人見知りの曲がり角③

「シャイマン」である。授業の内容を詳しくは書けないが、10数年前の番組だった。そこでは「シャイマン」という言葉の通り、シャイな男性が増えているという説明がされていた。あちこちで話しているが、僕は人見知りである。最初は認められなかったが、大学に入ってそれが決定的になった。1年生しかいない寮で友達が出来ず、ずっと一人でYouTubeを見ていた。

そこでお笑いの魅力を再発見して、それに救われた。特にオードリー若林さんは衝撃だった。人見知りということを武器にテレビで戦っていた。そこからたくさん深夜ラジオを聴くようになった。そして人見知りの芸人は多いし、むしろそうじゃないと気づけないポイントがあって、それは色々なことに生かせると思った。

そこから自分なりに人見知りを個性だと思って生きてきた(だせえなおい)。授業に戻ろう。確認のため言っておくと、人見知りイコールシャイマンだ。証拠にビデオで出題されたシャイマンテストみたいな質問の全てに当てはまった。僕はシャイマンなのである。そしてシャイマンは増えている。てか、増えすぎているのが問題になったのでこの番組が作られた。
ということは、人見知りは別に個性じゃない。向き合っていかなければならない気質であるが、多くの男性が抱えている。それどころか人並みにコミュニケーションが取れないのだから、周りの人間からしたら迷惑である。と言われたような気がして、眠気が飛んだ。

じゃあ人見知りを止めようと言えるほど簡単なものではない。飲み会では一言も自分の話を出来ない。話し始めても、ザっとみんなが自分を見るとすぐ話しをやめてしまう。先生が「換気するから誰か窓開けて~」と言うと、下を向く。もしみんなが見ている中で窓が開けられなかったら恥ずかし、席を立った途端動きが硬くなるのが恥ずかしいからだ。女子の目を見られないどころか、基本的に女性がいる方向が見られない。メニューは決まっているのに店員さんが呼べず変な時間が流れる。関係の薄い知り合いとすれ違う時はスマホに夢中なフリをしてしまう。自分から何かを誘うことが出来ない。みんな本当にラインとか使っているのだろうか?と思っている。

人見知りではない人からしたら、努力不足に聞こえるかもしれないが、そうではない。むしろ毎日この状態だから、毎日「今日こそは」と思っているし、帰り道は月を見ながら反省会をする。色々な本に解決策を求めたこともある。組織のリーダーになったこともあるし、卒業した後も学校に行くし、恋人ができたこともある。それでも治らないものは治らないのである。気持ちの問題で片付けると、ガチで気を病むから気を付けよう。コロナ禍で忘れていたが、ゼミのパーティーで思い出した。僕は人見知りなのだ。

今日もちょくちょく挟んでいるが、数少ない人にしか現れない個性だと思っていたので、人見知り漫談みたいなのをよくしていた自分が恥ずかしい。その希少性はおそらく酒癖が悪いくらいのものだろう。飲みまくって昨日のことを覚えていないトークを、自分の個性だと思って仕掛けてくる。そんな人いたら最悪だ(笑)。

よく使うようになって気付いたのだが、人見知りという言葉は包括的で、強い。故にレッテルになってしまう。つまり僕は人見知りだから、の一言で自分の行動を大きく制限してしまう可能性が高まる。シャイマンが増えているといっても、一人一人異なる人間なのだから、少しずつは違うはずである。

では何が出来て、何が苦手なのか。それはどうしてなのか。人見知りというレッテルを一度はがして、それを個性だと思うのもやめて、一度考えてみる必要が出てきた。このようなことを考えるようになったのが21歳になって初日なのだから、21歳は20歳と大きく異なる。

今週の収録は伊藤君が進行していた。僕に興味がないとはいえ、さすがに今年の抱負くらい聞かれると思っていたが聞かれなかったので(笑)ここで書く。自分をからかわなくなること。人に話しかけている自分、夜勢いでnoteを書いている自分、インスタでイキっている自分。

パーティー中ハッピーターンを食べながら考えていたのだが、僕は色々な物に対して斜に構えてしまう。カッコつけているのではなくて、自分でも嫌になるくらいうがった見方をしてしまう(いつもじゃないよ。たまにだよ)。だから話したらいい人なのに、話しかけない。という人見知りとはまた別の問題がある。そして世の中一つ一つにうがった見方をしていると、容易にその矛先は自分に向く。

何頑張ってるんだよ。顔赤くなってるぞ。嫌われてんじゃないか?みたいなことが頭に浮かんでやりたい事を出来ない時がある。窓を開けるのが怖いのだって、他人が窓を開けたのをうがって見ているからだ。周りの人はそんなことないのに自分に対しても、うがった視線が来るのではないかと思ってしまうからだ。想像しているよりも他人は自分に興味がないし、寛容だ。

だからまずは、他人に対して意地悪な見方をしないようにする!昨年はそう思って生きていたが、実行できていなかった。なら今年は、まず自分に対して意地悪な見方をするのをやめてみようと思う。それは自分に甘くなるのとは少し違う(はずだ。来年ブクブクに太っていたら笑ってくれ)。想像先行で自分に意地悪なツッコミを入れ続けるのをやめようということだ。そしたら結果的に他人にも優しくできるのではないか。伝わるかしら。

びっくりするくらい長文になってしまった。この間は自分の夢を語って、今日は唐突に抱負を語ってすいません。←こういうツッコミを自分にいれないように、頑張ろうって話。読んでくれてありがとうございました。感想とかあったら教えてね!


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