見出し画像

山月記は実話であり、HIPHOPである。

みなさん、山月記って覚えてますか?

高校2年生の国語で読んだ方もいらっしゃると思います。

中国の詩人が虎になる物語で、「その声は我が友、李徴子ではないか」というセリフだけやたらと有名。

漢文みたいな読みにくい文体と、人が虎になるという意味不明な内容から、ただテストだけ適当に済ませた方も多いと思います。

でも、それはあまりにももったいない。

なぜならあの小説は、中島敦に降りかかった実話を描いた物語だから。

本稿では、中島敦の山月記に人生を変えられた私が、あの作品の魅力を語り尽くします。

もし少しでも納得できたら、どうか、2042年まで、頭の片隅に置いておいてください。
そして自分の子供たちに、ぜひ伝えて欲しいんです。

結論は、表題の通り山月記は実話であり、HIPHOPであるということ。

そのためにまず前提知識として「HIPHOPとは」と「山月記とは」について簡単に説明した上で、山月記の真実へ切り込んでいく構成を取ります。
順に見ていきましょう。


HIPHOPとは


実はHIPHOPには『ラップ』『DJ』『ブレークダンス』『グラフィティ』という4つの要素があります。
全て語ると長くなるので、今回はラップとDJに注目しますね。

まずラップとは何か。
簡単にまとめると、
『ありのままの自分や実体験を表現すること』です。

例えばラップって、絶対にラッパー自身が歌詞を書いていることをご存知ですか?
J-POPなどは、作詞家と歌手が分かれていることって結構普通ですよね。
その方が工場のような分業制が取れて楽曲を量産できるので、利益を生み出しやすいからです。
これは1950年代のアメリカで生まれた音楽ビジネスの定型なのですが、詳しく知りたい方は以下の本をお読みください。
※私のゼミの教授の本です。

しかしラップは、どんな曲も絶対にラッパー自身が作詞します。
しかもその内容は、全てラッパーの実体験に基づくんです。

むしろ実体験以外を表現すると「フェイクだ!」と批判され、刃傷沙汰になることさえあるくらい、実体験であることは重要。
逆にありのままに表現すればするほど、「こいつはリアルだな!」と称賛されるんですよね。
この "リアル"や"フェイク"についても話せば長くなるので、なんとなく「嘘をつかない方がいいんだな」程度にご認識ください。

さて、このHIPHOPは、差別を受けていたマイノリティから生まれた文化なので、そこで表現される実体験は得てしてネガティブな内容でした。
貧困や暴力、病気や違法行為などです。

しかし大抵のラップは、そんなネガティブな表現だけでなく、「こんな環境すらも糧にして、俺は絶対成り上がる!」とポジティブな未来も語ります。
これはHIPHOPでは「ボースティング」と呼ばれていて、「リアル」などと同様に、わざわざ名前がついているほど欠かせない要素なんです。
このボースティングの重要性については、以前書いたnoteをご参照ください。

ちなみに昔インタビューした空音さんも実体験への表現にはこだわりを持っていらっしゃいました。

さて、まとめるとラップ(=HIPHOP)の特徴は下記二つ。
①ありのままの自分や実体験を表現すること
②歌詞ではネガティブな実体験を表現しながら、ポジティブな未来もボースティングする


次にDJについて、『ブレイクビーツ』という特徴を説明します。

DJと聞くと、レコードをこすってスクラッチ音を響かせるイメージがあるかもしれません。
あのような演奏技法をブレイクビーツと言います。

端的に言うと
『元々ある音楽を破壊して、自分なりに再構築する』ような技法のことで、
演奏時だけでなく、楽曲を制作する際にも使われる概念です。

実はHIPHOPの曲では、有名なジャズの一部を切り抜いてループさせたり、いくつもの曲をつなぎ合わせたりと、破壊と再構築がよく行われているんですよね。

先日はtofubeatsさんにインタビューをしてきましたが、彼も「元からある曲をぶっこぬく越境行為」「人の曲を自分の曲に変える心意気が面白い」とDJの魅力を語っていました。

