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JCIIフォトサロン「写された外地」

12月×日
JCIIフォトサロンで「写された外地」展
これは見て良かったと思えた写真展だった。

JCIIフォトサロンは地下鉄の半蔵門駅から歩いてすぐなのだが、この日は九段下から歩いた。

この日は20℃くらいまで気温が上がって、千鳥ヶ淵あたりを歩くのも快適だった

昔ちょっと札幌に住んでいたことがあって、そのころ北海道出身の人たちが本州のことを「内地」と呼ぶのはよく聞いた。
しかし本州の人間は北海道のことを「外地」と呼んだりはしないので、「外地」というのは自分にはあまり耳なじみのない言葉だ。

「写された外地」
1945年の終戦以前、大日本帝国憲法施行以降に日本の統治下へ置かれた地域は外地と称され、日本の強い影響下にあった満州国も一般に外地と呼ばれていました。外地に対する国内外の関心は1931年の満州事変以降に高まり、写真による国家宣伝が盛んとなった1937年の日中戦争勃発後は派遣撮影も行われました。
本展では、それぞれに異なる動機で訪問し、独自の視点によって現地を写した6名の写真作品をご覧いただきます。

撮影者は吉田謙吉、名取洋之助、鈴木八郎、桑原甲子雄、林謙一、赤羽末吉。
写真家だけではなく、新聞記者や画家なども。

入場料は無料。
撮影は禁止。
なのでここに載せた写真はみな図録を撮影したもの。
図録は2000円。

なんだか懐かしいような、でも全然見たこともないエキゾチックなような不思議な感覚。

大正から昭和初期の文化・・・大正モダンとか昭和モダンとか呼ばれる辺りにちょっと興味があって、弥生美術館で「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり展」なんかも見に行ったのだが、時代的にはその辺と同時代、それからもう少し後の時代にかけてか。

朝鮮併合が1910年(明治43年)
満州建国が1932年(昭和7年)

1939年の北京 なにか映画の一場面のよう
1934年ハルピン おしゃれな女性たち
1936年朝鮮
1939年満州(?)
白系ロシア人の姿が多いのも印象的だった。1917年のロシア革命の争乱から避難してきた人が多かったらしい。
考えてみれば中国や朝鮮半島の国だけでなく、今も昔もロシアは日本の隣国なのだ。
1943年内蒙古
これはいかにも「中央アジア」という風景
1940年日本人開拓村
1940年同じく日本人開拓村
白系ロシア人の集落と比べるとその生活環境は
「あまりに酷すぎる」
とのこと

この時代の写真、しかも外地の写真ということになれば、どうしても単なる郷愁とか単なる異国情緒だけを味わうというわけにはいかない。
いろいろと複雑な気持ちになる。
けれども、知識としてだけ知っているよりも一枚の写真を見て感じ取れることは多い。
こういう写真を見て複雑な気持ちになるのも意味のないことではない、という気がした。

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