った。中でも宮藤官九郎さんに触れられている演出家のインタビューには一番の衝撃を受けた。要約するとこんな内容。

演出家の方と宮藤さんで岩手へ旅行に行き、帰りの新幹線の中でしゃべりまくった。その時の宮藤さんの話の中で、あまちゃんの話の骨子やキャラクターまでほぼできあがっていた。

稲妻に打たれたような感覚だった。あのような複雑に絡み合って細部の細部まで描かれている話の根幹がわずか岩手-東京間の約3時間????

心から羨ましいと思った。思考回路というか、今までどんな生き方したら3時間であまちゃんが書けるのか理解不能だった。


嫉妬した人、もう1人。小国士郎さん。

実は今回この本を読み、note に書こうと思った。

初めて小国さんのことを知ったのは数年前。何気なく読んだWeb記事だったと思う。ものすごい量のメディアに取り上げられたのでご存知の方も多いかもしれないが「注文をまちがえる料理店」だ。

まず名前に興味を惹かれる。「注文をまちがえる料理店」?なんだそれはとなる。

上の記事の表現をそのままお借りすると、『注文をとるホールスタッフが全員認知症の人という期間限定のレストラン。間違えることを受け入れて、一緒に楽しむという新しい価値観を発信していく』。・・・なるほど!過去の自分も Web 記事で同じ説明を読んで分かった。

とても記憶に残っているのが、本屋でこの「注文をまちがえる料理店のつくりかた」の本を手にした時。

立ち読みでページを開くと、まず写真の美しさに目を奪われる。認知症のスタッフ含む映る人全員が笑顔。料理もとても美味しそう。写真は雄弁。それぞれのプロが関わっていることが一発で分かる。これもクドカンさんの時と同じ衝撃だった。衝撃的すぎて立ち読みした場所まで覚えている。鹿児島出張の際に立ち寄った天文館のマルヤガーデンズ(聞いてない)。もちろん即購入した。


初めの話に戻る。「嫉妬はクリエイティビティの源泉」?というあれだ。結論としては、そうかもしれないと思った。自分がこのお二人に強烈に反応するのも、うまく言語化できていないが自分がやってみたい方向性の何かを実現していたり姿勢で取り組まれているのだと思う。そう考えるようになった。

嫉妬という感情、ネガティブなイメージだが、ほどよい距離感を保てれば自分を見つめ直す機会となるのかも。

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