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暗中日記・犬の散歩

4月26日(月)
社長の山村が頭にくる。
「大変です、って言ったって、やらなきゃしょうがないだろ」
だってさ。
やるのはお前じゃなくてこっちだろうが。こっちが大変だって言ってるんだよ。
そのあげく、緊急事態宣言が出たばかりなのに「飲みに行くか」だと。
ちょっと信じられないが、だれもお前と飲みに行きたいなんて思っていないってことをわかってないのか?
丁重にお断りさせていただいたが、本当にうんざり。
深田さんも困った顔をして「わたしもちょっと用があるので」なんて言ってかわいそうだった
高塚君はさっさと帰った。正解。

この間見つけた新しい弁当屋で、弁当を買って帰る
先週、会社の帰りに、中野の飲み屋街の人通りが多いのが嫌で、飲み屋街から二つ外れた道を通って帰った時、コンビニが一軒ある他はあまり店もないその通りに、いままで見なかった弁当屋を見つけた。
ひどく素人っぽい作りの店で、いかにも素人が撮ったような弁当の写真を何種類か壁に貼り、写真に手書きで〇〇弁当××円、と書いてある。事務机みたいな机に透明なビニールをかぶせた上に弁当を並べていた。
なんとなく不潔な感じがしてあまり買う気にならなかったのだが、まあとりあえず試しに一度は買ってみるか、ということで今日買うことにした。

マスクを着けているから顔がよくわからない、というのもあるが、20代後半と言われればそうかもしれないと思うし、40代だったとしても別に不思議でないような年齢不詳の女が机の向こうにいて、いらっしゃいませと言うでもなくただ突っ立っていた。
やけに胸をはだけた服を着ていて目のやり場に困ったが、色っぽいというよりは、なにか気味が悪かった。
から揚げ弁当を頼む。
店の奥では年配の男が調理をしていた。
弁当ができて来て、金を渡した時、女が何か言ってお釣りを渡してきたのだが、何を言ったのか聞き取れなかった。ただ、マスクでこもった女の声がねちゃねちゃと耳にこびりつくような気持ちがした。

から揚げ弁当は美味かった

4月30日(金)
今日も2時間残業。
長時間残業をしている人はいくらでもいるんだろう。
保健所の人の残業時間がとんでもないことになっているというニュースも見た。
そういう人からすれば2時間残業なんて笑ってしまうくらい楽な仕事なのかも知れない。
でも俺は駄目だ。
残業をすると本当に気力がそがれていく。
それが嫌で朝2時間早く来ているのだが、それでも夜も2時間残業しないと間に合わない。(まあだから本当は残業4時間なのだが)

会社の帰り、また飲み屋街から外れた道を通って帰る。
この間の素人っぽい弁当屋の前に3、4人の若い男たちが集まってなにやらワイワイやっている。
妙に甲高い女の笑い声が聞こえた。
あの女だな、と思った。

夕食はアイロードの中華料理屋でチャーハンをテイクアウト

5月2日(日)
午後に3時間ほど休日出勤。
午前中にちょっとだけ、と思っていたのに昨夜寝酒を飲みすぎて、二日酔いで昼まで起きられず、結局2時半ごろやっと家を出た。
変な天気。
急に強い風が吹いて、黒い雲が広がって、雨がざっと降ってきたが、別の方向を見るときれいな青い空が広がっていた。天気雨にしてもこんなのは初めて見た。そういえば天気予報で不安定な天気と言っていたが・・・

休日に会社に行きたいわけではないが、会社に誰もいないほうが仕事ははかどる。
3時ごろから6時過ぎまで仕事して帰る
中野に着いたのは6時半ごろだったか。
雨はやんでいた。
中野は緊急事態宣言が出ているのに相変わらず人が多い。
例の弁当屋は閉まっていた。
「土曜日定休」と書いたダンボールがぶら下がっていた。

弁当屋を通り過ぎてちょっと行ったところで、犬を散歩させている人が前を歩いているのに気が付いた。
だんだん暗くなってきて、物の輪郭がはっきり見定められない。
最初、小さな犬を連れているな、と思ったのだが、その次見たときはずいぶん大きな犬だな、と思い、薄暗くてはっきり見えなかったからだと思うが、ちょっと変な感じがした。
ひどくのんびりと歩いているようで、こちらは普通に歩いているのですぐに追いついてしまった。
すぐそばまで近づいた時に、犬を連れているのはあの弁当屋の女だと気づいた。
なんだかすごく嫌な感じがして、足を速めて追い抜こうとした時、女が急にしゃがみこんだ。
道路に両手をついている。
そのまま行きすぎようかと少し迷ったが、無視するわけにもいかないか、と思い、そばに寄って「大丈夫ですか?」と声をかけた。
すると、女がしゃがみこんだ体勢のまま顔だけこっちに向けて何か言った。
マスクで表情はよくわからないが目が笑っている。
良く聞こえなかったので、聞き返そうとして少しかがみこむと、女がすっと立ち上がったので顔がぶつかりそうに近くなって思わずのけぞった時、女がもう一度、さっきより大きな声で
「しだりて」
と言った。
足がすくんで息が詰まった。
その時、犬が「おい、いくぞ」と言ってリードを引っ張った。
すると女も素直に犬について歩き出した。

ほっとして、やっと息ができるようになった気がした。
しばらくその場で立ちつくして、犬と女が遠ざかっていくのを見ていたが、女が犬に連れられて角を曲がって見えなくなってから、ようやく歩き出すことができた。

ファミリーマートで夕飯にミートソースとファミチキを買って帰宅。

あの女は何と言ったのか。
それだけがずっと気になっている。
「しだりて」
と聞こえたが、
「左手」
と言ったのかもしれない。
と思ったが、だとしても意味が分からない。

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