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【チェーンソーマン】ポチタは藤本タツキ自身【読解】

『私がデンジの夢の話を聞くのが好きだった』
『私の心臓をやる』
『かわりに……』
『デンジの夢を私に見せてくれ』

これはポチタではなく、藤本タツキ自身のセリフだ。
脳内で何人もの主人公を乱立させ、好き勝手動く彼ら一人一人の夢の話を思い描く中で、一番好きなのがデンジの話だったのだろう。

だからタツキはデンジを実際に漫画にし、命を与えた。

自分の時間を使ってデンジの肉体を脳内ではなくこの世に芽吹かせた。

つまり、心臓をあげた。

そして実際にデンジはキャラの中でも好き勝手動いて、自分はその中の人という一番の特等席で、紡がれる物語を眺めた。
そしてデンジが窮地に立たされると、ポチタが出張ってくる。

つまり、タツキ自身だ。

デンジに呼び出されると、タツキは漫画の作者という力を使って、漫画の世界のものを消したり、めちゃくちゃな方法で敵を蹴散らしたりする。
なんでもありだ。だって作者だから。
デンジのはその分好き勝手窮地に陥ってもらって、いざ抜け出せなくなってからが自分の出番。
きっと腕まくりして意気揚々と筆を滑らせたことだろう。
こんな状況を無茶苦茶にする作者。楽しいだろうな。

私も小説を書く。

私がある程度物語を進めると、人格が出来上がり、「この人ならこの局面でこうするだろう」という動きが自然と出るようになる。
そのキャラの動きを見る、話を聞くだけで、書いてる側としては楽しいんだ。
そして面白いことに、自分自身では普段全く考えられないようなセリフが、キャラの口からは飛び出てくる。
「たしかにそんな考え方もあるな……」
そう自分自身が気付かされることだってあるのだ。自分が書いている小説に。

『デンジの夢を私に見せてくれ』

そりゃあ最愛の人を◯◯るなんていう行動に走るなんて、そんな主人公、見たいはずだ。
私もそんな小説を書きたいと思う。

以上、自分がチェーンソーマンの作者だったらどう感じるか、ふと感情移入した考察でした。

ちなみに支配の悪魔もかなり作者の人格投影強そうですね。
同じ作者の立場として、自分すら支配してくれそうなポチタを求めている。

ばいばい。

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