「私と京都」~vol.1 原田 岳~
原田岳と申します。
初めまして、原田岳と申します。
まずは簡単なプロフィールをご紹介させて頂きます。
学生時代はメキシコへ留学、在メキシコ法人向け総合情報メディアの編集長に就任。同時期にJETROと共同で「写真で見る世界のライフスタイル メキシコシティスタイル」の製作を行う。帰国後、Cafe&Bar ENcounter Shibuyaの経営に携わる。2017年に株式会社アオイエ CCO兼関西統括に就任後、関西へ移住し京都・大阪のアオイエ立ち上げを行う。現在は(株)talikiにてインキュベーション事業を推進するとともに、U35-KYOTOのPMも務める。自治体さんとご一緒することが多い。
現在U35-KYOTOでの活動として、一昨年は主にタブロイド紙のプロジェクトマネージャーとして制作に関わらせていただきました。昨年からU35のプロジェクトマネージャーとして、主にU35-KYOTOの今後の方向性や戦略などを考えさせてもらっています。
今回は「私と京都」というテーマで、つらつらと書いていこうと思います。
僕が京都に来た理由
僕は2018年の5月に京都に引っ越してきました。
きっかけは当時友人とやっていたシェアハウスの会社を関西に展開するため。
当時23歳、渋谷のバーで働き、鬼狭いオフィスで仲間達と寝る間を惜しんでゴリゴリやっていた尖りに尖った男原田としては京都のゆとりのある雰囲気に対して焦りと共に変な課題意識を感じていました。
あれが無条件な若さというんですかね、あの頃は無鉄砲に走っていました。
それから約5年、所属する会社も変わり、個人としても様々な場所に出向かせて頂くことが増え、京都で暮らす皆さんと仕事をさせて頂くことも増え、男原田も漢原田に進化した満28才。
来た当時の京都と今の自分にとっての京都は、10代のママチャリ2ケツ無鉄砲恋愛と20代後半の結婚と仕事を天秤に取ろうとしてしまうリスクマネジメントしがちな恋愛くらい違います。
違うところが多過ぎてその変容や気付いた魅力を挙げきるには比叡山を975日行ったり来たりしなければ無理です。
ただ、変わらない京都への印象を一つあげるとするのであれば、「優しそう」と「可能性」だと感じています。
僕が感じる変わらない京都の魅力
京都の人たちはなんか「優しそう」という感覚は常にあります。これは「優しい」ではありません。
「優しそう」は一見優しい上に懇切丁寧に関係性を大事にしてくれますが、自分が相手に対してしっかりとした価値を提供できたり相手に見返りを提供し続けることがないと関係性は断ち切られてしまんじゃないかという不安に近い感覚を持っています。でも、その不安は声に出さず、目にも見えない。
僕にとっては無条件に関係性を維持するよりもよっぽど信頼できると思うので寧ろポジティブな感覚です。また、少しばかりあるこの不安が自分を鼓舞してくれるし、緊張感を保持してくれます。
そして怖さすらある。
「可能性」というのは、昔も今も変わらず関係性を大事にする文化、資本主義真っ只中でさえ貫いてきた独自の価値観や培ってきた歴史は、必ず今後の時代の人類が避けては通れない絶対的な価値になってくると考えています。
何に価値があるのか?という問いに対してハッキリと答えられる人が少なくなってきている現代においても誰しもが価値があると答えるものが「歴史」や「長く積み重ねてきた文化」だと思います。それは論理や感性など、「価値があるか、ないか」を論じる手段を圧倒的に乗り越えて正しく存在しています。
それは今後の可能性と言っても間違いはないでしょう。現代の僕たちがどう扱うかは別にして。
あとは、個人経営の飲み屋や、珈琲、パン、鴨川、自然、街並み、寒さや暑さでさえも圧倒的な魅力と言えるので大体皆さんと住み続ける理由は一緒です。
1番は人ですけどね。
僕が京都のまちづくりに関わり続ける理由と今後の京都
U35-KYOTOのプロジェクトマネージャーとしてこれは書いておかなければいけないなと思いまして、蛇足的かもしれませんが興味ある人だけ読んでください。
僕は京都に住んでいる人が好きです。なので、京都が好きです。
彼ら彼女らが好きな京都に住めなくなったり、嫌いになったりすることがただただ嫌だ。
なので、僕は京都のまちづくりに関わり続けたいと考えています。
