見出し画像

「私と京都」~vol.5 市川 智也~

京都の今を生きるU35世代の価値観を集めたメディアです。
次期「京都市基本計画(2021-2025)」を出発点に、
これからの京都、これからの社会を考えます。

自己紹介

はじめまして、市川 智也(いちかわ ともや)と申します。
京都生まれ京都育ちの現在39歳(独身)で、「U35-KYOTO」の定義を”おおむね”35歳とさせているメンバー随一の年長者です。
好きなものは神社仏閣や、陶器を始めとした工芸品、茶道、着物、落語、映画、読書、お酒、知的コミュニケーション、猫、女性。
現在は父が創業した株式会社京都春秋という会社に所属しています。寺院を中心とした伝統文化の各業界とのコネクションを武器に、普段は拝観できないお寺へ入れるようにしたり、富裕層向けの文化体験コンテンツを企画したりするという、京都以外ではとてもできないニッチな商いをしています。
ざっくり観光業界の企業なので、絶賛大打撃中。目指せ、V字回復!!

本題に入りたいところですが、私のことを知らない方に向けて何かを伝えるには、まず自己開示をしなあきません。
ということで、経歴と自分の思考について長々と説明します。
私の中にはいろんな私がいますが、今日は比較的下品な私で書きます。

1983年  3人兄弟の末っ子として生まれました。
広沢池という素晴らしい場所を持つ、自然と住宅地が隣接した地域で育ちます。「晩ご飯、できたえ~!」と母親の声がするまで外を走り回っていました。

2001年   ぬくぬくと育った末、同志社大学法学部法律学科に進学。
ボランティアで訪れたラオスで、ある僧侶と話をしたとき、自分の視野が余りにも狭いことに気付き衝撃を受けます。とにかく経験を積んで視野と思考を広げたいと思い、長期休暇時はバックパッカーに変身。
そのほか、アルバイトをしていた料亭で素晴らしい建築と器、漆器などに出会い、伝統文化への関心を深めます。ようやく自我が芽生えたというところ。

2004年   3回生のときに周りと同じく就職活動を始めますが、すぐに商業主義が肌に合わないことが分かり離脱を即決(視野が狭い)。次年度を休学することにし、見聞を広めるというウソの理由でロンドンからイスタンブールまでを3か月間、旅しました。

2006年   復学後、順調に卒業するも大学院進学に失敗。
どうしようかと思っているところをアルバイトをしていた料亭の大将に拾ってもらう。住み込みで働くも、あまりの環境の良さに「意志が弱い自分はダメになってしまう」と気付き、謝罪とお礼を述べて退職。

2007年   東京の小さな出版社に就職。
ここはものすごーくブラックで、同期が次々と消えていくなか最後まで粘るも、クビ。いま考えると無能だったので仕方がない。そのままツテを頼ってフリーライターとして活動を始める。帰省の度に京都市内のお寺を参拝し、祇園祭は宵山から山鉾巡行まで味わい尽くしていました。祇園祭は未だに全容が掴めない。恐ろしい奥行きと広がりのある祭りである。

2011年   東京で東日本大震災を経験。
3度、被災地にボランティアに行くもなかなかの虚無感に包まれる。ようやく地に足がつき始める。

2012年   ライターとしてうだつも上がらないので実家に戻る。
跡を継ぐ気はなかったものの、この頃には伝統文化大好き人間だったので父の会社に入ることを想定。一旦、ほかで修業しようとするも「忙しいから手伝ってくれ」ということで、アルバイトとして入社。一時的に働くつもりが、そのまま現在まで在籍。末っ子やのになぜか跡取り。ただいま絶賛ワーカホリック。私生活まるごと献上しても理解できないほど、伝統文化の世界は底なし沼。国宝や重要文化財、僧侶、文化人に囲まれて日々を過ごしています。

2023年(予定) 40歳になるのを機に着物生活を始める予定だが、着物を買うお金がない。

前置きが長すぎて、もう読む気をなくした人もいるかと思います。
くだらないパーティの来賓挨拶のようなことをしていると確信しています。心からお詫び申し上げます!
でも、ここからが本題。

