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いま思い出す「電力とハンバーガーを同列に語るな」 ―電力自由化の意義と課題ー

タイトルとして引用した「電力とハンバーガーを同列に語るな」という発言。
これは、電力システム改革(第3次)の議論をしていた2001~02年の政府委員会での、委員の方からのご発言です。消費者代表の委員の方が「ハンバーガーショップも、競争があるから100円マッ〇や平日半額といった消費者にメリットのあるメニューが出てくる」という発言をされたのに対して、「電力とハンバーガーを同列に語ってはいけない」とピシャリと仰ったことが、当時ちょっとした話題になりました。確か新聞社OBの委員の方だったと思いますが、かくしゃくとした風貌で、エネルギーの確保について語る姿は迫力がありました。

さて。先日、電力自由化が最も進んだ地域と評される米国テキサス州で、大停電と電力価格高騰(暴騰と言った方が良いかもしれません)が起きました。
日本では大停電といった事態には至りませんでしたが、この1月に、深刻な電力需給のひっ迫と価格高騰が発生したため、こうした経験に何を学ぶべきかという問いかけを、この日経の社説でもしています。

また、2008年度ノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ポール・クルーグマン氏が、NYタイムズにこのテキサスの大停電についての論説を寄稿しています。タイトルは、”et tu, Ted?”(テッド、お前もか?)”。

テキサス州選出の上院議員のテッド・クルーズ氏。この大停電の混乱のさなかに家族とバカンスに出かけていたことで批判のやり玉にあげられましたが、彼の政治信条は小さな政府。要は市場に任せましょうという立場です。その彼に問いかけるタイトルで書かれた論説の文中で、まさに本稿のタイトルと似た表現で「電気はアボカドのようには扱えない」と指摘しています。
この論のポイントは以下の通りです。
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テキサス州のエネルギー政策は、「電気はアボカドのように扱える」という考えに基づいていた。2019年には、アボカドが大不作で価格が高騰したが、誰もアボカド生産者に特別な審問や新たな規制を求めなかった。

実際、先週テキサスで起きたことに何の問題もないと考える人もいる。テキサス州のシステムを構築したとされるハーバード大学のウィリアム・ホーガン教授は、急激な価格上昇は「便利ではない」が、システムとしては当然のことだと主張した。

しかし、キロワットアワーはアボカドではない。そして、キロワットアワーをアボカドであるかのように装うことが失敗を招く大きな理由が少なくとも3つある。

まず、電気は他の商品にはないほど、現代の生活に欠かせないものだ。アボカドトーストが食べられなくても死にはしないが、電気が使えなくなると、特に暖房に頼っている家では死に至る可能性がある。
また、エネルギー供給会社にとっては、電力不足の間に利益が上がるという見込みがあっても、停電が長引くことによる人的・経済的コストを考慮する動機になるかどうかは極めて疑問である。

第二に、電力はシステムで供給されており、システムの中で、あるプレーヤーが予防的に投資しても、他のプレーヤーが同じことをしなければ意味がない。ガス火力発電所の所有者がタービンを断熱・防寒しても、燃料を供給するガスパイプラインやガスを供給する井戸元が凍結してしまえば、発電所は機能しない。

最後に、危機的状況下での極端な高価格によるインセンティブに依存したシステムは、現実的にも政治的にも実行可能ではない。

大寒波でも停電しなかったテキサス州民は、最初は自分たちが幸運だと思った。しかしその後、請求書が届き、中には数日の電気代で数千ドルを請求された家庭もあった。
多くの家庭ではその請求書を支払う余裕がなく、自己破産が相次ぐ可能性がある。

これまでのところ、テキサス州の危機について最も本質を明らかにしてくれているのは、おそらく他でもないテッド・クルーズ上院議員(共和党)のツイートだ。彼は、「自然災害のために電力会社が利益を得るべきではない」と激怒し、「州と地方の規制当局」に「この不正を防ぐ」よう呼びかけたのだ。

自覚のない上院議員は、自分がそこで何をしたのか気づいていないかもしれない。しかし、もしテッド・クルーズ氏でさえ、規制当局は電力会社が災害時に巨額の利益を得るのを防ぐべきだと考えているのであれば、民間企業が災害に備える経済的インセンティブは失われてしまう。そうなると、急進的な規制緩和の前提が崩れてしまう。
(中略)
私たちは、自由市場原理主義の暗い(そして冷たい)側面をはっきりと見せられたのだ。これは忘れてはならない教訓だ。
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最後は、テッド・クルーズ上院議員への痛烈な批判で締めくくっています。
そもそも市場原理に委ねて、本来安定供給のために必要なコスト負担を消費者に求めるような制度の導入を「市場原理に反する」として阻止しながら、価格が高騰すれば「電力会社が自然災害によって利益を得るべきではない」として州民の怒りの矛先を制度設計ではなく電力会社に転じようとした上院議員に対して、「(筆者補;価格高騰による利益を奪うのであれば)民間企業が災害に備える経済的インセンティブが失われる」と一刀両断にしています。

わが国でも全く同じような議論が行われています。
わが国が自由化後kWhの取引市場を創設したにとどまり、このほどようやく容量市場という設備(発電のkW)を維持する市場を創設しました。実際の支払いは2024年からですが、先日その市場の初めての入札が行われました。ただ、その入札価格が高値に張り付いたとして、政治家や電力小売事業者の方たちがこれを問題視しました。

電力インフラを健全に維持するには当然コストもかかります。
ポール・クルーグマン氏の論説にあるように、停電しないためのコストは、本来社会全体で負担しなければなりません。一部の方にフリーライドを許す制度設計であれば、徐々に顧客がそちらに流れ、結局十分な費用が回収できなくなります。

そして、今回の需給ひっ迫と価格高騰で本来学ぶべきは、わが国の天然ガス依存度がここまで高まった状態において、どのようにリスクを低減するかということでしょう。
政治やメディアの中でこの議論が提起されない状況には、まさに危機感を覚えます。下記の拙稿、ご一読いただけましたら幸いです。



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