あとは、この資本主義ど真ん中の社会で街に関わるということは、資本主義から見ればリスクかもしれないけど、人間として住む土地に敬意を払い関わることは寧ろ当然ともいうべき歴史があるわけです。
ただ、選択が多様になり、人間は進化し過ぎた。
財政破綻の恐れがあると発表され、不安に煽られる中、今後京都はどうなっていくべきなのか。僕たちはどう動いていくべきなのか。
タブロイド紙を制作させてもらい、それ以降も改めて京都市の職員さんと議論をし続けた中で一市民として僕が思うことを記します。(あくまで僕一個人の意見として受け取ってください。)
街のありようは自分たちの行動が伴った責任です。
長年、行政に期待をかけ続けてきた人たちはいるでしょう。
パブリックコメントに期待を込めて意見を投げかけた人もいるでしょう。
しかし、一方的に期待をかけ続けるのはもうシステム上の限界です。
この限界というのは京都市役所の政策が悪いとか云々の話ではありません。
京都市の職員さんも動ける範囲の中で出来る限りのことをしようと、脳みそを振り絞り、手足を動かしてくれています。
もちろん施策が功を奏していないのには、効率の問題もあります。
ですが、僕たち市民が気付かなければならないのはシステム上の欠陥です。
京都市は寺社仏閣と山々が多く、産業用地と言われる主に経済活動が行われる場所が少ない。京都が守り続けてきた歴史を守るため、景観を守るため高層ビルが増えすぎないように高さ制限の条例を設定しているのも理由の一つとしてあげられます。
ということは、住み心地は良く、移住してきている人は多かろうとも、実際に経済活動を行う主体となる企業が入る場所が少ないということ。それは働き手が少ないということ。また、今後納税の主体となり、京都市に住み続け、京都市の将来を担う若者が少ないということ。
それは行政の歳入(収入のこと)が少ない要因にもなっています。
そして度重なるコロナに少子高齢化。
行政サービスの要となる福祉領域への歳出(支出)の増加。
また、働き手の絶対数が少ないということは公共交通機関の利用者数にも影響は出ますので皆さんご存知の市バス・地下鉄事業への影響。
京都市の財政について、詳しいデータはこちらを見てみてください。
理由をあげればたくさん出てきます。
最初から「想像すればわかっていたこと」と仰る方もいますが、それを選択したのはあくまで選挙の主体となった市民であって、責任は市民にも存在します。
途中で無理だと感じていたのであれば、それなりの対応は出来たわけです。
まぁ、今更過去のことを言っても変わらないものは変わらない。
必要なのは冷静な分析と課題の根源となっているポイントの整理、そして確実に課題を解決するためのアクションです。
上記の財政破綻の理由に対して京都市の職員の方々はさまざまな知恵を凝らして動いてくれています。
しかし、行政の職員は概ね3年スパンで人事異動がかかってしまいます。それが仕組みです。
もちろん普段企業で働かれている方はご存知のとおり、3年経ってようやくクリティカルな解決策を打てるようになる。
初めましての課題に対して質の高い施策を打てと言われて打てるのは、どんな人間だって無理です。それこそ経験がなければ。
それに加えて社会課題も多様化・細分化していっている。
予算も減少し、人口減少で職員自体も減少している。
僕は思いました。
そりゃ無理だ。
でも、、、民間には研究者がいる、専門家がいる、ノウハウを持っている人たちもいる。
自分たちが住む街を自分たちで変えていけるのではないか。
そう思ってしまうことは至極単純だと思います。
であれば、あとは行政も民間も全てのリソースを活用し合い共に行動するのみ。
その場所として最適だったのがU35-KYOTOです。
ここには京都が好きな人たちがたくさんいます。
そして、行動を起こしてくれる人がたくさんいます。
東北大震災が起こった時、全国民が自分も何かしなければと思ったあの時の自分を思い出して、今こそ市民から小さなアクションから立ち上がるべきではないのでしょうか。
改めて、僕は京都が大好きです。
京都で暮らす皆さんが大好きです。
動くための理由は、それ以上いらないんじゃないでしょうか。
以上、原田岳の「私と京都」を終わります。
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