私の職歴

まず...1つめ   定職がない。

3年半介護、3年間飲食に就いてましたが..その後児童発達支援に関わるも1年と1年半とキャリアは短め。3ヶ月なんて所もあります。私が診断を受けたのは30歳の時。飲食で働く際の不具合が理由でした...  自分は人より容量が悪い。覚えたこともまた間違える。下から入ってきた後輩がずんずん昇進していく。アルバイト生活からも見えたことでしたが...自分が悪いと思い込みきらず、なんとかなっていたのは環境が配慮してくれていたからなのかなあと今なら気付けました。 ただその時はまったくもって気付かない。劣等感だけ増えて行き、時に職場で感情爆発。泣いて業務どころではないとゆう日も少なくなかったです... それが自分がダメなせいか、それとも障害のせいなのか。。 大学時代に耳にしたことがあるADHDの診断を受けるために診療内科を訪れました。まあここでも色々転々とする訳ですが....(それは次回にしましょう)   ようやく診断名が下り、手帳申請を受ける前に諦めてしまうのです。

※ADHDの特徴の一つとして「先延ばし癖」があります。今も履歴書を提出せねばならない状態でこれを書いてます。一般人と脳内の作りが違うみたいです..

私は学生時代から躊躇に出ていて大学も5年間通っていた訳ですが...何とか卒業した。就職した。転職した...とそこまで壁には思っていなかったのです。しかし、この30歳を超えたあたりとゆうタイミングと、某テーマパークで求められるものの高さがあまりにも多く、大好きなやりたい仕事なのに、何でこんなにも人と違うのだろう。当たり前のことが出来ない(ケアレスミス)、多勢の中で良好な人間関係も作れない。(初期の時点で上司にあたる方に険しい表情を出してしまい、ギクシャクもしました) どーして?何で??が続いたから精神科に行ったのに... 診断だけ付いたら安心してしまい、再び転職に逃げたのですね。(目の手術をして暗くていられなくなったとゆうのも一つありましたが...)

診断を下されてから数ヶ月経ち再び病院を訪ねると...また半年通わなければ手帳に必要な診断書は出せないと言われてしまい...転職した私にはそんな気力も残っておらず.... 手帳申請に至りませんでした。

そこから私の転職への坂道は転がりまくって行くわけです。。.     手帳も持たずクローズ正社員雇用で....


次回へ続きます。


有難うございます♡いつか都内で自助会を開いてみたいのが夢です^ ^ 素敵な集まりは多いけど..もっと自助会参加の垣根を下げられるような場所が目標˚✧₊⁎