さて、このブレイクビーツというDJの特徴と、前述のラップの特徴2つをご認識いただいた上で、
次は山月記についておさらいします。


山月記とは

お勉強っぽい内容ですが、ここでは伏線を貼りまくるのでご注意ください。

山月記は、中島敦が1942年に出版した小説です。

主人公は、成績は優秀だがプライドも高い官僚の李徴。
彼は『詩家として死後100年に名を残す』『己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見る』など、詩人になって名を残すことを夢に見ていました。

役人として働くも、どうしてもその夢が諦め切れず、役人を辞めて引きこもり、ひたすら詩を作り続ける。
しかし詩が軌道に乗らないうちにお金に困り、大嫌いだった官僚に戻って働き始めることになりました。

そんな中、なぜか急に虎になってしまい、もう詩を書けなくなったんです。
それどころか人と関わることすらできなくなってしまったので、誰にも詩を伝えられない。筆も持てないから書き残すこともできない。
さらに日に日に自我が無くなる時間が長くなり、心まで虎になっていく。

人生を賭けて詩を作り続けたのに、このまま誰にも届けられないまま、完全に虎に成り果てるのか。

その悔しさを表した一文があります。

作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない

人生を賭けた詩を、頭の中にある詩を伝えないまま死ぬことなんてできない。

これを身近な例に置き換えると、
大学受験のために3年間、全てを捨てて必死に勉強し続けたのに、受験当日に高熱が出て試験を受けられない、みたいなものでしょうか。

彼の場合、官僚の地位を捨てて貧困に苦しむまでひたすら詩作にふけったのに、心まで完全に虎になったらもう二度と詩を作ることはできない。
死んでも死に切れないというセリフは、まさしく彼の本音なのでしょう。

だから、袁傪という唯一の親友と再会した時、どうか自分の詩を書き留めて、都まで届けて欲しいと頼み込んだのです。

結局その詩が都まで届いたのか、そこは定かになっていません。
結末は描かれないまま、ただ袁傪に詩を伝えることはできたという場面で、山月記は幕を閉じました。


さて、今度は作品ではなく、作者の中島敦に注目します。
実はこの山月記を執筆した時の中島敦は、喘息の療養中で、文科省で働く釘本久春のコネで、空気のいいパラオで教科書編纂の仕事をしていました。

釘本久春は、小説家を目指していた中島敦が高校の時から一緒に文学に打ち込んだ親友で、中島敦が東京帝国大学に進学してからも、共に文学に励んでいました。
釘本はどうにか中島を世に出したいと思ってくれていたようで、当時から色々と協力してくれていたようです。
教科書編纂という就職先まで斡旋してくれるなんて、友達想いですよね。

そんな彼の勧めで療養をしながら、山月記を執筆した1942年の年末に、中島敦は、喘息で亡くなりました。

享年33歳。
今から80年前のことです。


ブレイクビーツである山月記


さて、ここから徐々に真実に切り込んでいきます。

もしかしたらあなたも授業で習ったかもしれませんが、
実は山月記って、中国の『人虎伝』という古典を元に書かれた物語なんです。

これってまさしく『元々ある音楽を破壊して、自分なりに再構築する』というDJの音楽技法"ブレイクビーツ"ですよね。

そんな破壊と再構築によって紡がれた物語が山月記だとしたら、
人虎伝と山月記で変化している部分を洗い出すことで、中島敦の表現したかったことが見えてくると思いませんか?

細かい違いはいくつもありますが、注目すべきは下記2つ。

①人虎伝の李徴は詩の天才であったが、詩人になりたいという夢はなかった。一方山月記の李徴に詩の才能はなく、詩人になりたいという夢は抱いていた。
②人虎伝の李徴は人妻と不倫した上で一家全員を焼き殺したことが原因で虎になったが、山月記では虎になった理由は不明。

①について、人虎伝の一行目には、李徴の特徴として「善属文(=詩の才能がある)」と書かれています。しかし山月記では、わざわざこの3文字が消されているんです。
そして、山月記では詩人になるために役人を辞めた李徴ですが、人虎伝の李徴は普通に任期満了で役人を辞めており、辞めてからも詩を作ったりはせず、ただニートをしていただけと書かれています。詩作にふけった山月記の李徴とは大違いですよね。
しかし人虎伝の李徴は詩の才能があったため、人虎伝では李徴の詩を聞いた袁傪たちは、普通に感嘆しています。山月記での袁傪が李徴の詩を聞いた時「ちょっと微妙だな」と感じていることを考えると、これって結構大きな違いに思えてきます。

