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「祖父」と「死」

今日は僕にとって大切な日

2018年6月15日(金) 23:10 祖父 死去息子(父)の元で息を引き取った

僕は祖父が息を引き取った時、
自分の自宅で友達と過ごしていた。
姉が泣きながらぼくに電話をかけた。

「じいちゃん、死んだよ。」

その言葉を聞いたけど、
僕は祖父が死んだことに実感が湧かなかった。

「またまた」と冗談なのかと思ったが、
ガチだった。

電話を切った後、ベンチに座り少し考えてみた。

「これが人が死ぬってことか。」
どこか実感がなかった。

次の日急いで新幹線で地元に帰った。
地元に近づくにつれて、
少しずつ今回の出来事が現実なんだと
実感し始めた。

実家につき、2階の座敷に上がると
そこには僕の知らない祖父の姿があった。
最後まで病気と闘った姿で
死ぬ前に最後に会った時と大きく
表情が変わっていた。

その顔を見たときに
「本当に死んだんだ」って感じた。

でも、涙は一滴も出なかった。

次の日から葬儀などの準備でバタバタし始め、多くの親戚や関係者、会社の得意先の方が
祖父に会いに来てくれた。

みな、変わり果てた祖父の姿を見て涙を流していた。
でも、僕は涙が出なかった。

葬式の準備で祖父の過去の写真を見直した。
するとそこには僕が生まれるずっと前の写真や若い時代の写真がいっぱい出て来た。

僕の祖父は僕が生まれた時から
腰を悪くしていて基本的には
車椅子を使わないと生活できない体だった。

しかし、写真のどれもが
その面影を感じさせないくらい
シャンと立っている姿が多かった。

あっという間に、葬式当日。
約200人弱の方々が参加してくださった。
その数に祖父の偉大さと積み上げた信頼を知ることができた。

孫からの言葉として姉が代表して
挨拶をした。
姉は涙ながらに語り始めたが、
僕は涙が出なかった。

最後に家族の代表として父が参拝者の前で
父の過去から死に目について話しました。
そこで衝撃の事実を
僕は知ることになりました。

父がいつもの通り仕事終わりに
祖父の様子を見に病室に行き、
今日の出来事を話していた時。

「最近、雄一郎が広島で新しいことを始めたらしいよ。雄一郎も広島で頑張っているからじいちゃんも頑張らないとね。」と父が話した後、
祖父は安心したかのように息を引き取った。

この話を父は皆の前で涙をこられ、
歯をくいしばらながら話した。

その姿を見ても、僕は泣かなかった。
でも、僕のことをすごく心配していたことを
その話を聞いて強く感じた。

祖父との生前の思い出について、
色々と考えて見たが、
正直しょーもないことばっかりだった。

祖父の部屋の大きなテレビで
相撲中継を一緒に観たり、
祖父のために買ったお菓子を
一人ですべて食べたり、
喘息持ちでホコリっぽいところで寝ちゃいけないのに祖父の押入れで寝たりと
たわいもない思い出ばっかりだった。

でも、僕にとってこのたわいもなくて
当たり前存在が祖父だった。

もう亡くなってから1年。
正直、今も実家に帰省すると
じいちゃんがいると思って
帰省することが多い。

家に着いてみて、「あ、もういないんだ」って感じるけど、どこか僕の近くで見ているんだろうなぁっていつも感じている。

僕にとっての祖父は
初めて僕に「死」を教えてくれた存在。
人が死ぬことを考えさせてくれた存在。
僕の尊敬していて一生超えられない存在。

僕はそんな祖父がやっぱり好きで
忘れない。

僕は今でも祖父の死に関して涙は出ない。


だって、祖父とはいつでも繋がっていると
思っているから。
そして、人はいつか死ぬってことを
教えてくれたから。泣かない。

感情がないのではない。
ただ祖父とは最後まで繋がっていたと
感じているから。



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