私が京都で活動する理由

もうお気付きでしょうが、伝統文化が好きだからです。
私みたいな人間にとって、京都ほど知的欲求と好奇心を満たし、美しいものに触れさせてくれるところはありません。しかも、一つの分野でさえ底なし沼になっているものが、この街では幾重にも層を作っているのです。もうこの街を離れる理由がないですよね?
しかも伝統文化の業界の方々の多くは、良くも悪くも商売っ気が少ない。慣例や商習慣の違いで困ることはあれど、商業主義嫌いの私にとってはこれまた有り難い。金儲け主義の人や、義理も誠意も持たん人を避けても充分に事業がやっていけるのです。しかも素晴らしいものを提供しながら。
今の会社が潰れない限りは京都に住み続けるでしょうし、潰れたとしても「掃除から広報までできる唯一無二の寺男」としてどこか好きなお寺さんに潜り込むことでしょう。

えっ、そもそもなんで伝統文化が好きなん?と思う方もいはるでしょうが、これは答えるのが難しい。
一つ、いま思い浮かぶのは、歳月の中で洗練されてきた伝統文化は、対峙するほどにどんどんとその価値が、素晴らしさが伝わってくることです。

膨大な量のモノと情報が、刺激を与えるために右から左へと通り過ぎていく刹那的な世の中で、立ち止まるほどに喜びを与えてくれるものがここには溢れているのです。スマートフォンの画面をスクロールさせて美しい紅葉の写真を千枚眺めようとも、目の前にある一枚の葉が散っていく情景が与えてくれる、柔らかな感情の揺れには敵わないのです。それは「その場所」に「留まって」いなければ決して味わうことのできない喜びです。
だって当然でしょう。それらは私よりずっとすごい先人達が、千年もの歳月の中で生み出し、削り、受け継ぎ、発展させ、その歳月を耐え抜いてきたものばかりなんですから。それらは間違いなく「私より素晴らしいもの」なので、それらに尽くして私の一生は終わることでしょう。

私が感じる京都の魅力

前項の内容も京都の魅力について書いたものでしたが、他に挙げると、多層的に世界が広がっていることもその一つです。
任天堂や島津製作所など世界に冠たる企業もあれば、一歩足を踏み入れると外界の喧騒が消え、日常の中でざわついた心をシンと鎮めてくれる寺院がある。素晴らしく現代的に洗練されたお店の隣で、100年以上前から続いてきて、100年先も続くであろう老舗があり、朝には店の方が軒先を掃除してはる。学生も多ければ、生き字引のような爺さんもいる。一生行けないような高級料亭もあれば、明日も行きたい大衆酒場がある。
また、歴史的に人の出入りと栄枯盛衰が常であったにも関わらず、どことなく落ち着きがあり、「自分の手の届く場所」を大事にしている方が非常に多い。そういった場所にお邪魔して、その場が持つ「親密さ」のようなものを感じるととても嬉しくなる。京都はそういう飲み屋さんも多いので、一人飲みをする人間には有り難い街なのです。常連さんも魅力的な人が多い。

京都でのこれから

一方で、着実にこの街の姿も文化も壊れていっています。京町家の価値が叫ばれ、また店舗などで利用されることも増えましたが、「街並み」として残るところはほとんどなくなってしまいました。それはただ建物と風景が消えただけでなく、そこで受け継がれてきた生活文化もまた消えたということです。着物を着る機会はなくなり、畳を踏む経験がなくなり、陰影を愉しむことがなくなったのです。そりゃ、そういう中で育ったら日本的なものへの親しみは持ちようがないですよね。
本当は「伝統文化は素晴らしいんやから、もっと盛り上げようぜ!」みたいな景気のいいことを書きたいところですが、現実を見ないとスタート地点を間違えます。まあ簡単に言うと「京都の基盤だったものが衰退しまくっている」というのが現状です。もし今後、京都から伝統文化が消えたとして、果たして土台を失ったものに魅力ってあるんでしょうか。
それはもう私にとっての京都ではありません。なので、私が好きな京都でいてもらうために、とにかく身を粉にして働くのみです。酒飲んで自分の無力さを愚痴りながら。

以上、U35-KYOTOメンバー最年長、市川 智也の「私と京都」でした。お付き合いいただき、おおきにでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?