なぜこんな違いを持たせたんですかね。

そして②について、山月記の李徴は虎になった理由を以下のように独白しています。

何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

要は、虎になった原因はわからない、ただ押し付けられただけだ、と。

その後、もしかしたらこれが原因かもしれないと、有名な「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」の話が登場します。
しかしわざわざ上記のように、本題とは関係のなさそうな「生きもののさだめ」についての独白をねじ込んでいるんです。

不思議ですよね。

これらをヒントに、山月記を解き明かしましょう。


李徴は中島敦である。


ここで、山月記を書いた時の中島敦の状況を思い出してください。

・元々小説家志望
・現在は喘息の療養をしながら、文部省の親友の釘本久春のコネで、パラオで教科書編纂の仕事している
・山月記を執筆した1942年の年末に、彼は喘息で亡くなった

これを踏まえた上で、「虎になる」という状態をおさらいすると、以下のように見えてきます。

虎になることは、詩を残せなくなること。
人と交流できなくなって誰かに自分の詩を伝えることができなくなり、さらに筆も持てないせいで詩を書き残すことすらできない。

人生を賭けた詩を、もう残せない状態。
これって詩人を夢見た李徴にとって、もはや死んだも同然ですよね。

では中島敦の死因はなんですか?

喘息です。

詩人を夢見た李徴の死=虎になること
小説家を夢見た中島敦の死=喘息

この「虎になる」=「喘息」という図式で山月記を読み直すと、決定的なシーンが見つかります。

たとえ今、己が頭の中で、どれだけ優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。
まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。
そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。
己は昨夕も、彼処で月に向かって咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。
しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。

“頭の中で、どれだけ優れた詩を作ったところで”発表できない状況。
虎になることで李徴が陥った状況は、喘息が悪化する中で死期を悟った山月記執筆時の中島敦の状況と重なります。

喘息で死ねば、中島敦は当然誰とも交流できなくなる。
詩を話して伝えることもできなければ、筆で書き残すこともできない。

その苦しみを訴えようとしても、李徴の声は獣の遠吠えにしか聞こえず、誰にも理解されない。

この獣の遠吠え、何かと重なりませんか?

喘息の咳です。

死に近づき、喘息の発作が増える。発作の苦しみに頭を支配されて、小説のことを考えられる時間が減って行く。
しかしその苦しみを訴えようとしても、口から出るのは言葉ではなく、咳です。
言葉を発しようと息を吸えば、口から出るのは獣が怒り狂ったようなガホガホという咳。
人の言葉を話すことはできず、どれだけ話したくても、口から出るのは言葉ではなく、咳。


虎の咆哮と、喘息の咳。

中島敦は人虎伝を読んで、まさに自分の状況だと感じたのかもしれません。
そしてその主人公を自分に見立てて、
虎への変身を喘息の罹患に見立てて、
自分自身を表現したのかもしれません。

だって、山月記は、人虎伝と違って虎になった理由がないんです。

それどころか『理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ』なんて書いているんですよ。

そりゃそうですよね。喘息に原因なんてありません。
わざわざ『生きもののさだめ』だなんて、生理的な病にぴったりの表現をねじ込んでいるのは、きっとこれが虎ではなく、喘息について書いているからでしょう。

そう思って読み返すと、山月記はあまりにも悲痛な物語です。
詩人になりたい李徴は、小説家になりたい中島敦自身。
人虎伝と違って才能はなくて、だけど人虎伝と違って夢だけは抱いていて、そんな中、虎に冒されて死んでいく。

夢を叶えたいのに叶えられない、中島敦自身の気持ちが、山月記というブレイクビーツに再構築されているんです。

さて、李徴の夢は前述したとおり、
『詩家として死後100年に名を残す』
『己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見る』
です。

では中島敦の夢はなんでしょう?

