見出し画像

「私と京都」~vol.6 渡邊 高行~

京都の今を生きるU35世代の価値観を集めたメディアです。
次期「京都市基本計画(2021-2025)」を出発点に、
これからの京都、これからの社会を考えます。

はじめまして。
渡邊高行(わたなべたかゆき)と申します。

京都生まれ・京都育ちの私ですが、現在は東京に本社・京都に支店を置くITベンチャー企業「株式会社Gns」の代表取締役を務めております。
21歳で東京へ出た後に会社を創業し、31歳で京都へUターンという形で戻ってきました。

現在、U35-KYOTOでも活動させていただいております。

まずは自己紹介からさせていただき「私と京都」をつらつらと書かせていただければと思います。

自己紹介

1990年、京都の中京区に生まれました。

勉強が好きでなく、スポーツばかりをしている幼少期でした。

小学生の頃は、
 月曜日:サッカー
 火曜日:綱引き
 水曜日:サッカー
 木曜日:剣道
 金曜日:サッカー・陸上
 土曜日:綱引き
という感じでスポーツの習い事をしておりました。

自分が好きなことには進んで挑戦するのですが、
好きではないことは絶対にやりたくない、やらない子どもでした。

中学生の頃、母親の病気を機に「自分の人生って何なんだろう」と考えはじめました。
そのときから、ビジネス書を読むのが趣味の1つになりました。

「僕はどんな人生を送りたいんだろう」と考え、ビジネス書を開く。
そんな14歳です。

ただ、あまり難しいことを考えるのが得意ではありませんでした。

行き着いた答えは「サラリーマンになりたくない」という漠然としたものでした。

下を向きながら電車に揺られ、出社する。
平日が来るのを嫌だ嫌だと感じながら、日曜日を終える。

当時の私は、サラリーマンというワードに対してそのようなイメージを持っていました。

ただただ、そんな生き方はしたくないな、と。

「サラリーマンになりたくない」一心の私は、高校を卒業して役者の道に進みます。
関西で3年間、21歳から東京に出て4年間、役者生活を過ごしました。

今思い返すと、役者は向いていなかったなと思います。

役者人生が7年目を迎えた25歳の頃、父親の病気を機に、役者を辞めることを選択しました。

この後の話は少し重い話になりますが、私の人生の大きな分岐点になる出来事なので、あえてありのままに書かせていただきます。

私の父は脳の血管が詰まり、遷延性意識障害という診断が下りました。
わかりやすく言うと、植物状態です。

半年間どれだけ呼びかけても、何の反応もない時間を父は過ごしていました。
※現在は奇跡的に意識を取り戻し、リハビリを行っております。

父の主治医に私が1人だけ呼び出され、臓器提供の話をされた時の光景は今でも忘れることができません。
父が倒れてから半年の間、ほとんどの時間は自分と向き合い、今後の生き方を考えながら過ごしていました。

本当に、辛い日々でした。

ただ、ある日ふとこう考えるようになりました。

「父は命をかけて、健康に生きられるありがたさを教えてくれたんだ」と。

かっこよく書いていますが、そう考えることでしか自分のメンタルを保てなかったのかもしれません。

そこから、どう生きるべきかを前向きに考えるようになり、自分の軸となる考えに至りました。

「死ぬまで生きる」

生きている間、健康に身体が動く間は、徹底的に自分のやりたいこと、できることに全力で挑もう。

死ぬ最後の一言が「やりきった」と言える毎日にしよう。

そう思うようになり、その手段として起業を選んだ結果、現在の株式会社Gnsの創業へと至ります。

長々と「私」について書かせていただきました。

楽しく生きることへの執着が人一倍強い人間、と思ってもらえると幸いです。

私が京都で活動する理由

現在京都で活動している理由は「なんとなく」です。

冒頭で書かせていただいていますが、株式会社Gnsは東京に本社をおいています。
東京で創業した理由は「ビジネスを行うなら東京」という先入観があったためです。

しかし、創業して2期目に入る頃、会社としてもっと面白いことをしたいという気持ちが日に日に強くなっていました。
私を含めて、取締役の全員がWebやアプリの開発に追われ、起業した意味のような軸もぶれ始めている時期でした。

自分自身の視野をもっと広げよう。
人脈を広げよう。
そう考えた結果、会社のメンバーを東京に残し、京都へ移住してきました。

なんとなく、人との繋がりを大切にしていそう。
なんとなく、面白そうなことができそう。

そんな可能性を漠然と京都に感じていました。

そして、2021年に京都支店を構えることとなりました。
現在では、会社の取締役全員が京都と東京を行ったり来たりする毎日を過ごしています。

京都での活動を始めて約1年が経った今、その「なんとなく」の感覚は当たっていたと感じています。

この1年間は、京都を出るまでの21年間を超える、非常に濃い時間でした。
そう感じられていること自体に、とてもワクワクしています。

人との繋がりだけでなく、京都にさらに大きな可能性を感じるようになりました。

京都から日本を変えるような大きなこと、最高にワクワクすることを「なんとなく」できそうだなと。
U35-KYOTOの活動もその1つです。

京都の魅力
1年間京都でビジネスを行ってきて、様々な可能性を体感している今、なんとなくではなく、明確に魅力を感じているものがあります。
それは、お寺の力です。

株式会社Gnsはアプリ・Web開発を行うIT企業ですが、お寺の復興もビジネスの大きな軸となっています。

現在、中京区にある「佛現寺」というお寺のスペースを活用して、人々がチャレンジしたり、休めたりする「とまり木」をつくるプロジェクトを進めています。
※ちなみに、佛現寺の副住職 油小路和貴くんは、私の小学生からの親友です!

この活動を始めて、現代人の悩みにフラットに寄り添える「お坊さん」という存在の大きさや、「お寺」という場所が持つ独特のパワーに魅力を感じています。

京都だからこそ発揮できる、お寺の力があるんじゃないかと。

今後について

私の活動はざっくりと、京都が80%、東京が20%です。
この比率はすごく良いと感じています。

京都だけではなく、東京でもビジネスを行うからこそ、京都の良さも悪さも感じることが出来ると考えているためです。

京都には「昔ながらの良さ」など、京都にしかない魅力があります。
ただそれだけでは、今後を考えたとき、「目の前の課題」や「今後押し寄せてくる課題」に京都が飲まれてしまうのではないか、とも危惧しています。

数年後は、今よりも激しく京都と東京を往復していることでしょう。
そんな私だからこそ、発揮できる価値があると思います。

京都と東京の特徴を活かし、シンプルに京都を「よりワクワクできる場所」にしていきたい。
そうひしひしと感じています。

私は、「京都に生きる次の世代のために・・・」みたいな、遠い未来のことを考えるのは、正直得意ではありません。
その時その時に、京都に生きる人たちが、最高にワクワクしながら生きていける場所を創りたいと考えています。

そのためにも、まずは自分自身がワクワクする挑戦をしていこう。

そう強く想いながら、京都での活動を行っていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?