『詩家として死後100年に名を残す』は、
『小説家として死後100年に名を残す』ことでしょう。

では『己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見る』は?

表現が難しいのですが、長安風流人士というのは都で最も詩に詳しい人、という意味です。そんな人が机の上に置いているものは?

ここで中島敦の今の仕事を思い出してください。

『教科書編纂』です。

教科書なんて、長安風流人士の机の上に置かれているはずですよね。
ということは、『長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見る』は、『教科書に載る様を、夢に見る』と解釈できそうです。


そして皆さんが山月記と出会ったのはどこですか?

教科書。

中島敦の小説は、教科書に載ったのです。
つまり、
李徴の詩は、長安風流人士の机の上に、届いたのです。

作中では描かれなかった李徴の詩の行方。
きちんと、都に届いたんです。


では、届けたのは誰でしょう?


李徴は自分の詩を伝録してくれと、唯一の親友に夢を託しました。
それが、文官として身を立てた袁傪です。

中島敦の周りにも、こんな文官の親友、いませんでしたか?

文部省で働く、釘本久春です。
実は、中島敦が教科書に掲載された際には、実際にこの釘本久春の尽力があったようなのです。

さて、前述のように山月記は、袁傪が李徴の詩を伝録できたのか定かでないまま幕を閉じていますよね。
結末がわかっていないんです。書かれていないんです。
だって、中島敦自身、自分の小説が伝録されるかなんてわかっていないんだから。

だけど釘本久春が中島敦の小説を教科書に載せたことによって、後日談が書き足されました。
袁傪は、李徴の詩を、長安風流人士の机の上に届けられたのです。

その結果、みなさんは本当に、教科書で山月記に出会った。
中島敦は、死後、ちゃんと小説家として名を残せているんです。

さて、冒頭で私は、どうかこの話を2042年まで覚えておいて欲しいと書きました。

2042年は、中島敦の亡くなった100年後。

『詩家として死後100年に名を残す』という李徴の夢が、つまり中島敦の夢が、あなたが2042年まで覚えておいてくれれば、あなたの手で叶えられるんです。

釘本久春が教科書に載せることによって、山月記に後日談が書き足されました。

そして結末を書き足すのは、これを読んでいるあなた自身です。

あなたがあと20年間覚えておくことによって、中島敦の夢は叶うんです。

どうか、あなたの手で、山月記に結末を書き足してください。

私が今これを執筆しているのも、少しでも山月記の続きを書き足すためです。

一緒に山月記を、完結させましょう。



山月記は実話であり、HIPHOPである。


虎になる物語が実話? 意味不明だ。ましてやHIPHOPってどういうことだよ。
そう思って読み始めた方が大半かもしれません。
しかし、なんとなく見えてきていたら嬉しいです。

前述したHIPHOPの二つの特徴を思い出してください。

①ありのままの自分や実体験を表現すること
②歌詞ではネガティブな実体験を表現しながら、ポジティブな未来もボースティングする

そもそも制作技法として、人虎伝のブレイクビーツを作る形で執筆された山月記。
その内容は一見荒唐無稽でありながら、まさしく『ありのままの自分や実体験』でした。
さらにそこで描かれている内容は、「喘息の苦しみ」という『ネガティブな実体験』が中心となっていますが、
「小説家として死後100年に名を残す」という『ポジティブな未来』もボースティングされています。

私は山月記を、教科書で習うつまらない文章ではなく、どんなラッパーよりもリアルな、アツい、クラシックと化したHIPHOPに思えてなりません。

自分のマイナスな部分を表現しながら、未来への希望も描き、そうして生まれた作品で成り上がって夢を叶える。

HIPHOPが好きな方は、こういう"リアル"な楽曲、きっといくつも思い当たることでしょう。

願わくば山月記もそんな楽曲たちと共に、『リアルなHIPHOP作品』としてラインナップしてもらえるようになれば、これに勝る喜びはありません。

私はこの山月記がきっかけでHIPHOPにハマり、
今でも一番好きなHIPHOP作品は、この山月記なので。


終わりに

これを読んで興味を持った人は、ぜひ山月記を読み直してみてください。
著作権が切れているため、青空文庫でいつまでも無料で読むことができますよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?